幸せのアルカロイド(序)
パリから少し離れた田舎町。
人口は決して少なくないものの、栄えているとも言い難いような農村が広がるその街には、年の近い三人の龍人の子供が暮らしていた。
「―――また、あっちの山のほうからでた魔獣をエド君がやっつけたんだってね。相変わらず凄いな、彼は」
龍人の父、人間の母の間に生まれた少女ヨナの耳には、その神童の噂は四六時中届いていた。
ヨナは、それを聞きつけてすぐに、読んでいた魔術書を置いて立ち上がる。
彼女の父が、どうした、と声を掛ける。
「今から話でも聞きに行くのか?」
「違うよ。無茶なことして怪我してないか、確かめに行くの」
「しないよ彼は、怪我なんて」
「わかんないでしょ!」
彼女は、ぱたぱたと家の扉を開け、忙しそうに走り去って行った。
―――神童、エドワード・ガルグイユ。
両親ともに人間である彼だが、覚醒遺伝か、はたまた何か別の力か。
彼は、深い青色の双角を持って、龍人としてこの地に生まれ落ちた。
齢四歳にして、彼は結界魔術を見事に使いこなす。
魔術師としての才を見出された彼だったが、龍人としての肉体にも恵まれ、類稀なる体術のセンス、戦術を見出す思考力、的確な指揮能力を持ち、ありとあらゆる分野でもその才能を次々と開花させていった。
その地には龍人の大人も幾らか居たものの、騎士や魔術師を目指した者はほとんどおらず。
それ故、彼は子供ながらにその地でもっとも優秀な龍人として、いとも簡単にその名を知らしめることとなった。
そんな彼と幼馴染であったヨナは、失敗も多く、しばしば彼と比較されることがある。
エドと同じく、パリの街で龍騎士になるのだと息巻いていた彼女であったが、他の子供たちからは「お前じゃ無理だよ」と馬鹿にされることも多くあった。
その度に、彼女は強気に言い返しては、裏で泣き喚いてエドにあやされていたのである。
一方的に彼に助けられるようなヨナであったが、彼女は当時の十歳前後に至るまでめげることは無く、ひたすらにエドと対等な関係を望み続けていた。
「エド!」
「ん。おはよう、ヨナ」
なんの前触れもなく家に現れたヨナに対して、エドは朝食を食べながら何の気なしに挨拶をした。
「あ、えっと、おはよう。じゃなくて!また一人で魔獣と戦ってたの!?」
「うん。猪くらいの、小さい奴だったよ」
「そ、そう。でも、魔獣は魔獣でしょ。大丈夫だったの?」
「うん」
けろっとした顔のエドに、ヨナはなんだか悔しそうに腕を振る。
「油断は禁物だよ、エド。騎士たる者、勝手な単独行動は厳禁。常に誰かの支援を受けられる状況で戦うべし、って、騎士団の規則にもあるでしょう」
「お、大人は周りにいたよ。一応武器も持ってたし、万が一には備えてたよ」
「違うの!一般の人じゃなくて、騎士同士でサポートし合わなきゃダメでしょ」
「待ってよ。そもそも僕ら、まだ龍騎士じゃないでしょ」
ヨナは頬を膨らませて、不満の色いっぱいにエドが食事をとるテーブルに近寄って手を衝いた。
「私も!サポート経験したいの!全部一人で片付けちゃったら、私が何もできないでしょ!」
「あ、ああ。そういうこと」
エドは、ようやく彼女の意図を理解したのか、吹き出すように笑った。
「ヨナが出るほどのものでもなかったよ。本当、誰でも処理できるような魔獣だったから、昨日はちゃちゃっと片付けちゃった。今度はちゃんと声かけるよ」
「約束ね。エド、いつも早すぎるんだもん。それに、その…」
「うん?」
「あなた一人に全部任せきりにして、うっかり怪我でもされたら、私が寝れなくなっちゃうじゃない」
エドは、また面白そうに笑う。
「わかった。今度からはなるべく、ヨナの目の届く範囲で戦うようにするよ」
「うん」
テーブルに隠れるように身を屈めながら、ヨナは恥ずかしそうに目を逸らした。
◇ ◆ ◇
「エドの事が心配?そりゃまた、いらん気苦労を」
「いらないことないでしょう。あなたは何も思わないの?」
図書館とも言い難い、狭苦しい書庫のような納屋の中。
今日も今日とて小説やら魔術書やらを読み耽っていたリトは、急に現れたヨナの相談事を受けて、困ったように目を細めていた。
「何も思わない訳はないけど。今まで何度もあいつの救援に行っては、ただ討伐済みの魔獣の後始末ばかりさせられてたろ。エドが怪我をしてたことなんて一度も無かった。万が一にも、俺達のサポートが間に合わなくて怪我をするなんてありえないよ」
「それは、今までの話でしょ。これからもそうとは限らない」
「…そう、言われてもな。正直、エドのほうが俺達に合わせようとしないんだから、連携も何もないぜ」
