6-04 一番愚かな復讐
時間は少し戻り、璃空がシリルを抱きかかえて落下した先。
速度そのままに、遠くへ向かって弧を描いて落ちた二人は、何の因果か、つい同じ日に冥界の魔女と厄災が戦った地へと転がり込んだ。
既に住人はどこかへ逃げ去って、誰も居なくなった廃墟。
一緒に笑い合っていたノエルやデボラの姿は見えない。
「…」
シリルはきょとんとした顔で仰向けになって、覆いかぶさってくる璃空の顔を見ている。
璃空も何も言わずに、ただ刺すような龍の瞳で視線を返し続ける。
んふ、あはは、とシリルは笑いを溢した。
面白くてたまらないという顔で。
まるで、初めて璃空とエリアが出会った日のように、仰向けのままで楽しそうに笑い始める。
璃空は何も言わない。
僅かな静寂が続いた先、いつの間にか接近していた、不審な足音の群れが彼女達を囲い込んだ。
璃空が顔を上げるより先に、銃弾が彼女の頬を掠める。
「―――おい、お前、馬鹿!」
男の声。
指揮官らしき男が、引き金を引いた女性隊員に向けて声を上げる。
彼らは、騎士団の服を身に纏っていた。
総勢、少なく見ても三十名程度。
璃空を殺害するつもりだったのか、初撃を外した女性隊員は焦ったようにライフルのコックを引く。
「次は当てます」
「違う、撃つのをやめろと言っている!」
「駄目です」
隊員からばっさりと断られ、指揮官は驚いたように振り返る。
見れば、二人を囲い込む全ての騎士団員が二人へ銃口を向けていた。
「ガランサス卿からの指示です」
指揮官の表情が固まる。
「貴様ら魔女教の―――」
彼の頭が、別の誰かによって打ち抜かれる。
彼だけが、ガランサスに騙された本物の騎士団員だった。
残りの全ては、騎士団に扮した魔女教徒。
腕には何かの魔道具が光る。
璃空は、ガランサスの名を挙げた女性隊員を睨む。
その龍の瞳に怯みながらも、彼女は構えを解かずに「撃て」と指示を投げる。
屋根の上、石垣の陰、至る所から、騎士団に扮した魔女教徒は銃弾の雨を降らせた。
小賢しくも、計算された角度から、逃げ道を奪うような軌道で弾丸を巡らせながら。
確実に龍人の肉体でも貫くような弾丸の雨は、その主の意思に反して、何処にも着弾しない。
時が止まったように、璃空の周辺でその速度を失って宙に浮かび上がっていた。
「…今、戦う気分じゃないんだ。どこかへ行ってくれないかな」
瞳の中に浮かび上がる魔法陣。
静止した弾丸は、およそ反対向きに跳び始める。
発射時の速度を取り戻した弾丸の雨は、寸分違わず彼らの銃口に飛び込み、腕を飛ばすような威力でライフルを破裂させた。
殆どの魔女教徒は魔術で肉体を守っていたのか、血を流しながらも、身体の欠損まではしないままで後ろに倒れ込む。
武器を失った魔女教徒の半数は、怯えて悲鳴を上げながらその場から退避を始めた。
何が面白かったのか、シリルはひとしきり笑ってから、気が済んだように体を起こす。
その様子を見て、予備のライフルを持ち出そうとしていたリーダー格の魔女教徒もひるんで身体を後ろに引いた。
それでも尚ライフルを構えようとする魔女教徒へ向けて、誰かが叫ぶ声が聞こえる。
待ってくれ、という男性の声。
「騎士団が戦うべき相手じゃない!話を聞いてやってくれ、撃つのをやめろ!」
意を決して走って来たものの、完全にライフルの軌道に踏み込むまでは出来ないままで立ち止まった彼は、その場で膝をついて声を張る。
「災いの後に、僕達を助けようとしてくれた人達だ。この街を破壊した張本人じゃない」
見覚えのある眼鏡を掛けた男性。
先刻も彼女達を擁護し味方で在り続けてくれた、マクスの姿だった。
彼は、周囲に立ちはだかる騎士団が偽物であることを知らない。
彼の目には、今の状況が『冤罪の魔女と、それを追う騎士団』の対立に見えている。
最初に弾丸を放った魔女教徒の女は、少し黙り込んだ後、そのまま腕を降ろして、敵対しないことを示すようにライフルを地面に捨てた。
「撤退する。不意打ち出来なかった時点で、この作戦は失敗していた」
璃空の目を見ながら、彼女は虚勢を張る。
