幸せのアルカロイド(3)
-- 璃空とエリアが出会うより二年程前 --
大人になった龍騎士のヨナと、幼き魔女ロベリアが出会ってからの出来事。
『何かの拍子に記憶が消えてしまう』という症状を抱えていたロベリアは、ヨナによって辺境の街からパリの一角にある目立たない小屋へ連れ込まれた。
そこでヨナに面倒を見られて、不自由のない生活を始めてからは、同様の症状が出ることもなく、穏やかな日常を過ごす。
ロベリアはすっかりヨナに懐き、月並みの幸せを享受していた。
が、一方のヨナは、一般には罪とされる魔女を匿う行為、また身寄りのない子供を一人で面倒を見ているという現状に不安を抱え、このままでよいのかどうかを深刻に悩み続けていた。
ヨナも龍騎士としての仕事に戻り始め、ロベリアは小屋で一人で過ごすことも多くなってきた頃。
まだ、ヨナは幼き魔女の存在を仲間内には明かせずにいた。
◇ ◆ ◇
パリの騎士団修道院の一角で、これからバルベナへ向かおうとするエドの送別会は穏やかに行われた。
ヨナが抱える問題については一切言い出せないまま、エドは街を出るための馬車に乗り込む。
「ヨナ」
名前を呼ばれてヨナは顔を上げる。そうして彼女はようやく、まだエドと一度も目を合わせていなかったことに気が付いた。
「何かあったら、気にしないで連絡入れてよ。僕、飛んで帰ってくるから」
「うん。エドこそ、困ったら言ってよね」
「ああ」
拳を突き合わせて、二人はお互いの武運を祈る。
後ろでは、ジルコが「俺たちは外野かよ」と悪態をついて、レイラが苦笑していた。
今まで一度だって、ヨナはエドに隠し事をしたことがなかった。
昔は、隠し事をすればすぐに彼に見抜かれてしまっていたから。
今は、隠すよりもいっそ相談してしまったほうが、後から彼を苦しませずに済むことをわかっていた。
だから、今日この日、彼女は初めて、彼に嘘をつき、秘密を隠し通した。
何故最後までロベリアのことを相談しなかったのかは、ヨナ自身、完全には説明しきれない。
騎士団員としてではなく個人としてそれを相談すれば、きっと彼は親身になって話を聞いた筈だが、その決断をするにはどうにも時間が足りなかった。
もう、彼はバルベナ衛兵団の一隊長としての任を負うべく、この街を去ろうとしている。
「人に助けを求められないの、エドの悪い所だからね。弱い所、どんどん見せていきなよ」
どの口が言うのか、と自分でも思いながら、ヨナはエドの出発を後押しするように笑いかけた。
「うん。じゃあ、行ってくるよ」
エドは、ヨナよりも数歩後ろで様子を見ている騎士団員にも視線を送る。
「リト、ライラ。あと、ジルコ。それじゃあ、また」
そう言って、エドは馬車の中に身体を引っ込めて、騎手に出発するように指示を出した。
ジルコがまた、「おまけみたいに俺の名前を呼ぶな!」と怒声を飛ばす。
その隣でリトとライラが笑うのを見て、ヨナも合わせるように少し笑った。
彼女の薄紅色の髪は、心もとなく風に揺れた。
◇ ◆ ◇
「―――もし、身寄りのない魔女を見つけたらどうするか?」
エドが去って数日たった頃、何かの話の流れで、ライラがジルコにそんなことを聞いていた。
「殺すだろうな。魔女だと判明した時点で、可能な限り速やかに」
ジルコは、至って冷淡に、ただ少し語気を強めてそう言い放つ。
その発言に、さりげなく聞いていたヨナは肩を竦ませた。
「…まあ、そうよね。あなたならそう答えると思ったけど」
「当然だろ。命が懸かってる」
ライラも、然程驚くこともなく、騎士団の規則書に目を戻した。
「そういえば、ヨナ。この間ラベトの村に行ったんだろ。何事も無かったのか?」
ジルコから名前を呼ばれ、同じように規則書に目を通していたヨナは慌てて彼らのほうを振り向く。
ラベトの村は、ロベリアを発見した場所。
「あ、ああ。あの件、ね。村の人の勘違いだったみたいで、魔女なんて居なかったよ。数日見張ったんだけど、無駄足だったなぁ」
「やっぱり、そうか。あの村の連中、用心深いっていうよりも疑り深いだけの奴が多いから、好きじゃねぇんだよな」
そう言ってジルコは修道院の端に置かれた長椅子に寝転んで天井を仰いだ。
「…ねえ。魔女を見つけたら、すぐに殺してしまうの?話も聞かずに?」
ヨナは、不安げにジルコの横顔を見ながらそう問いかける。
ジルコは、先程と同じように、感情をこめずに、赤黒い色をした目でヨナを見据えた。
「当然だ。規則書には書いちゃいないが、魔女の性質を考えたら誰だってそう判断する」
