6-07 石を穿つ
また少し時は戻り、最早街とは言えない程に破壊されたバルベナの街。
中央付近で辛うじて形を保っている病院施設内に、足音で伝わる程の怒気を放った龍人の男が姿を見せていた。
「ジルコ」
目を覚ましていたエドは、マリーと、その場に残っていたカミヤ・フェリスに様子を窺われながら、ベッドの上で体を起こして窓の外の様子を見ていた。
衛兵団の隊長として保っていた筈の鋭い瞳は鳴りを潜めて、頼りない視線をジルコに返す。
そんな彼の様子を見ても尚怒りを隠さず、床を踏み抜こうかという勢いでジルコは足を進めて、そのままエドの胸ぐらを掴んだ。
余りの力の強さに、エドの身体が僅かにベッドから浮く。
驚いて、その場の誰もが腰を上げる。
「言い訳でもしてみるか?」
「…」
苦しそうな顔で、エドは彼に視線を返す。
ただ、何も言い返さない。
信じられないという目で見て来る周囲の女性陣のことなど意にも介さず、ジルコは続ける。
「二年前のセブレムの事件に関与した男が、この件の引き金だったと聞いている」
エドの反応を見ながら、彼は話す。
「それとは別に、魔女が街の一角を破壊して死傷者を出したことも確認した。この街をこの有様にしたのも、同一の魔女だという話も出ている」
街を破壊した魔女の姿を覚えているカミヤとフェリスは、何も言えずに視線を逸らす。
「セブレムで起きた、研究員の集団昏倒事件。お前も関わっていたのはわかってる。俺達が、この話を知らない筈がないって、わかってるよな」
ジルコは小さく息を吸い込む。
「―――なあ、エド。これは仮定の話だ。目ぇ逸らさないで、ちゃんと答えろよ」
エドが視線を返したことを確認して、彼は話す。
「お前が俺達に黙って隠していた魔女の子供。あれを殺しておけば、救えたものがどれだけあったか、一度でも考えたか?」
立ち上がろうとしたのは、横で聞いていたカミヤだった。
駄目だ、とフェリスが抑える。
「確証が無いから黙っていた。お前が街の英雄であるのを知っていたから、目を瞑っていた。その結果がこれだと、俺はこの街を見て半ば確信している」
「…」
「お前が見逃した魔女が、結果的にこの街を破壊した。救った数よりも多くの人間を殺した」
その仮定の些細な誤りを正すことが、かえって事態を悪くすることを彼女達は察して、口を噤む。
ジルコの瞳が輝く。
「昔から、お前らの掲げる正義が嫌いだったよ。守ってんのは、ずっとテメェの頭ん中の正しさだけだった。騎士団や衛兵団は、正義の味方だと。お前もヨナも、よく言ってたな」
彼の腕に力が籠る。
「俺達が守ってんのは正義じゃねぇ。法と、秩序だ。それが必ずしも倫理に即していなくても。俺達は、多を救い、少ない犠牲を見捨てる。こういう事態を防ぐために、不幸の芽は早くに摘むのが騎士団の仕事だ。それが嫌なら、趣味でヒーローごっこでもやっていろと。俺は、常々言っていた」
エドの瞳が僅かに鋭くなって、彼を覗き返す。
ジルコは怯まずに続ける。
「俺は変わらねぇ。魔女は全て殺すべきだと今でも思っている。この街を破壊した魔女も、必ず見つけ出して殺す。今までに取り逃した魔女も、俺の故郷を奪った魔女も全てだ」
耐えられなくなって、ジルコの腕を横から掴んだのはカミヤだった。
彼の鋭い視線に僅かに怯えながら、彼女は「やめてよ、エドだってずっと苦しんできたのに」と凄む。
フェリスに慌てて引き戻されるカミヤの様子を見ながら、ジルコは掴んでいたエドの胸ぐらを離した。
「…」
ジルコが、突然に窓の外へ銃を向けて引き金を引く。
砕け散る硝子に、女性陣は驚いて身を縮める。
「エド。お前、この街に来て、本当に情けなくなったな」
彼が視線を送る先、窓の外の道の端には、既に使用された形跡のある魔法陣が見える。
「今、ニヴァリスの気配があったの、気が付かなかったか?」
当然、エドが気付かない筈がない。
それをわかった上で、ジルコは見下したような視線を向ける。
「お前、この仕事向いてねぇよ、やっぱり」