「ああ、反撃はするなよ。一般人の前で、魔女を連れた女が、騎士団の服を着た人間を殺す…というのはマズいだろう」
それが殆ど命乞いに近い牽制であることを理解したうえで、璃空はどうでもいいと言うように視線を下げた。
通信機を使うかのように、彼女らは腕に付けたリングに声をかける。
「ガランサス卿。あれは無理だ、至急転移魔術を―――」
どこかで見覚えのある腕輪。
璃空には只の通信機ではないとわかる魔道具、劣化型の変身魔術が刻まれた呪いの腕輪。
『そう。じゃあ、もういいよ』
ガランサスの声が聞こえる。
悲鳴にもならない声が、僅かに聞こえた。
魔女教徒達の肉体は、腕から先に異形と化し、もはや魔獣ですらない肉塊へと変えられて、汚くその場へ散らばる。
趣味の悪い遊びを見てしまったように、璃空はそれを最後まで見ないように、咄嗟に目を伏せた。
「―――残飯処理のついでに、リュックも殺しておきたかったが。やっぱり彼女も、簡単には殺せない類の加護を受けているんだな。現場から離れていてよかったよ」
「…」
遥か遠くから、映像を投影するような魔術で様子を見ていたガランサスは淡白に呟いた。
横では、相変わらずニヴァリスが黙って話を聞いている。
「あの龍人の女を殺すのか?」
「当然だ。あの子は初めからずっと、僕の想定外の動きで計画を邪魔し続けてきた。エリアをあの家から連れ出して、生きる希望を与えてしまった時から、ずっと。ここまで手間をかけてもまだ邪魔をするなら、そろそろ手段も選べない」
「…」
普段の不気味な笑いは鳴りを潜めて、ただ隈の浮かんだ不気味な瞳だけを大きく開いて、ニヴァリスは兄の顔を覗き込んでいた。
彼からの視線に気が付いているのかいないのか、ガランサスは「行こう」とだけ呟いて踵を返す。
「僕達はエフタを越えるんだ。夢を諦めた彼を、僕達が踏み越えて先へ進もう」
踏み越える、という言葉にニヴァリスは更に大きく目を見開く。
彼の後ろを歩く彼の顔からは、クリスの正体を知った時の愉悦に満ちた表情は失われて、最早殺意にも近い眼差しが見え隠れし始めていた。
◇ ◆ ◇
「今、人が溶けて消えたような気が―――いや、気のせいか。きっと、何かの魔術で移動しただけだろう」
本当にわからなかったのか、咄嗟に目を背けたのか。肉塊と化した偽物の騎士団のことから視線を外して、マクスは璃空とシリルの二人のほうへと再び振り向いた。
「ずっと、この街で探し物をしていたんだ。君達が帰って来るんじゃないかと、そう思って待つのも兼ねてね」
彼は服の埃を払いながら、二人の様子を交互に見る。
「また会えて、よかった」
そう話す彼の背後、少し遠くからは、慌てた様子の青年が駆け寄ってくる。
よく見れば、衛兵団の制服を着た背の低い人物。
良く目立つ赤い髪をした、ウィルの姿だった。
「マクスさん!明らかに銃声が聞こえましたけど、大丈夫ですか!?」
「ごめん、大丈夫だよ」
「勝手にいなくならないでくださいと、何度も」
そう言いながら、彼は遠目に気が付いていた璃空とシリルの二人に視線を落とした。
「帰って来たんだよ。無事だったんだ、二人とも」
マクスはそう言うが、ウィルは僅かに強張った様子で、シリルの髪に紛れ込んだ羊の耳を凝視していた。
ほんの数瞬だけ黙り込んだ後で、ウィルは努めて落ち着いた様子で口を開いた。
「お二人とも、この街に居たという話は聞いてました。ご無事でよかったです」
マクスは、「何度も話しただろう」と彼を諭す。
恐らくは、この街を破壊したのは彼女達ではない、と何度も説明していたらしく。ウィルは、わかっているというように頷いて見せた。
「一緒に避難しましょう。もう、殆どの人は市庁舎に隠れてます。さっきの天変地異も、被害が壊滅的なのは街の中央付近だけでした。外れた位置にある市庁舎やセブレムは、比較的、無事だと連絡が来ていますから」
ウィルはそう話して促すが、璃空はずっと視線を下げて考え込んで、答えを返そうとしない。
心配したマクスが、続けざまに右手を差し出しながら誘う。
