第29話:この国が、壊れていく
二大国の国境に挟まれた、美しい石造りの小国。
その平穏は、たった一枚の書状によって無残に引き裂かれた。
東の大国からの最後通牒。
『三日以内に我らへの忠誠を誓え。さもなくば、西の協力者と見なし、全土を灰に帰す』
西の大国もまた、呼応するように国境へ兵を集結させている。どちらを選んでも地獄、選ばなくとも破滅。逃げ場を失った首都の広場は、パニックに陥った人々の怒号と悲鳴で埋め尽くされていた。
「……ひどい。みんな、自分たちのことしか考えてないみたい」
リアが顔を顰め、荒れ狂う群衆を見つめる。
だが、レインの視界に映る景色は、リアの言葉とは少しだけ違っていた。
(……いえ、違います。揺れていますが、消えてはいません)
レインの感知能力が、かつてないほどの鋭敏さで町全体を捉えていた。
恐怖、疑念、保身。それらの黒い泥が、人々の間にある無数の「縁の糸」を覆い隠そうとしている。だが、その泥の下で、糸は必死に拍動を続けていた。
親が子を抱き寄せる手。商人が隣人の荷を支える肩。長年連れ添った夫婦が、絶望の中で見せ合う一瞬の微笑み。
レインは目を閉じた。
意識を集中し、町の深部へと手を伸ばす。
(……見えます。この町を一つに繋いでいる、核のような縁が)
それは個人の感情を超えた、共有された記憶と歴史。この地で共に生き、共に困難を乗り越えてきた「共同体」としての強固な結び目だ。
「リアさん、行きましょう。……指導者たちのところへ」
「え、あんなに揉めてる場所に行くの?」
「……はい。見えてしまった以上、放ってはおけません」
町の政庁。そこでは、絶望的な議論がループしていた。
降伏か、抗戦か、あるいは無為な逃亡か。怒鳴り合う老人たちと、頭を抱える若き指導者。そこへ、レインが音もなく入り込んだ。
「……失礼します。旅の記録係として、一言だけ、お伝えしたいことがあります」
場が静まり返る。場違いなほど丁寧で、それでいて凛としたレインの佇まいに、指導者たちが気圧されたように口を閉じた。
「この町の人々は、まだ繋がっています。……恐怖という泥で見えなくなっているだけで、一人ひとりの胸にある縁は、まだこの町を捨ててはいません」
レインは真っ直ぐに指導者の目を見つめた。
「その縁を、もう一度思い出させてください。……そうすれば、あなたがたが選ぶべき『第三の道』が見えてくるはずです」
指導者の手が、微かに震える。
レインの感知能力は、彼の内側で眠っていた「町への誇り」という光が、再び熱を帯び始めたのを捉えていた。
政庁を出た二人の背後で、再び議論が始まった。だが今度は、先ほどのような絶望の怒号ではない。
「……うまくいくかな、レイン」
「わかりません。……ですが、縁はあります。それだけで、十分なはずです」
リアが、隣を歩くレインの横顔をじっと見つめた。
「……レイン、なんだか前よりずっと、大きく見えるよ。……それだけで十分だって、本気で思ってるんだね」
リアが笑う。その笑顔に、今日は翳りがなかった。
レインは自分の胸の奥で、かつてないほど巨大な光が渦巻いているのを感じていた。
三日という刻限。




