第21話:この国の縁は、歪んでいる
穏やかな小国群を離れ、二大国の勢力圏が複雑に絡み合う国境地帯へと足を踏み入れた。
街道の空気は、それまでとは一変していた。
これまでは旅の情緒を感じさせていた街道に、等間隔で武装した兵の姿が目立つ。検問所では、旅人の荷物をひっくり返すような執拗な検査が行われ、人々は不機嫌に黙り込み、互いの視線を避けるように俯いて歩いていた。
「……なんか、息苦しいね」
リアが声を潜めて呟く。いつもの軽快な足取りは影を潜め、彼女の琥珀色の瞳は、鋭く検問の様子を窺っていた。
「ええ。監視と疑念。人々の縁が、恐怖という泥を被っています」
二人の番が来た。レインは極めて丁寧な動作で通行証を差し出し、兵の無礼な問いかけにも淡々と応じる。リアもまた、貼り付けたような愛想笑いでやり過ごした。
通過を許された後も、背中に突き刺さる兵たちの冷たい視線が、消えることはなかった。
その日の夕刻、二人は国境付近にある小さな町の宿に入った。
かつては東西の交易で栄えたはずの場所だが、今は市場の露店もまばらで、どの家も扉を固く閉ざしている。
「……最近は、隣人同士でも満足に口を聞けない雰囲気なんです。どちらの大国に肩入れしているか、互いに探り合っている」
宿の主人が、濁った声を絞り出すように教えてくれた。東の大国に従えば西から敵視され、西に協力すれば東から徴税される。板挟みになった小国の民には、沈黙することしか残されていなかった。
夜。レインは宿の窓から、静まり返った町を見下ろした。
(……絡まっています)
レインは驚きに目を見開いた。
感知能力が捉える景色が、また一段階、その鮮明さを増していた。
以前は見上げるような「糸」だったものが、今は町全体を覆う巨大な「蜘蛛の巣」のように見えていた。だが、その巣は美しくはない。恐怖と疑念という重油のような粘り気が、人々の間にある本来の縁を窒息させようと絡みついている。
「レイン? どうしたの、そんな顔して」
背後からリアが声をかける。レインは振り返らず、窓の外の暗闇を指差した。
「……この町の人たちの縁が、見えます。恐怖で絡まり、動けなくなっている。縁そのものはまだ死んでいませんが、誰もそれに触れようとしていない」
翌朝。広場の噴水近くで、数人の子供たちが泥遊びをしていた。大人たちが緊張の面持ちで遠巻きに見守る中、子供たちだけが無邪気に走り回っている。
レインは静かに、その子供たちの輪に近づいた。
何をするわけでもない。ただ、そこに立ち、子供たちが差し出す泥団子を丁寧に受け取り、一言二言、他愛のない言葉を交わす。
すると、子供を迎えに来た母親たちが、レインの周囲で図らずも顔を合わせた。
気まずい沈黙。だが、自分の子供がレインに懐いている様子を見て、母親たちの表情がわずかに和らぐ。
「……いい天気ですね」
レインが、誰に向けるでもなく呟いた。
「……そうね。明日は晴れるかしら」
一人の母親が応じ、もう一人が小さく頷く。
その瞬間。
レインの視界で、重く淀んでいた蜘蛛の巣の一部が、ふっと解けた。
子供という純粋な縁を介して、大人たちの間に「日常」という細い糸が結び直されたのだ。
「……レインは、本当に不思議だね」
宿に戻る道すがら、リアがぽつりと零した。
「……私は、ただ子供たちと話しただけですが」
「それだけで十分なんだよ。レインがいると、変に張り詰めてたものが、どうでもよくなっちゃうんだ」
リアは笑った。
だが、その笑顔の奥。彼女の内側に潜む「二大国の影」が、これまで以上に濃く、鋭く波打っているのを、進化したレインの感知能力は逃さなかった。
国家という巨大な断絶が、個人のささやかな繋がりを食いちぎろうとしている。




