6-09 忘却の呪い
同時刻、迷いの領域。
ジルコが放った弾丸は、魔女の子供に届く前に、その背丈よりも大きな大剣で弾き返された。
霧雨が、彼らの沈黙の中で気が付いたように音を立てる。
「―――よお。何やってんだよ、お前」
ジルコが、乗っていた騎士団員用の小型二輪車を完全に停止させて、口を開く。
「…」
薄紅色の髪を静かに濡らす彼女は、何も言わずに彼に視線を返す。
「探してたんだぜ。二年前、何の便りも寄越さねぇで消えたお前のこと」
怒気の混じったその声に、彼女は尚も言葉を返さない。
ジルコは二輪車から降りて、銃剣を左手に持ったままで数歩、前に出る。
「ライラはずっとお前のことを気にして後悔してた。自分が力不足だったからテメェを救えなかったと。エドもリトもずっとお前を探してた。俺だって、多少はお前のこと探してたんだぜ。…なあ、この二年間、何をやってた?」
返事など待つ事もなく、彼は続ける。
ゆっくりと、怒りで震えそうになる声を抑えながら。
「記録を見た。魔女を匿ってただろ?パリの端の汚ねぇ家で。ラベトの村の壊滅も、お前、関係あるよな。全部、知らねぇ顔かよ。今も尚、魔女の味方か。これだけ周りに迷惑かけて、この期に及んで、何を狙ってんだ?世界でもぶっ壊すつもりなのか」
大剣を片手で構えたままのヨナの姿に、彼は血管が浮き出る程に怒りを露にする。
「バルベナの件、あのテロリストは味方か?魔女連れて逃げたあの衛兵団の女とも、裏で組んでんのか?なあ、一言くらいなんか言えよ。お前の事情や気持ちを表明しろと言ってるわけじゃねぇ。これだけ世間を滅茶苦茶にして、それだけのことをやるほどの理由があるなら、教えてくれって。そう言ってんだよ」
「…」
「なあ、シカトこいてんじゃねぇぞ」
尚も視線を返すだけの彼女に、ただ言葉を投げるだけの状況に彼の怒りは限界に達して。
「答えろよ。なんで答えねぇんだよ、なあ!」
声を荒げる。
銃剣を持ち換えて、彼女に向ける。
そのまま引き金を引く。
弾丸はまたも受け流されて、反撃に転じたヨナは数歩分離れたジルコの目の前に一瞬で辿り着いて、次の瞬間には大きく剣を振りかぶっていた。
ジルコは当然の様に銃剣で攻撃をいなす。
その反動を回転力に変えて、身体を回転させて銃口を再度ヨナに向ける。
放たれた弾丸は頬を掠めて、彼女は振り切った大剣を軸にしてジルコを蹴り飛ばす。
その間、一秒もない攻防。
蹴り飛ばされたジルコは受け身を取りながら銃剣を構える。
その先にいるのはヨナではなく。
へたり込んだままのレリアと、状況についていけないレテの二人だった。
三発目の弾丸は弾き切れず、彼女達を庇ったヨナの肩に当たる。
殺意の籠った眼と双角を輝かせて、少しの怯みも見せずにジルコに襲い掛かる。
飛んで掴みかかったヨナを潜り抜けるように背後を取って、彼は大剣を奪い取る。
「弱ぇんだよお前は、昔から」
そのまま地面に叩きつけられた彼女は、うつ伏せになって取り押さえられる。
腕は後ろに回され、両脚は踏みつけられて動きを封じられる。
無力化したと思って一瞬油断したジルコの身体を、彼女は手首と腰の力だけで、呻きながら引き倒した。
自由になった脚でそのままやり返すように彼を踏みつけて拘束を解く。
その異常な筋力にジルコは警戒して距離を取る。
「何食って鍛えたんだよ、お前!人間が出していい筋力じゃねぇ。どっかで洗脳でもされて、人語も解さねぇバケモンになったのか」
奪い返した大剣を構えて、うう、ふぅ、と息を切らすだけで何も返さないヨナに、ジルコは馬鹿にするように口を開く。
「は、さては魔女でも喰ったか。それでおかしくなっちまったのか、可哀そうにな」
―――ただ煽るために放ったその言葉が、真実などとは知る筈もない彼に対して、ヨナは呼吸が止まるほどに激昂して双角を輝かせる。
悲鳴なのか、咆哮なのかわからない声を上げて掴みかかる。
腕が折れる程の力で掴まれた彼は、いよいよ手加減など出来なくなって彼女を投げ倒す。