手元の本に視線をやりながらそう冷たく返すリトに、ヨナはまた不満そうに頬を膨らませた。
「それは…私達が、もっと頑張らなきゃいけないのよ。騎士団を目指すんだったら、彼と同じくらいの実力にならなきゃいけないの」
「無茶言うなよ。あれはもう龍人ですらない格上の生き物だ。言われてるだろ?『神童』って。あいつはきっと、神様の生まれ変わりなんだ」
「で、でも…」
リトは溜息を一つついて、持っていた本を閉じた。
「俺達が必死になってあいつのサポートに回るんじゃ、いつまでたってもチームと言えるような連携なんて出来ない。俺達が上手く連携できないのは、はっきり言ってエドに問題があるから、だからな。一人で全部解決できるって言ってる奴には、そうさせておけばいいんだ。俺達が心配してやる義理は無い」
「…薄情者」
「は。何とでも言ってくれ」
リトは、意地悪く鼻で笑った。
エドとリトの友好関係がさほど良好ではないことを、ヨナは知ってはいた。
ここ最近は、より周囲からの評価を集めているエドに対して、リトが妬みのような感情を覚えていることも。
加えて言えば、彼らはエドが単独行動で魔獣討伐を繰り返すことに、危機感も覚えていた。
仲間に対する遠慮や気遣いなのか、神童と呼ばれた彼のプライドによるものかはわからない。
ただ、彼は今までほとんどヨナやリトの助力を受けつけず、半ば協力を拒否するような勢いで戦いを続けて来ていた。
そうして仲間のサポートと息を合わせて戦うことを受け入れないままで、とても適わないような強敵を目の前にした時。
彼は恐らく、それでも尚、徹底的に援助を受け付けないまま、個人の能力で状況を打破しようと躍起になる。
そういう確信が、彼らにはあった。
それによって大きな損失を追うことになる可能性のことを、ヨナはエドに対する『心配』として、リトとしては自身やヨナに対する『迷惑』として捉えていた。
だからこそ、リトはエドの行動を快いとは思わず、そして彼を助けようとは考えなかった。
彼の身に何かがあった時に、自分達まで巻き添えを受けて戦力を失わないように、という打算的な考え方のもとに。
そういう態度を続けるリトと近頃意見が合わなくなったヨナは、不満に満ちた表情で彼を説得しようとしていた。
彼女は、一度だけ見た、本物の龍騎士が戦う姿をずっと憶えていて。
彼らが一丸となって戦う姿に憧れていたヨナは、どうにかして、この地で同じ夢を持つ三人で、チームとして戦ってみたいと願っていた。
「なあ、ヨナ」
「…何?」
「お前、エドの事、好きなのか?」
ヨナは、きょとんとした顔でリトの顔を見る。
しばらく間を置いて、ヨナは顔を真っ赤にして、顔の前で手をぶんぶんと振り回した。
「いや、いやいやいやいやいや。ないない、ないよそんな事。好きなわけないでしょ、私がエドの事なんて。そういうことじゃなくて、おんなじ龍騎士になりたい人同士だから、ちゃんと仲良くしようと思ってるだけじゃんか。好きとか、そういうんじゃないから、違うから」
「…」
あまりに露骨な反応に、リトはじとっとした目でヨナを見る。
「お前がエドのことを大事にしたいのは、勝手だけどさ。俺の事は、巻き込まないでくれよ。あいつに一生懸命付き添っても、きっと痛い目に遭うのはこっちなんだから」
リトは猶更、不貞腐れたような顔をして、壁にもたれかかって本を読み始める。
突拍子もない事を聞いておきながらそんな態度を取るリトに、ヨナは顔を赤くしたままで声を大きくした。
「何よ!もっと小さい時は魔獣を怖がって、エドに助けて貰ってたくせに!」
「だ、だから何だよ!今、それ関係ないだろ!」
「大ありよ!あの時助けられたんだから、今度は助ける側になろうとか思わないの!?」
「思わない訳じゃないよ!思うのと、出来るかどうかは話が違うってことを言ってるんだろ!?俺達だって、協力すれば魔獣は倒せるけど!エドだけ一人で突っ走って、もし見えない場所で怪我でもされたら、その時は助けようがないって話をしてるんだろ!」
「だから、それは私達の実力不足なのがいけないんだって言ったじゃない!だから頑張ろうねって言ってるのに、どうしてそうやって無理って諦めちゃうかなぁ!?」
お互いに熱くなって、今にも掴み合いになりそうなほどに肩に力が入っている。
「あいつとのセンスの差は、努力で埋まるようなもんじゃない!いい加減お前も諦めろよ、わかってるだろ!?エドは俺達と共に戦えるような存在じゃないんだ、一人で戦って、もし何かあったらその時はその時―――」
「無理とか、諦めるとか、うるさい!この意気地なし!」
唐突な罵倒を受けて、怒るというよりも狼狽した様子でリトは声を荒げる。
