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私達にも安寧な生活を!  作者: 枯木えい
六章:不滅の因果
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6-06 諦めを諦めて




 それから、何か月か経った後。

 あの子のお母さんは、家から出かけたっきり、ついに帰って来なくなった。

 出かけるときは、いつもと変わらなかったのに。

 はい、終わり。

 そう言われてお皿を下げられてしまったような、そんなあっけない終わり方だった。


 私もあの子も、ああ、そうか、という顔しか出来ないで、その日の晩御飯を一緒に準備した。

 勿論、私は一緒には食べられないままで、あの子の正面に座って、ただ乱雑に切っただけの野菜の盛り合わせを食べる姿を見守っていた。


 いつも煩く泣いていたあの子は、その晩は拍子抜けするほどに静かに過ごして、まるで今までずっとそうしていたかのように、あっさり寝床についてしまった。

 子守歌も無しに、たった一人で。


 次の朝には、あの子は私のことが見えなくなっていた。

 おはようと言っても、足をかけようとしても、なんにも気が付かないで通り過ぎていった。

 一人でごはんの準備をして、一人で食べて、一人で本を読んで、一人で眠る。

 そんな日々が、気付けばもう何日も繰り返されていた。


 あの子は、もう一言も話さなくなっていた。

 愛されようとすることを、やめてしまっていた。

 声を出したら何かが零れてしまうとでも言うように、何があっても絶対に声を押し殺して、静かに、静かに過ごしていた。




 ある日、そこらで採れる木の実やらなにやらで食い繋ぐのも無理が出てきて、腹をすかせたあの子は、お母さんの残したお金で街に買い物に出かけた。

 なんで私が後ろをついて行ったのかは、わからない。

 特に街には興味が無かったのだけれど、待っていてはいけないような気がして、慌ててその後を追って街へ出かけた。


「これで、食べられるもの、もらえますか」

 自分ふたりぶんくらいの背丈のある人に、あの子は怯えもしないで話しかけた。

 大人の男の人は、なんだか嫌そうな顔をしながら、棚に置いてあった林檎をひとつだけ掴み取ってあの子に渡した。

 あんなにお金を渡したのに、これしかもらえないのかな。

 そんなことを思っていると、奥から現れた女の人が、男の人の頭を叩いて、ごめんね、と言いながらもっと沢山の食べ物を分け与えてくれていた。


 今度は持ちきれないほどに豆や野菜を渡されて、あの子は大きな籠をふらふらさせながら、なんにも考えていなさそうな顔をして、「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。






