6-03 愛喰の聖女
戦いの明けた街の中心地。
薔薇色と言うには程遠いその景色の中で、九死に一生を得た二人は目の前の人物をただただ凝視していた。
静寂の中で、その女性一人が落ち着いた様子で口を開く。
聖女のような、あるいは狂人のような笑顔で。
「怪我は無かった?」
その視線の先には、今まさに死を覚悟していた魔女の子供が一人。
呆けたままに視線を合わすレリアは、何も言わずにただ目を合わせ続けた。
不吉に脈打つ心臓を抑えて、ただ目の前の笑顔を見つめ続ける。
何処か恐怖を感じながら、ただ一抹の慈愛を感じ取りながら。
誰も言葉を発さない中で、倒れ込んだままのエドが消え入るような声を発した。
「―――ヨナ?」
騎士の制服を着た彼女は、エドの方向を振り返って、笑顔の消えたその顔で、何か言葉を発しようとして。
それを飲み込むと、徐にレリアを抱きかかえ。
訳も分からぬ様子の魔女の子を両腕に乗せたままで、地を砕くような跳躍でその場から飛び去って行った。
「―――え、ちょ、おいおいおい、ちょっと待て待て待て貴様ァ!?」
咄嗟にレテが走り出す。
その後を更に追いかけようと、エドは立ち上がりかけて。
唐突に襲い掛かった立ち眩みに足を挫いて、走ることもままならずにその場に崩れ落ちた。
慌てたように、フェリスとカミヤの二人が彼を庇う。
「ちょちょちょ、無理すんなって隊長!さすがにもう動かないほうが良いって!足折れてたよね!?確実に!」
「そうですよ、もう休んでください!無茶です、マジで死にます!」
慌てふためく二人を他所に、エドは騎士の女性が飛び去った先を睨みつけた。
「行かせてくれ、見間違いじゃない、あれはヨナだったんだ。会わないといけない、ちゃんと話を聞かないといけない」
「よくわかんないけどさ、会えるって!また会えるけど、死んじゃったらもう会えないから!やめて、休んで、休め隊長ォ!」
「う、うぐぅぅ」
歯を食いしばりながら、誰も居なくなった空を彼は睨み続けた。
彼の懐で、カミヤには見覚えのあるアクセサリーが揺れる。
レテも既に走り去って、そこには満身創痍のエドと、戦いには慣れない人間だけが残される。
どうしたらいいのかと、辺りを見回そうとしたところで、その場には適さない軽快なメロディが鳴り響き始めた。
慌てふためきながら、カミヤは自分の服の中を探りだす。
「…え、何、何。あ、私のやつだ。着信、えっと、えっと。先生からだ、先生、先生だァ!助けて先生ぇ!」
半ば縋るように、カミヤはその着信に応答する。
「もしもし、せんせ…」
『おい!無事か!』
耳をつんざくような大声を上げたのは、当然ながらその電波を発信した当の本人、ユアンだった。
「―――うん、うん。そう、そんな感じ。あってる、大体合ってる」
何を話しているのか、カミヤはとにかく通話先の声に頷いている。
『わかった、ひとまずこっちの認識とズレは無い、な。怪我人は?全員無事なのか』
「いや、怪我人はいるけど。エドはちょっとヤバめで、フェリスと…なんだっけ、弟くんは取り敢えず大丈夫」
名前を忘れられて不服そうなアディが、訴えるように自分の名を呟く。
『待て、本当にそれだけか?他に誰かいたよな、レリアは?よくわからんが、陰気な魔女もいただろ、確か』
「あ、そう、そう!レリちゃんがさ、なんか騎士っぽい人に連れて行かれちゃって」
『騎士っぽい人?』
隣で、フェリスが「多分、騎士団の制服だったと思います」と補足する。
「騎士団だって、騎士団。かっこかわいい女の人が、レリちゃん連れていっちゃって。れっちんも、それ追いかけて走って行っちゃったの」
『騎士団が、レリアを、か』
「うん」
若干の間を置いて、頭を悩ませた様子でユアンが答える。
『それは、結構マズくないか』
「え?」
『前に、教えただろ。騎士団と魔女の関係は―――』
「…」
数瞬置いて、カミヤとフェリスが同時に「あっ」と声を上げる。
電話の向こうで、ユアンが唸る声が聞こえる。
顔を見合わせる彼女達の足元で、力なく倒れ込んだエドが、「多分、大丈夫だ」と呟いていた。