「大丈夫だ、心配しなくていい。さっきこの街の連中と色々話したが、結局のところ彼らはこの状況そのものを怖がっていただけだ。君達に恨みがあったわけじゃない。失礼を働いたことは、後で必ず償わせる。君達がこの街で居場所を失うようなことには、僕が絶対にさせない」
その右手は、シリルのほうへと差し出される。
彼女はそれをまじまじと見つめて、何を求められているのかを考え込む。
マクスの顔を見上げる。
その様子がやけに穏やかで、疲れ切っていた璃空も、その様子をただ見つめて。
その手が繋がれたらすべてが元通りになる気がして、シリルが同じように右手を差し出すのを黙って見ていた。
手が繋がれるのを、ただ待つ。
少しずつ、互いの手の距離が縮まっていく。
その手が、あとほんの少しだけ近づけば握手が交わされるという距離で。
シリルは手を前に出すのを止めて、そのまま、空を掴むように右手を握り締めた。
マクスが血を吐き出す。
小さな声で呻いて、前に倒れ込む。
シリルはただそれを見下ろす。
ウィルが動揺して、彼の肩を掴む。
「マクスさん?」
静かに倒れ込んだ彼の肩を揺すって、起こそうとする。
マクスは呼びかけに答えず、僅かに硬直したような状態で蹲っていたかと思うと、突然力が抜け落ちて、完全に動きを止める。
璃空は後悔した顔で、何も言えないままで、ただ跳ねる心臓の痛みを抑えながらそれを見ている。
ウィルは、何度もマクスの名前を呼びかけて、次第に声は大きくなる。
興味を失ったように立ち上がって背を向けるシリルの腕を、璃空は咄嗟に掴んだ。
ウィルは、驚愕したままの顔で二人を見上げる。
「エリアさん。エリアさん、何してるんですか」
少しずつ呼吸を乱して、肩を上下させ始めた璃空が振り返る。
シリルは尚も振り返らず、璃空に掴まれた左腕を煩わしそうに見ている。
「急病人です」
目の前の女性がまだエリアであると信じて、ウィルはそう呼び掛ける。
シリルは、不快そうに眉をひそめて、ようやく振り返る。
璃空に掴まれていない方の、右手を彼のほうへ向ける。
その目には殺意すらなく、ただ視界の中を飛び回る虫を潰そうとする程度の、至極冷たい眼差しをしている。
ウィルは、それでも彼女を疑いきれなくて、その腰に携えた銃を引けないままでいる。
璃空が、シリルの右腕も咄嗟に掴んで。
代わりに離してしまった左腕も抑え込もうと、何度も体勢を直して、半ば掴み合いのようになりながら、彼女の動きを封じ込む。
うう、と嫌がるような唸り声をあげて、彼女は魔法を使って璃空を向かいの民家のほうまで吹き飛ばした。
目で追えない程の速度で、璃空の身体は瓦礫の中へ放り込まれる。
もう一度、シリルはウィルの心臓を潰そうと右手を前に出す。
ただ、意地でもそれを止めようと、璃空は一瞬で彼女の元にまで返ってきていて。
まるで何事も無かったかのように、また彼女の右腕を掴んで、ウィルの殺害を制止した。
面倒そうに璃空の顔を見上げたシリルは、先刻とは違うその様子に驚いて動きを止める。
赤黒く輝く、龍の瞳と双角。
それは制止と言うよりも最早威嚇に近く、従わなければ只では済まないという覇気を纏っていた。
明確な恐怖を覚えたシリルは、熱いものから手を引くように、差し出そうとしていた右手を自分の胸元に戻す。
獣にでも襲われたような顔をしているウィルは、銃を構えるべきか否か、わからないままで右手を泳がせる。
その様子を視界の端で収めながら、璃空は後悔を含んだ目でマクスの亡骸を見下ろす。
期待してしまった自分を責めるように目を伏せて、小さな声で謝る。
「ごめん」
彼女は、ただそう一言だけ残して。
他に何も言うことは無く、風のように、シリルを抱え上げて、そのまま姿を消した。
そこには、エリアによる裏切りを象徴するような一つの遺体と、それを力なく見下ろす青年だけが取り残されていた。
◇ ◆ ◇
返し忘れていた魔力仕掛けの荷車に乗って、アゼリアの街まで逃げ遂せる。
始まりの家にまで返って来た璃空は、無理矢理引き連れてきた友人を半ば投げつけるようにソファに座らせた。
龍の眼は光らせたままで、友人を怯えさせたままで。
後ろに手を突いたままのシリルは、怯えた目で璃空の顔を見上げた。
先刻までの悪魔のような笑顔は鳴りを潜めて、険しい顔のままで身構え続けている。