 あの子が次に笑ったのは、ずっと、ずっと大きくなってからだった。

 急に、降ってくるように現れた黒髪の女の子だった。

 ずっと、ずっと前に見たあの笑顔。

 子供の頃の、私と初めて会った時の笑顔だった。


 それからのあの子の毎日は、驚くほど華やかで。

 つらくても、苦しくても、必ず助け出してくれる人が近くにいた。

 息苦しいこの街での暮らしに灯りを見つけて、その先にあるもっと明るい世界にまで導いてくれた。


 友達が出来て、妹が出来て、人から感謝されるお仕事まで見つけることが出来た。

 楽しくて、楽しくて。

 今までの苦しかったことなんて、何にもなかったみたいに、世界の全てが輝いて見えていたんだ。


 それを最後に奪ったのは、私だった。






 ―――目が覚める。

 長い夢から覚めて、自分が誰だったのかを考える。

 そこは、見覚えのあるあの子の家だった。


 灯は消えて、薄暗い中で体を起こす。

 硝子で出来た戸棚に映った自分を見る。

 映るのは、ずっと夢の中で見守っていた、金色の髪の女の子。

 私が羨んで、憎んで、冥界でその全てを食いつくした女の子だった。


 床を見ると、花を植えていた植木鉢が粉々に砕け散っている。

 土は巻き散らされて、あの子が大切にしていた花は力なく床に張り付いている。


 元に戻さないと。

 自分がやったことに違いないのに、どうしてそんな酷いことをしてしまったのか、理解が出来なかった。

 自分が奪ったことに違いないのに、どうしてその目に映る細い腕が、そんなに自分を苦しめるのかわからなかった。


 悲しくて、悔しくて、訳も分からないままに涙が零れるのを止めることもできないで、ただひたすらに床に落ちた土と破片をその腕で搔き集めていた。






◇ ◆ ◇






 腕を掴まれて、半ば錯乱していたシリルは漸くその手を止めた。

 目の前には、夢で見ていた黒髪の少女の姿。

 璃空は悲しんでいるのか、怒っているのかわからない顔で、苦しそうに目を細めてシリルの姿を見下ろしている。


 無言のまま、二人は視線を合わせ続ける。

 シリルの瞳の中にまだ濁りが見えることがわかって、彼女が元に戻った訳ではないことを璃空は理解する。

 互いに言葉を発することが出来るような精神状態ではなく、ただ呼吸も出来ないままで相手の瞳を見据え続けた。


 厄災とまで呼ばれた筈の少女が、璃空の胸元に半ば頭突きでもするように倒れかかる。

「―――ぇんなさい、ごめんなさい」


 ぼろぼろと床に涙を落として許しを請う。

 どれだけ大事なものを自分が壊したのかを、今更に理解して泣きじゃくる。

 恨むことも出来ずに、璃空はただ受け止めて黙り込む。

 謝られるほどに、もう元には戻れないことを突きつけられるような気がして、璃空の目にも涙が浮かんだ。


 床に落ちた花はもう生き返ることは無い。

 そんな、ごく当然のことが悲しくて、押し倒されたままで彼女は目を伏せた。




 それから数日が経つ間、何故か彼女達を追い詰めようとする追手もなく。

 ただ二人は疲れ切った眼をしたままで、ただ食事と睡眠を繰り返して、自ら命を絶つでもなく無意味な日々を続けた。


 突然に扉は開く。


「―――あと、どれだけこの時間を続けるつもり?」

 そう口火を切ったのは、突然その家に現れた薄紅の髪の騎士だった。


「…」

 なにも言葉を発さず、驚きもせず、璃空はヨナの顔を見つめ返す。


「あなたの戦いは、これでおしまい?」

 蔑むような、威圧感さえ感じるような瞳で騎士は告げる。


「いずれ、どうにもならない暴力が貴方達をこの世界から追い出そうとする。きっと、私も守り切れずに命を落とすわ。その時、貴方達は黙ってそれを受け入れて死ぬ?自ら選択をすることも放棄して、ただ誰かが殺してくれるのを待つ?」

「…」

 尚も、璃空は言葉を返さない。


「諦めているなら、その子を食い殺そうとしないのは何故?」

 その言葉に拒否感を覚えた璃空は、うう、と呻き声を上げて、頭を抱えて蹲る。

 何かを思い出すように、その記憶を拒絶するようにかぶりを振って、額を床に擦りつける。


「嫌だ、嫌だ」

 頭にこびりついて離れない誰かの記憶が彼女を苦しめている。

 左手に残って離れない包丁と血液の感触がそれを拒んでいる。


 ヨナは何かを試すように、冷たい視線のままで、「代わりに食べてあげようか」と呟く。

 突然立ち上がって彼女に掴みかかった璃空は、言葉を一切発さないままで、瞳だけで「それは絶対に許さない」と訴えかけた。


 その瞳を見て、ヨナは応戦するように璃空の頭と肩を掴む。

「嫌だと言うなら戦いなさい。まだその子は死んでない。理不尽に殺されたりしていない。戦えば助かるの、まだ幸せに生きられるの」

「助けられるかなんてわからない、幸せだなんて私には思えない」

「幸せにならなきゃいけないの、私達がそうしなきゃいけないの」

「そんなの、どうやったって、私達には」


 腰のベルトを掴まれて、璃空は大きく投げ飛ばされて部屋に転がった。


「するの」

 龍の瞳で、ヨナが刺すように見下ろす。

 薄暗い部屋の中で、瞳だけが眩く光る。


「誰かを殺してでも、願うの。自分たちだけが幸せになれば、それでいい。そう覚悟を決めないと、私達は生きていけないの」

 その気迫に、璃空は黙り込んで息を呑む。


「あなたが諦めると言うなら、私はあなたを殺してその子を連れていく。追いかけてくる人たちを殺し返して、意地でも守り抜く。私が死んでも、その子だけは助かるように隠し通す」

