第十七話 犯罪者が自由に動ける国
本作品は実体験をもとに構成していますが、プライバシー保護および演出のため、登場人物名・設定・一部の内容を変更したフィクションです。
夏の匂いが、いっそう濃くなる頃。
尋志は銀行にいた。
年齢を考えれば、新築という選択は現実的ではない。それでも、長く付き合いのある銀行は、これまでの経緯を理解し、融資に前向きな姿勢を見せていた。
自宅からは距離がある。それでも何度も足を運び、話は少しずつ具体性を帯びてきていた。
その帰り道。
この日は、友人の田植えを手伝う約束があった。SNSに上げるから手伝え、と半ば強引に誘われたものだ。
銀行を出て、バイパスへ合流する。
——その時だった。
「……ん?」
前を走る一台の車に、妙な引っかかりを覚えた。
見覚えがある。
「いや、まさかな……」
シーフの車に、よく似ていた。
だが、あり得ない。奴は余罪の取り調べ中で、まだ拘留されているはずだ。
それでも、尋志の目は自然とその車を追っていた。
同じ車種を見ると、無意識にナンバーを確認する癖がついている。似た番号の車に出会うことも、これまで何度もあった。
——だが。
「……同じ、だな」
ナンバーが一致している。
一車線の道路。しばらく後方についたまま、様子を見る。
やがてその車はインターへと入っていった。
その瞬間。
尋志は車を横に並べ、運転席を覗き込んだ。
——シーフだった。
助手席には、紗梨。
シーフは気取った運転で、薄ら笑いを浮かべている。紗梨は隣で、無邪気にはしゃいでいた。
「……ふざけるなよ」
喉の奥から、低い声が漏れる。
なぜ、外にいる?
なぜ、罪を犯した人間が——
こんな顔で、笑っていられる?
怒りが、じわじわと全身を侵していく。
「それに……あの女」
あの時見せた涙は、なんだったのか。
「全部、演技だったってのか……?」
感情が渦を巻く。
だが、ハンドルを握る手を強く抑えた。
——今日は、約束がある。
追うことはしなかった。
そのまま、目的地へ向かう。
数日後。
担当刑事から電話が入った。
「……すみません、長澤さん。少し言いにくい話なんですが」
「渡邊一義が、仮釈放されました」
「知ってますよ」
尋志は即答した。
「会いましたから」
冷えた声だった。
だが、次第に抑えが効かなくなる。
「言いましたよね?仮釈放だけはやめてくれって」
「あいつは、またやる」
「この一年、見てきたんだ。絶対に——繰り返す」
刑事は、短く息をついた。
「……我々も、同じ認識です」
「ですが、裁判所の判断でして……食い下がったのですが、結果的にこのような形に」
「申し訳ありません」
納得できるはずがなかった。
シーフの前科は、十年前だと思っていた。だが実際は——三年前。
同じ罪で逮捕されている人間が、仮釈放される。
「……そんなことが、あるのか」
理解が追いつかない。
やがて、疑問は別の方向へ向かう。
——あいつは、何を考えている?
眠る家に侵入し、躊躇なく盗む。施錠されていなければ、迷いなく踏み込む。
常識では測れない。
それでも。
シーフには、前妻との間に子供がいる。
「……普通なら、できるはずがない」
だが、現実にやっている。
——ならば。
これからも、やる。
尋志は、シーフという人間を知ろうとし始めた。
遭遇から、一ヶ月後。
「裁判、見に行こうかと思う」
里美にそう告げた。
検察官に確認すると、すでに初公判は終わっていた。
警察も、裁判所も、検察も。積極的に情報を教えることはない。
事後報告。あるいは、沈黙。
被害者の感情は、そこにはない。
「……加害者に、甘い国だな」
そんな思いが、心の奥に沈んでいく。
そして——
二回目の公判を、傍聴することにした。
初めての経験だった。
傍聴には厳しい制限があるものだと思っていた。だが実際には、驚くほどあっさりと入ることができた。
——こんなものなのか。
拍子抜けと、違和感。
真夏の法廷。
シーフは、何を語るのか。
この公判から一ヶ月前は、尋志はまだ知らなかった。
ここに至るまでに、さらに起きる“出来事”を——。