視線を向けられた彼は、続けざまに言う。
「彼女は、きっと、魔女の敵ではないと思うから。少なくとも、レリアやレテを傷つけたりはしない」
保っていたエドの意識が、少しずつ薄れていく。
カミヤが、彼の目の前に座り込んで、覗き込むように話しかける。
「え、待って、エド。大丈夫ってことでいいんだよね、レリちゃん無事なんだよね」
エドは眠るように目を閉じて、問いに答えることなく、か細い寝息を立てて眠りについた。
不安に満ちた面持ちで。
カミヤは、「せ、先生ぇ」と端末に向けて声を漏らす。
電話の向こうの彼は、努めて冷静を装って、絶望するにはまだ早いと、今の街の状況を彼女に伝え続ける。
―――《《偶然、運良く》》。街の住人は全て、被害の少ない地域に逃げ遂せていると。
彼は、そう告げた。
◇ ◆ ◇
連れ去られた先。
レリアは抵抗もせずに、街の片隅、無人の家屋へと連れ込まれた。
「…」
何も言わず、ヨナと呼ばれた女性のことを見つめる。
ゆっくりと床に降ろされて、膝を折ってそのまま座り込む。
「私を、守ろうとしているの。それとも、襲うつもりなの」
直感的に、歯向かっても叶わないと理解した、目の前の龍人にそう問いかける。
何故か、龍人の女性は何も答えずないままで、ただ微笑んでいる。
レリアと誰かを重ね合わせるように、彼女の額を撫でた。
遠くから、誰かの気配が近づいてくる。
その誰かが扉を開ける。
「無事か、レリア」
それは、息を切らした冥界の神様。
「…大丈夫」
ただ無抵抗に撫でられ、抱き締められるレリアは、恐怖するでもなく、ただ無感情にそう返答した。
拍子抜けしたレテは、その様子を黙って見下ろす。
「何者だ、貴様」
尚も、龍人の女性は答えないでいる。
彼女の剣の柄には、何処かで見覚えのあるアクセサリーが身体の動きに合わせて揺れ動いていた。
レリアが、それに気がついて小声で問いかける。
「あなたは、エドのお友達なの?」
「…」
龍人の女性は、急に動きを止めたかと思うと、レリアを慰めるのを辞めて、快でも不快でもない表情を浮かべて視線を返した。
「わたしは、あなたのお友達」
女性がそう返すと、レリアは「あなたとは、はじめましてだと思うけど」と答えた。
「わたしは、貴方達のお友達。貴方達を守るためにここにいる」
「…貴方達、って、誰のこと?さっき街に居た皆のこと?それとも、別の何か?」
そんなやり取りを傍で聞いていたレテは、次第にもどかしくなって、二人の会話に割って入ってレリアを連れ去ろうとした。
「ええい、何を意味の分からぬことを言っている。助けられたことには感謝するが、こんな所で油を売っている場合ではないのだ。我々はさっさと、リュックとエリアが消えた先へ向かわないといかぬ。何があったのか話を聞いて、相応の決着をつける必要があるのだ」
無理矢理引き起こされたレリアが、扉のほうへと連れていかれる。
素直に従うと思っていた手に引っ張り返されたことに気が付いたレテは、何事かとまた視線を戻した。
「…ねえ、レテ。あなたやっぱり、エリアの事を殺そうとしていなかった?あの子を探し出して、どうするつもりなの。さっきの戦いを繰り返すつもり?」
その問いかけに、ぐ、とレテは苦虫を噛むような顔をする。
「いや、違うぞレリア。余は、頃合いを見てエリアを眠らせて、どんな呪いをかけられたのか診てやろうと」
「嘘。あの雷も、竜巻も、明らかにあの子を殺そうと動いてた。何より、貴方の目にはずっと殺意が宿っていた」
「馬鹿言え、そんなわけがあるか。余がエリアを殺すわけ―――」
刺すようなレリアの視線に、彼女はしだいに言葉を詰まらせていく。
「…い、いや。わかった、ここは素直に謝ろう。確かに余は、奴に介錯をしてやろうと試みていた。ただ、別に厄介だから殺そうと考えていたわけではないのだ。よく思い出せ?余は冥界の神であるぞ?一度死した魂であろうと、いやむしろ、死した魂であればこそ。混ざりこんだ呪いを祓って、元の姿にしてやれるというものだ。余の得意分野に持ち込んだうえで、何とかエリアを助け出そうとしたことに変わりはないのだ、理解できるであろう?」