 璃空は手を突いて、今にも襲い掛かられそうな圧に半ば怯えて視線を返した。


「次に私がここに来るまでに行動を起こさなければ、私は本当に貴方を殺すわ。これ以上、無駄な期待に時間を使うことはできないから」

 ヨナはそれだけ告げて、目を刺すような外の明かりの中に姿を消していく。

 扉が閉じた時、そこに残されたのは惨めに座り込む璃空自身と、力なくソファに横たわるシリルの二人だけだった。




 ―――次の日、シリルは突然にアゼリアの街を見たいと声を上げた。

 退屈だからというよりも、何かどうしても見たいものがあるという面持ちで、親に許可を得る大人しい子供のような様相で、璃空の顔を覗き込んでいた。


「どうしたの、急に」

 そう聞き返しても、シリルはただ視線を返すだけで何も言わない。

 正直断ってもいいとも思えた中で、ほんの少しだけ気力を掘り起こして、璃空は小さな声で「いいよ」と答えた。




 久々に訪れたアゼリアの街は、彼女達の憂鬱などまるで知らない様子で、ずっと前に見た優しい農村地帯の光景だけがいつも通りに広がっていた。

 ずっと薄暗い屋内に引きこもっていた璃空の瞳が、日の光に刺されて痛みを訴える。


 バルベナの街で起きた事件のことさえも知らないのか、街の人々は至極穏やかに挨拶を交わし合っていた。


「ああ、この間の。元気そうで何より、困りごとがあるなら言ってくれよ」

 すれ違いざまに、見覚えのある男性が璃空にそう声をかける。

 シリルの姿を見ても尚、訝しげな顔ひとつせずに挨拶を投げかけていく。

 始めて見る筈の景色を、シリルは何故だか懐かしむような顔で眺めていた。




「帰ってきてたんだ」

 声をかけたのは、ずっと前に見覚えのある男の子だった。

 風船を掴もうとして、窓から落ちそうになったところを二人がかりで助けた少年。

 彼は、二人の姿を見るや否や、嬉しそうに小走りで近寄ってきて、その小さな体でシリルの顔を見上げた。

 何のことかわからないで、シリルは首を傾げる。


「ああ、久しぶり。元気そうで何よりだよ」

 璃空が、膝を折って横から声をかける。


「あ、龍人のお姉さんだ。ねえ、この間の凄い勢いで走るの、また見せてよ。僕、あの時は落っこちてる中だったから良く見えなかったんだ」

「あは、あんまり無闇に走ったりできないよ。私が力を込めて踏み込んだら、せっかく綺麗に均してる床が砕けちゃうから」

 そっかぁ、と少年は床に敷き詰められた煉瓦を眺める。


「ねえ、そうだ。この間のお礼、あげるね。僕がこの間作ったんだ、これ」

 少年はポケットから、やや歪な草冠を出して差し出してくる。

 無理矢理押し込んでいたせいか、巻きつけられた花や葉は若干潰れてしまっている。


「…」

 シリルは興味深そうにそれを眺める。

 ふと、思いついたように璃空はシリルを指差す。

「…この子が、それ欲しいみたい。私はいいから、渡してあげてよ」

「そうなの?いいよ、どうぞ」


 シリルはそれを受け取って、裏返したり回したりして、まじまじと眺める。

「首に巻けるんだよ。ほら、この部分が外して付けなおせるんだ」


 少年が言うままに輪の一点を外して首に回し掛けると、それは花のネックレスに姿を変える。

 今までに見せていた邪悪な笑顔などどこかへ消えてしまったかのように、彼女は嬉しそうに目を細めて笑った。

 かつての、エリア本人とまるで同じ笑い方で。


 璃空は無意識に呼吸を止めて、その横顔を見た。




 少年と別れて、また二人は歩き出す。

 シリルは心なしか先程よりも足を弾ませて、辺りに見えるもの全てに興味を示して駆け寄ったり、立ち止まってひたすらに眺め続けるような行動を続けた。

 徐々に、エリアの人格が戻ってきているような。

 そんな錯覚が、璃空の感覚を少しずつ麻痺させていった。


 人気の少ない通りの端まで辿り着いて、シリルは急に振り向いて璃空に話しかける。

「ねえ、この街って、とってもいいところだね」

「…」

 その真意がまだわからなくて、璃空は黙って視線だけを合わせる。


「私ね、こんな気持ちになるの、初めてなの。なんにも、一つも奪い取ってないのに。全部、私のものみたいに思えるの。みんなが、私がこの街に居てもいいよって、言ってくれているような気がするの」

 それは、エリアがずっと欲しくて仕方のなかったものだ。

 そう言いかけて、璃空は悲しくてどうしようもなくなって、その場でしゃがみ込んで両手で顔を覆った。


「どうしたの」

 シリルが駆け寄って、隣で屈んで璃空の顔を覗き込む。

 最早別人になってしまった彼女に、縋ればいいのか怒ればいいのかもわからずに、璃空はただ苦しそうに息切れだけを響かせた。




 次の日、璃空は眠っているシリルを家に置いて、その場所から姿を消した。

 まだ全てを終わらせてしまうには早いと、一番幸せだった頃を取り戻すことができると自分に言い聞かせて。

『冥界の箱を手に入れて迷いの領域に帰る』というエフタからの命題を果たすべく、彼女は一人でパリの街へと向かうことを決めた。






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