彼から背を向けて、部屋の外へと立ち去ろうとする。
去り際、僅かに振り向いて告げる。
「戦うのが辛いなら、もうずっとそこで寝とけよ。後は、俺が全部終わらせてやるから」
エドは、何も言わずに彼が立ち去るのを見送る。
窓の外には、今も慌ただしく街を駆け回る騎士団員と衛兵団員の姿があった。
◇ ◆ ◇
そんなやり取りがあった後。
璃空がアゼリアの街に辿り着いて、まだ希望を捨てるには早いとシリルを置いて立ち去った、その更に後。
パリの街へ璃空が到達した時、そこはもう以前の穏やかな街ではなくなっていた。
厳戒態勢が敷かれ、街には殆ど人が歩いていない。
その往来のど真ん中、堂々と立って誰かと立ち話をしているのは、街の医師クリスであり、全ての首謀者ガランサスでもある彼だった。
振り返って、ガランサスは呟く。
「遅かったね。もうこちらの準備は終わったけど」
彼の隣には、見覚えのある桃色の髪をした女性の姿があった。
騎士団の服、魔導士らしい何かの本。
何やら気が重そうに肩を落として、本を胸元に抱えて俯いたままでライラは視線を上げた。
「…リュック」
目が据わった彼女は、璃空の姿を見ても驚く様子は無い。
ガランサスの発言にも然程興味を示さない。
「洗脳魔術っていうのはね、心が弱っているほど効き目が強いんだ。精神を病んで、医者にかかるような人間は特にね」
ガランサスは穏やかな笑顔のままで話す。
「悪だと思って追い詰めた人がかつての友人だった。捉えた魔女が無辜の子供だった。そこで二の足を踏んで友人を助けられもせず、誰かに打ち明ける事も出来ず。そんな過去を持っている彼女が、また君を追い詰めないといけないなんて、辛い話だろう?」
隣にいるライラを見下ろしながら続ける。
「だから、励ましてあげたんだ。この辛い戦いを乗り越えられるように。きっとこの街の為になると。思い出して、ライラ」
「…」
ライラはふらふらと足を揺らして、苦しそうに息をしながらリュックの顔を見た。
何かを思い出しながら、目も合わせないで彼女は話す。
「リュック、ごめんね。私、なんにも、できない人間だから。せめて、騎士の仕事は果たさなきゃいけないの。私の感情で、もう人に迷惑かけたくないから。あの魔女の子を傷つけたことも、ヨナのことも、受け入れないといけないの。今度は失敗してはいけないって。そう、クリスと話してわかったの」
「もしかしたら戦いは避けられないかもしれないね。この戦いが終わったら、ヨナの事はエドに話そう。彼女を探して、助け出してあげるんだ」
「う、うう」
頭を押さえて苦しむライラに、ガランサスが囁く。
「戦う前に、少しだけリュックに話す猶予をあげよう。まだ、言葉で解決できるかもしれないよ」
「そ、そうね。まだ、きっと分かり合えるわ」
顔を上げて、彼は問いかける。
「さあ、リュック。ひとつ、確認をしよう。君は、何をしにここに来た?騎士団や僕に、助けを求めに来たんだろう?呪いを受けてしまったエリアを、元に戻して欲しいんじゃないのか」
「違うよ。貴方には用は無い」
「…じゃあ、何をしに?」
璃空は、静かに右手を差し出す。
「冥界の箱、出して」
ガランサスの表情が一転して冷たく変わる。
心底つまらないものを見るような、見下しきった眼を璃空に向ける。
「どうして、僕がそれを持っていると思う?」
「エフタがそう言っていたから」
「ふざけるな」
なお一層視線を冷たくする。
「彼は消えた。この世界を諦めて逃げた。千年を超えて今更その名前を出さないでくれ、虫唾が走る。一体どこでその名前を知った?どうやって僕が箱を持っていると知った?ニヴァリスが余計なことを言ったか?」
急に言葉が増えたガランサスに、璃空は構わず続ける。
「捨ててないよ。彼は冥界を元に戻そうとしている」
「黙れ、聞きたくない。元に戻す?何を言ってるんだ、魔女の里はどうした?神様になる約束はどうした。まさか獣の神に全てを返して自分は消えるつもりか?彼はそんなつまらないことを考える人間じゃない。僕との時間を、アゼリアとの時間を無駄になんてしない。もし彼が帰ってきてそんなことを言うのならば、それは最早エフタとは言えない別の誰かだ。認めない、絶対に認めない」