「…」
何か言いたげにヨナは視線を落とす。
その様子を見て、ジルコは溜息をついてリトに問いかけた。
「リト。お前はどう思う?」
全く関係のない本を読んでいたリトは、眼鏡の位置を直しながら、「間違っているとは思わない」とだけ答えた。
ヨナのほうへ視線を戻して、ジルコは話を続ける。
「お前も知ってるだろ。魔法が、魔術と違ってどれだけ危険なのかって話」
「…うん」
ならわかるだろ、と彼は冷たく言う。
「魔術は、基本的に術者の身体が起点になって発生する。それに、発動には詠唱が要るから、使うには必ず予備動作がある。俺が今ここで、指先から火の玉でも撃とうとしたら。成功するより先に、お前らにタコ殴りにされるのがオチだろうな。―――で、魔法は?」
「…魔法に予備動作は一切無い。発生起点も好きに変えられるから、あなたの心臓をいきなり焼いてしまう事も出来る。―――って、勉強した覚えはあるわ」
「そうだ。それができる奴が目の前に居て、のんびりと話し合いなんてできるか?」
「…」
ヨナは、しばらく黙り込む。
数秒待って、彼女は「でも」と食い下がった。
「敵対意志が無い子まで殺してしまうのは良くないわ」
「だから。もし敵性存在なら、敵対意志があるかないか、確認してるうちにこっちが死ぬだろうが」
「…」
「そうやって魔女に慈悲を見せて滅んだ集落を、俺はよく知ってる」
その“例”というのは、ヨナも聞いたことがあった。
何年も前。ある時までは友好的な態度を見せていた魔女が、突然その集落の人間すべての視覚と聴覚を奪って、物資を強奪して逃げた事件があった。
当然、音と光を失った人間だけで構成された集落など成り立つはずもない。
誰も外の集落に助けを求めることは出来ず、お互いの存在を認知することさえできずに、彼らは孤独と空腹に苦しみながら息絶えていった。
連絡が途絶えて騎士団がその集落へ向かった頃には、村の生き残りはゆうに半分を切っていた。
救出されても、結局のところ自発的に生活する能力は失われており、今も尚、病院から出る事もなく生きながらえている者が居るのだという。
そして、その集落がジルコの故郷だったということも、その場の誰もが理解していた。
彼だけが、龍の力とは無関係に、持ち前の運の良さに救われてその惨劇を回避していた。
「はっきり言って、敵対意志の有無さえ関係ない。魔女と一緒に生活するってのは、その気になればいつでも俺達を殺せる奴が隣にいるってことだ。そんな状況になった時点で、俺たちは魔女の善意や気まぐれで『生かされてる』のと同じだ」
そう言うジルコのその目には、僅かに恨みが籠っているように見えた。
「…どうにかして、相手の使う魔法を見抜けたらいいのにね。そしたら、無害な魔法を持つ子だけでも味方に出来るのに」
「無害な魔法って、何だ?」
「…た、例えば。ええと、軽いものを浮かせるだけの魔法とか…」
「充分有害だろ、それ。さっきお前が言ったみたいに、心臓だけに直接作用させれば、簡単に心臓発作を偽装して人を殺せるぞ」
「え、えっと…」
上手く言い返せなくなって、ヨナはしどろもどろにリトのほうへ目をやった。
視線に気が付いたリトが、助け船を出すようにジルコに声を掛ける。
「まあ、一方的に人を殺せるのなんて、俺達龍人も一緒みたいなもんだけどな。結局のところ善意と信頼で成り立つ社会なんだから、魔女だけがそう言われるのも極端な気はするが」
「…ま、その辺は、過去の行いの違いだろ。俺たちは騎士団として名誉を勝ち取った。魔女は人々に理解されることを拒んだ。だから、人間は知らないものを恐れて、魔女を排した。心理として、当然の話だ」
流れるように論を返すジルコに、リトは観念して「そうかもな」と視線を本に戻した。
ヨナは何も言えずに、手元の規則書に視線を落として、内容を読むでもなくただ考え込んでいた。
彼女のその表情を見て、ライラは少し睨むようにジルコの顔を見る。
「ほんと、脳筋のくせに弁が立つわね。なんか腹立つわ」
「おい。シンプルに悪口いうのやめろ」
冷たく言い過ぎてヨナが元気を失くしていることに気付いたジルコは、少しばつの悪そうな顔をしながら、静かにそう言い返した。
◇ ◆ ◇
魔女は、なんの前触れもなく人を殺せる生き物。
ジルコのその話について深く考え込みながら、ヨナはまた郊外にある薄汚れた石造りの小屋へと足を運んだ。
「ロビィ、ただいま」
「おかえり、ヨナ」