璃空も何も言わないで彼女を見下ろして、威圧しているのか、何かを待っているのか、只々黙り込んだまま時計の針を進めた。
「…」
突然、璃空が溜息を吐いて座り込む。
シリルは驚いて身を縮める。
何度か深い呼吸をして、璃空は少し前に出て、シリルの目を覗き込む。
何も言わないで、ただ親指で下瞼に触れる。
丸い目を大きく開かせて、その中の淀みをただ見据える。
無言の時間は、更に長く。
疲れ切った眼で、何かを求めるように黙っている。
そのまま、何も言わずに縋り付く。
布の擦れる音だけが聞こえる。
身構えていたシリルは、硬直したままでそれを受け入れる。
意味が分からないで、ただ何故か感じた心地の良さに身を任せて、向こうの壁に見える夜灯りを眺めた。
数分が経って、璃空は身体を離して、またシリルの瞳を覗く。
淀みは、変わらずその中に在る。
尚も、何も言わず。
彼女はただ悲しそうな顔をして目を伏せた。
どちらかの、腹の虫が鳴る。
「お腹、すいたの」
璃空がそう問いかけると、シリルは黙って頷く。
じゃあ何か食べようか、と璃空が立ち上がるのを、彼女はただ静かに見ていた。
しばらくの間、何事もなく、大人しい子供のように待っていたように見えたシリルは、目を離すとまた様子が変わって部屋の物色を始めていた。
まるで空き巣に来た泥棒のように、そこら中にあるものを引っ張り出しては投げ捨てるような行動を繰り返す。
本棚にある本も、片端から床に落としていく。
ほんの少しの休息が欲しかった璃空は、炊事場の炉に燃える火を眺めて呆けていて、ばさばさと何かが落ちる音を何度か聞き落していた。
気が付いたのは、何かが割れる音が聞こえた瞬間。
炊事場から戻って来た時に見たのは、床に落ちた花瓶と、土にまみれた一輪の花だった。
―――じゃあ、リュックでいいよ、私の名前。
そういい加減につけた自分の名前の、きっかけになった花。
あの子にとっての、璃空の象徴の花。
それに興味も無しに、シリルはまた本棚から魔導書や参考書を引き出しては中身を少し眺めて、すぐに床に捨てる。
本棚の奥に隠された僅かな紙幣を見つけて、喜ぶような声を漏らして懐に入れる。
彼女の家を、彼女自身で壊していく。
思い出も記憶も、全てを壊していく。
すぐに腕を掴んで、また無理矢理に振り向かせる。
叱りつけても開き直る子供のように、かえって興奮してしまった様子で璃空に視線を返してくる。
それは狂気にも、あるいは正気であるが故の自棄にも見える。
何かが、脳裏をよぎる。
自分を壊す事しか出来なくなってしまった悲しい誰かの笑顔が、彼女に重なる。
心臓が突き刺されたような痛みがして、呼吸が止まる。
膝をついて、吐きそうになりながら額を床に擦りつける。
左手に血液が伝う感覚が蘇ってくる。
また龍の瞳で威圧されると思っていたシリルは、その様子に拍子抜けしたように彼女を見下ろした。
ただ苦しそうに自分の服を掴んでくる彼女が、今度は助けを求めてくる獣のように見えて、また得体の知れない恐怖を感じて身を逸らした。
返して、返して。
苦しそうに、聞こえるかどうかわからないくらいの小さな呻き声。
シリルには、それがこの世の全ての呪いの言葉に聞こえて。
彼女は、怖くなって咄嗟に逃げ出そうとした。
魔法を使うことも忘れて、小さな悲鳴を上げて。
ただ、服はずっと掴まれたままで、ばたつかせる手足は意味もなく宙を掻いた。
なぜ、そんなに恐怖を感じるのかが彼女にはわからなかった。
今まで何とも思っていなかった他人が、何故ここまで自分の心を揺るがせてくるのか理解できなかった。
掴んで離してくれないその手を掴み返して、蹴るように足を押し付けて、無理矢理引き剥がそうとした。
そんな意味のない悲しい攻防が、静かな部屋の中で何度も繰り返された。
言葉は無かった。
ただ、奪うことの代償と、奪われた人間の執心だけが押し付け、押し返されて。
気付けば、二人は疲れ切って、床の上で意識を失うように眠りに誘われていた。
そこには、勝ちも負けもなく。
互いの痛みだけが、ただ散らばるように残っていた。