逆に、璃空が彼に冷たい視線を向ける。
「失敗したんだ」
「黙れ!」
ガランサスは無線機のような何かを耳に当てて、「始めろ」と呟く。
その矢先、上空で戦闘機のような物体が高速で駆け抜けて、その凄まじい音圧と風圧、そしてどこからか繰り出された不可視の斬撃で、街の硝子や煉瓦は端から砕かれ始めた。
バルベナで行われたテロと全く同じ光景。
レヴァも斬撃の魔女も存在しないままで、過去の事件を完全に模倣した攻撃を、彼は再現していた。
「―――時間切れだ、ライラ。いいか、わかるかい?これは彼女が引き起こした攻撃だ。この街に彼女が来たから始まった。バルベナの街もこの街も、廃墟に変わりかねない。防ぐためには戦うしかない」
そう囁かれて、ライラは混乱したように辺りを見回す。
彼女の龍の瞳は不安定に輝いていて、正気には見えない。
腰に付けられた無線機からは誰かの叫び声が聞こえるが、それに彼女が答えることは無かった。
再度、ガランサスは自身の無線に手をかける。
「ニヴァリス。もう一人の…ああ、名前も忘れたが。あの眼鏡の龍人は上手く釣れたかい」
何らかの返答を聞き、彼は満足そうにまた視線を璃空に向ける。
「さようなら、偽物。君には長いこと困らされたが、厄災が完成した今は遠慮することもない。全てを犠牲にしてでも、君を殺して冥界を奪おう」
彼の前に出たライラは、もう優しい目をしていなくて。
ただ任務をこなすための、冷たい戦士の瞳で璃空を見据えていた。
◇ ◆ ◇
「ねえ、待ってよ。勝手に出歩いてはいけないって、あの女の人に言われたでしょう」
雨の降る迷いの領域。
レリアにそう説得されながらも、聞く耳を持たず歩き続けるレテはずっと前を見据えていた。
「確かにそう言われたし、危険を省みずに歩いていることは認める。だが、戻ることはできぬ。かなり、かなり今はマズい状況にあるのだ。悪いが、ここまで来たら貴様にも力を貸してもらうぞ、レリア」
「何の話?どうしてこんな所まで歩いてきたの」
「見ただろう。街にも、ここに来るまでの道にも。カラスが至る所にとまっていた。目のないカラスが何羽も、そこかしこに」
「それは、見たけれど。エリアを探すんじゃないの?ここに、あの子はきっといないでしょう?」
「そうではない」
レテは変わらず前しか見ない。
意図が分からず、レリアは首を傾げる。
「冥界の様子がおかしい」
周囲の霧の中、ぼやけるような影。
それは光に遮られてできた影ではなく、冥界の魔女の使い魔。
失われた魔女の里から現れた、過去の魔女達の残滓。
彼女達が、かつてのワルプルギスの夜と同じように、現世に姿を現していた。
誰かを探すように、助けを求めるように。
冥界の主が起こした癇癪を、誰かに宥めて欲しいと懇願するように、必死に。
世界が崩れる予兆。
「気付いているか知らんが、貴様、魔女の中でもかなり上位に位置する魔力炉を持っているのだ。肉体のスペックだけで言えば余よりもな」
「あなたがしょぼいだけでしょう」
「貴様ほんっ…!!んぐ、とにかく!冥界の魔女を少しでも安全に宥めるには貴様も要るのだ!いいからついてこいと言っている!」
余裕のないレテの顔を見て、レリアは仕方ないと言うように溜息を吐く。
「まあ、案ずるな。余の力があれば、万が一にも死ぬようなことはなかろう」
レテは、そう言いながらふと辺りを見回す。
同じく異常を察知して迷いの領域に姿を見せていた、龍騎士のジルコと目が合う。
「「…」」
ゆっくりと、落ち着き払った様子で、レテは口を開く。
「それじゃあ、早速なのだが。余を助けてくれ、レリア」
「本当に付いてくるんじゃなかった、信じられないわこの駄目女神!!」
二人の髪に紛れる獣の耳を見た矢先。
ジルコは既に、懐に隠していた銃剣に手を伸ばしていた。