「それも嘘よ。だって、あなたはもう神様じゃないでしょう。確かにさっきの天変地異は神様みたいだったけど、今の冥界の主はあなたじゃないって教えてもらったわ。向こうの世界にエリアを押し込んで、あとは知らんぷりするつもりだったんでしょう」
「たわけ!余がそんな無責任なことをするものか!ちゃんと、まあそれなりに、余は計画性を持ったうえでだな!」
「それなりって何よ!」
二人の口論は次第に強くなっていく。
エリアに対する感情まで否定されたレテは、次第に苛ついた様子で声を荒げた。
「ああ、だから、そもそも貴様らと余では死に対する価値観が違くてだな…ああ、くそ、何故理解できない!言うに事欠いて余がエリアの事を嫌っているなど…んぐぁぁ!」
前髪を掻き上げて、何とか感情を抑え込もうとする。
レリアも顔を真っ赤にして、レテの先刻の行動を否定し続ける。
感情が最高潮まで達した先、その怒りは扉の前で立ちはだかる龍騎士の女性に向けられた。
「そもそも、誰なんだ貴様はァ!!」
二人はぴったりのタイミングで叫ぶ。
女性は、動揺ひとつせずに微笑んでみせた。
「名前は、忘れてしまったわ」
「やかましい!もう知らん、余は何が何でもエリアを探しに行く!貴様らはここで仲良くままごとでもしていろ、追いかけてきて損したわ!」
そう言って出て行こうとするものの、女性は扉の前から退こうとはしない。
「…邪魔をするなと言っている。いい加減、余の堪忍袋の緒も切れるぞ」
「駄目だよ。貴方達は、もうここから出てはいけない。戦うべきじゃない」
「我々では、力不足だと?」
「もっと強くて心無い人達が、この街に向かってる」
レテの瞳が少し輝く。
何かを予見したのか、彼女は舌打ちをして一歩身を引いて見せた。
「龍人の勘か」
ムキになって魔法まで使おうとしていたレリアは、様子が変わったレテの様子を見て正気を取り戻したのか、その右手を収めて黙り込んだ。
話を理解できていない彼女に向けて、レテは呟く。
「騎士団の一部隊が、日の入りにはこの街に到着する未来が見えた。この街の惨事を見れば、関わった魔女は全て罪人として処理されるだろう」
「…」
レテの表情が曇る。
「余が先に動けば龍騎士に殺される。かといって、龍騎士に好き放題させても碌な結末にはならん」
「…どうしてよ。都合の悪い事象は回避できるのでしょう、あなたなら」
そう呟くレリアに、彼女は「たわけ、簡単ではないわ」と返す。
「先刻の戦いは、エリアが遊びのつもりだったから拮抗していたのだ。明確な殺意を持った歴戦の戦士が追っ手では、どんな偶然でも余や貴様が助からぬ分岐点が有り得るのだ。言ったであろう、一の目しか無い賽を振っても六の目は出せないと」
どう掻い潜るべきかと、レテは瞳を光らせて模索する。
「貴方達は戦わないで。大丈夫、あの子が、ちゃんと守ろうとしているから」
龍人の女性の言葉に、レテは顔を上げる。
「あの子、とは誰だ。守るとは何だ、エリアの事か」
レテの質問に女性はまともに答えることは無く、「じゃあ、私も行ってくるね」と扉を開けた。
「お、おい、待て!計画の一つでも話していけ、本当に我々をここに置いて行くつもりか!」
「うん、ここで待っていてね。ここからは、あの子達のこれからを救うための戦いだから。私、約束したから。あの子の事、最後まで応援するって」
「おい指示語を使うな、終始意味が分からぬ!結局貴様は何者で、何を考えてここに居る!」
「わからないけど、私は守りたいものを守るの。約束も、貴方達も。大丈夫だよ、ここで待っていれば安心だからね、大人しくしててね。行ってきます、ロビィ」
最後の名前を呼ぶときに、目が合ったような気がして、レリアはその女性に無意識に手を振っていた。
どうしてか、その正体不明の女性を信じてもいいような気がして。
本当に自分たちを守ってくれる誰かであるような気がして、僅かな希望さえも感じて、扉の向こうに見える西日に目を輝かせていた。