「お、お前!俺はあくまで現実的な話をしようとしてるんだよ!なのにお前は頑張るとか努力するとか、そんなことばっかり言うから!」
「理想を追わないで、何が龍騎士よ!」
ヨナが大粒の涙を溢し始めて、リトは思わず息を呑んだ。
すっかり感情的になってしまったヨナは、声を震わせて拳を握り締める。
「わた、私だって色々考えてるのに、出来ない、出来ないって。なんにも認めてくれないじゃない」
「ちょ、ちょっと待てよ。別に根っこから全部否定するつもりなんて…」
今更及び腰になるリトだったが、ヨナの感情はもう収まることは無かった。
「そんなに無理無理言うなら、あなたはずっとここで本の虫になってればいいでしょ!弱虫、泣き虫、引っ付き虫!」
そう出せる限りの大声で捲し立てられ、リトも思わず顔を赤くして言い返す。
「な、なんだよ!おまえこそ勝手にすればいいだろ!あと、泣き虫はお前だ!」
「うるさい、馬鹿!」
涙目になりながら、ヨナは納屋の扉を勢いよく開けて走り去って行く。
彼女が扉を開け放したまま出て行ったことで、納屋の中で舞っている埃が日の光に照らされてリトの目に映った。
彼女が立ち去った後の静寂の中で、彼は横長の椅子に横たわって、手に持った本で自分の顔を隠す。
「なんだよ、エド、エドって。俺の事はどうでもいいのかよ」
そんな彼の呟きは、誰にも届くことは無く。
ただ、彼の顔を覆う、開かれた本のページの中へと吸い込まれていった。
◇ ◆ ◇
それから数日後。
教育施設の代わりも兼ねている修道院の一席に座って、ヨナは黙々と何かを作り込んでいた。
「ヨナ、来てたんだ。何してるの?」
偶々同じタイミングで通りがかったエドが、彼女に話しかける。
ヨナは慌てて手元の何かを隠して、声の主へと振り向いた。
「お、おわ、びっくりした。エドこそ、何しに来たの」
「何って、いつも通りだよ。パウロさんに魔術を教えてもらってた」
パウロというのは、魔術に於いて彼等の師にあたる一人の修道士。
ヨナは、手元に隠した何かを見せようか見せまいか、迷いながら視線を動かしていた。
彼女は、おずおずと、目を合わせないままで話し出す。
「エド、憶えてる?」
「憶えてる…って、何を?」
「何年か前、この街にでっかい影の獣が出た時の事。西側の牧場がめちゃくちゃにされちゃったでしょう」
エドは「ああ」と声を漏らす。
「憶えてるよ。大事な山羊たちがだいぶ犠牲になってしまった時の話だよね」
「そう。あの時、偶然、パリから龍騎士が何人か、この街に来てたでしょう」
「来てたね。あの人たちが居なかったら、犠牲は山羊だけじゃ済まなかったかもしれない。今思い返してもぞっとする」
「あの時、私達は、なんにも出来なくて。ただ、あの人たちが戦う姿を遠くから見てた」
「…」
ヨナの真意がまだ分からず、エドは黙って彼女の次の言葉を待つ。
「あの時、エド、言ったでしょう。僕達も、あんな龍騎士になりたいねって」
『僕達』、という部分を彼女は強調して話す。
「私は、ただ龍騎士になりたいんじゃないの。一人で戦うんじゃなくて、お互いを支え合って、信じあえる人と一緒に龍騎士になるのが夢なの」
そう言いながら、ヨナは手の中に隠していたものをエドに見せた。
それは、小さな旗のような見た目のアクセサリー。
ヨナが編んだ、布製の手作りのもの。
「これ、持ってて。チームの証」
「…」
エドは、差し出されたそれを黙って受け取る。
「作り方、誰かに教えてもらったの?」
「…修道士さんに教えてもらった。いいでしょ、そういうのは」
ヨナは恥ずかしそうに目を逸らす。
「私も、同じの持ってるから。忘れないで、武器か何かにつけておいてね。何でもかんでも一人でこなしちゃ駄目だよ」
「…わかった」
意外そうに目を見開いたまま、エドは静かにそう呟いた。
「夢、か」
「そう。何よ、文句でもあるわけ」
ヨナは猶更恥ずかしそうに顔を赤くする。
「いや、無いよ。ただ、僕の言葉がきっかけだなんて、ちょっと恥ずかしくなっただけ」
そう言って笑うエドの顔を見て、ヨナはまた一層顔を赤くして立ち上がった。
「べ、別にエドがああ言おうが言うまいが、私の夢は変わらなかったけどね!にやにやしないでよ、もう!」
エドがにこにこと笑う顔を見ていられなくて、ヨナはすぐに彼に背中を向けて歩き出した。
そんな彼女の背中へ向けて、エドは「ありがとう」と声を掛ける。
それが聞こえたのか聞こえなかったのか、ヨナは一瞬だけ立ち止まった後、何も言わずにそそくさと修道院を後にした。
その場に残ったエドは、貰ったアクセサリーを指で触って、網目の模様をただ眺めていた。