以前クリスに貰ったぬいぐるみでままごと遊びをしていたロベリアは、ヨナが帰ってくるのを見ると、すぐに立ち上がってぱたぱたと彼女に駆け寄る。
「最近、お留守番が多くてごめんね。ちょっと、お仕事が忙しくて」
「大丈夫よ。私、ラスクと一緒に遊んでるから」
ロベリアは、ラスクと名付けた兎のぬいぐるみの手足を動かして見せる。
連日あまり外出できていないにもかかわらず、文句ひとつ言わないロベリアの様子を見て、ヨナは内心で「この子が人を殺すなんてありえない」と自身に言い聞かせた。
出会った当初は痩せ細っていたロベリアの腕も、今では至って健康な姿に落ち着いている。
「ねえ、そういえばクリスは次はいつ来るの?」
「しばらくは、来ないと思うよ。彼、最近忙しいみたいで―――ロビィが元気いっぱいだから、安心して他の患者さんの所に行けるって。彼、そう言ってたわ」
「そっか。お医者さんを待ってる人、沢山いるものね」
その言葉に、ヨナは「いい子だね」とロベリアの頭を撫でた。
「そうだ、今日は早めに帰って来られたから、久々に外に出かけよう。この区画の外にも、美味しいお菓子のお店が沢山あるんだよ」
ヨナがそう言うと、ロベリアは興奮気味に体を揺らす。
「行く、行く。久々のお出かけね、急いで準備をしなきゃ」
ロベリアはラスクを椅子の上に丁寧に座らせて、ヨナに買ってもらった外行きの服を取り出すためにクローゼットのほうへ走って行った。
もう何着も買ってもらった洋服を見比べながら、どれがいいかな、と見比べてはヨナのほうへと視線を送る。
騎士団の仕事で疲れた様子のヨナは、もう一つの椅子に腰かけてそんなロベリアの様子を微笑ましく眺めていた。
「ううん。こっちはこの間着たから、こっちかな。でも、やっぱり今日はお気に入りの服を選ぶべきかしら。ねえ、ヨナ。この二つならどっちが―――」
ロベリアが振り向くと、ヨナはうとうとと椅子の上で船を漕いでいた。
ちょうど窓から差し込む光が暖かいようで、ヨナは気持ちよさそうに寝ぼけ眼で「うん、うん」と返事をしている。
ロベリアは黙ってお気に入りの服に着替えると、彼女を起こさないように、こっそりと小屋の扉を開けて外に出て行った。
「―――ん、んん。あれ、今、寝てた?」
ヨナが目を覚ますと、部屋の中は静まり返って、誰の気配もしなくなっていた。
「ロビィ?」
立ち上がって、ロベリアの姿を探し始める。
部屋を端から探して、居ないことを確認していくにつれて、彼女の心臓は強く脈打っていった。
「ロビィ、ロビィ。どこ?どこに行ったの?」
一度探したところをまた探したり、窓の外を見たり。
彼女は露骨に焦りを見せて、子供でも隠れられないような小さな隙間まで探してやっと、ロベリアが小屋の中に居ないことを理解した。
軽い息切れを起こすほどには動揺したまま、彼女は小屋から飛び出す。
すぐに周りを見渡すと、直ぐ近くの大きな花壇の中で、何やら手を動かしているロベリアの姿があった。
「あ。ヨナ、起きたのね」
「…」
安堵よりも先に湧いてきた怒りの感情を押さえて、ヨナはロベリアのほうへとゆっくり歩み寄る。
「何をしてるの?」
「見て」
ロベリアは、何やら満足げに、手に持っていたそれをヨナに差し出して見せた。
「…花冠?」
「うん」
誰から作り方を教わったのかとか、どうして今これを作ろうと思ったのかとか、色々な疑問が頭をよぎって半ば混乱した頭で、ヨナは呟くように問いかける。
「これ、私に?」
「そう」
ヨナが屈んでその花冠に目をやると、ロベリアは彼女の頭にそれを乗せて嬉しそうに笑った。
「がんばったの、証。ヨナ、いつも頑張ってるから」
「…ありがとう」
この短時間で生まれた色々な感情が混ぜこぜになって、結局よくわからなくなって、ヨナはロベリアのことをまた抱きかかえる。
それがいつもの愛情表現とは少し違うことに気が付いてか、ロベリアは何も言わずに身体を預けて次の言葉を待った。
「勝手に、部屋から出て行かないでね。私、驚いちゃったから」
穏やかに、ただいつもより僅かにはっきりとした口調でヨナはロベリアを諭した。
「…うん。ごめんなさい」
ロベリアは素直にそう謝ると、その小さな手で、ヨナを励ますように彼女の身体を抱き返した。
その後は、彼女達はこの件について深く触れることは無かった。
また二人で外に出かけて、小屋へ帰ってきて二人でご飯を食べて。
騎士団にも、離れて暮らす彼女の家族にも内緒の、穏やかな生活は、そのまま何日も続いていった。