「ああ、そっちがその気なら容赦なく殺してやるよ!もういいんだな、エドにもライラにも挨拶できなくていいんだな!」
ヨナは獣のような呻き声を上げて、首を絞める彼の腕を解こうと藻掻く。
怒りに身を任せて掴んでくる彼の掌は限界をとうに超えた握力を見せて、ヨナの命を奪おうとする。
必死の抵抗でジルコの胸ぐらを掴んで、引き倒そうと、あるいは突き飛ばそうとするが彼は動じない。
怒りに満ちた形相のまま、ヨナの瞳から僅かに生気が抜け始める。
刹那、地面から突如現れた巨大な蔦がジルコを跳ね飛ばす。
受け身を取り損ねて高原に転がった彼が視線を向けると、必死にヨナを助けようとする魔女の子供が、泣きそうな顔で腕を前に伸ばしている。
「邪魔すんじゃねぇよ悪魔の子供がァ!」
大声を張り上げてレリアを殺そうとする彼に、弾丸を越える速度で大剣が飛んでくる。
右腕が吹き飛ばされて、立て続けにヨナの拳が彼の胴体を突き刺す。
ヨナの拳を残った左腕で掴んで離さなかったジルコは、空中で彼女を振り回して高原に叩きつけた後、魔術で強化した掌底打ちで彼女の心臓部を貫く。
身体に穴こそ空かないが、衝撃そのものは地面にまで伝わる。
口から血液を吹き出して、彼女の目は虚ろになる。
呻き声を上げながら、ジルコの襟を掴んで投げようとする。
腕を失った右肩から血を流しながら、殺意は一切失われない瞳で、彼は左手に銃剣を構える。
その銃剣は、まず先に地面から湧いてきた蔦や巨大な蔓を撃ち抜いて無力化する。
「やめて、もうやめて」
レリアが泣きながら魔法でヨナを助けようとする。
逃げようと執拗に叫んでいたレテは、いつの間にか蔦に巻かれて、必死になってレリアを説得している。
このままでは、両者が命を落とすことは明白だった。
怒りで我を忘れて、最早目的さえ見失って只の殺し合いを繰り広げている。
「逃げろ、あの女に手を貸すなレリア!まともに狙われたら余でも逃げ切れない、お前まで死ぬぞ!同じことを何度言わせる、早く拘束を解け大馬鹿者!」
レテの叫び声に耳も貸さず、レリアは必死にジルコの行動を妨害しようと魔法を使い続ける。
ただ数回会っただけの龍人の女性に、異様なまでに執着してそこを離れようとしない。
それでも彼の銃剣はヨナの頭に向けられ、引き金に指を掛けられて火を吹く寸前に至っていた。
―――たすけて、誰かあの子を止めて。
それはその場にいる誰の声でもなかった。
ヨナを殺そうとする彼を、近くにいたその誰もを、飲み込むように影は流れ込んできた。
冥界の扉。
影の魔女達が、影の獣たちが辺りを駆け回る。
ワルプルギスの夜に匹敵する影の群れが辺りを埋め尽くす。
脚を奪われたジルコは、ヨナの頭を狙った弾丸を外し、地面に突こうとした右腕が無い事に気が付くのと同時に、影の波に連れ去られて冥界へと消えた。
影の魔女達は、彼女達のことなど気にも留めずにどこかへと走り去って行く。
獣達も、何かもっと恐ろしいものに追われているかのように駆け抜ける。
冥界の魔女の叫び声が、遠くから聞こえる。
聞くだけで辛くなるような、泣き喚く声。
意識が消えかける中で、虚ろな瞳でヨナはその影の魔女達を捉える。
息切れも収まらないまま、双角も輝かせたままで、誰かを探している。
駆け回る影の魔女達の中で、一人だけ立ち止まって彼女を見ている子供の影が、僅かに、ただ確かに彼女の目に映る。
ぬいぐるみのような何かを抱えた、兎の耳の小さな魔女。
「―――ロビィ?」
小さな魔女は、何も言わずに、ただ、ただ立っている。
「レリア!余の近くに、早く!」
蔦を振り解いてレリアの服を掴んだまま、レテは影の波に呑み込まれる。
レリアの足元も海のように影に覆われて、そのまま呑み込まれていく。
姿が消える間際、獣の神の瞳が光る。
この世の終わりのような光景が目の前に広がる中で。
何故だか、ヨナだけは、嬉しくてたまらないという顔で、きっと昔に見せていた本当の聖女のような笑顔で。
会いたかった、会いたかったと呟きながら、影の波に呑み込まれていった。




