6-02 蝶の嵐と花の雨
「見ているだけで良いのか、我が兄」
巻き上がる竜巻からは遠く、バルベナ域内のビル屋上に立つ男の姿が二つ。
戦いの様子を眺めるニヴァリスは、同じようにその厄災を見届ける兄へ向けて問いかけた。
「当然だ。神々の戦いに、僕達が直接介入できるとでも思うかい?」
「…思わぬな。我が兄の事だ、今のうちに龍人の男にとどめでも指すものかと思ったが」
「不要だ。僕達の勝利は、もう既に決まっている」
「ならば、何も言うまい」
「昔から、聞き分けの良い弟で助かってるよ」
そう話す最中にも、轟音は街の空気を揺らした。
天空から降り注ぐ岩石の雨、その更に上から突き抜ける雷光。
天変地異という言葉をそのまま再現したような光景が、目の前には広がっている。
雨を纏った風は、彼らの所にまで強く吹き付けてくる。
「冥界の神が受肉し顕現すること。アゼリアの残滓が厄災となって生まれ変わること。そういう神々の転生まで見えていた訳じゃない。でも、今、こうして全てが僕の思い通りになっている」
ガランサスの手には、彼が今まで何度も依代にした冥界の箱が置かれていた。
魔女の里を生み出した箱とは違う、エフタが生み出した原初の箱。
「彼は帰って来なかった。残ったのは、偽物だけだった。ならば、全てを壊して元通りにするのは、僕が果たすべき務めだろう」
その言葉の真意を理解できないまま、ニヴァリスはまた嵐の巻き起こる空へと視線を戻した。
レテの瞳の輝きに、曇りが見え始める。
「どこまで余を困らせるつもりだ、アゼリア」
幾ら因果を手繰れども、女神の肉体に傷をつけることは叶わず、雷は彼女の身体から逸れて落ち、ぶつかり合う瓦礫も決して宙を舞うシリル自身には当たることはなかった。
「―――不死なんだよ、彼女は」
ガランサスは穏やかに続ける。
「…?あの魔女の能力は、重力操作だろう。それも、『エリア』の名を有していた時には非常に力の弱い物だったと記憶しているが」
「それは副次的なものだ。あの肉体には、アゼリアが有していた不死の因果が引き継がれている」
「不老不死、ではなく不死か。つまりは、その肉体に傷が付こうとも無限に再生すると?」
「違う。その身体に、傷は付かない」
ニヴァリスは首を傾げる。
ガランサスは、繰り返される風圧に眉一つ動かさずに続ける。
「彼女が道半ばで死ぬという運命を、世界が抹消する。誰かが彼女へ引き金を引こうとも、その弾丸が当たることは決して無い。彼女が自ら死を望もうと、その胸に突き立てた刃は決して心臓に届かない。谷底に身を落とそうと、星の磁場が彼女を空へと押し返すだろう。この世界に在るものが、彼女を殺すことは絶対にできない」
空の彼方で楽しそうに笑うシリルの姿を眺めて、満足したような表情を見せる。
「理屈じゃない、運命がそうさせるんだ。それを覆すことは龍神にも叶わなかった」
「…初耳だ。それが、地に降りた神の力か」
「いや。アゼリアだけが持つ特性だ。人と愛の神だけが持つ、不滅の呪い。魔女という生き物をここまで成長させた、根源の力」
手元の箱を指でなぞり、言葉を続ける。
「そして、老いという縛りも、エフタが作ったこの箱によって解かれていた。彼女の肉体は冥界の箱に記憶され、何度でも生まれ変わった。アゼリアの魂が消えようとも、肉体だけは受け継がれ続けた」
「エフタとアゼリアが生み出した、真の不滅」
「そうだ。そしてそれは逆説的に。アゼリアの肉体がある限り、その世界も滅ばないということを約束した。当然だ、世界が死ねば彼女も死ぬのだから。彼女自身が、世界を支える不滅の心臓だった。今の冥界を掌握するには、その力を上手く使う必要があった。冥界の心臓たるディアスシアの代わりを、彼女に努めさせる必要があった」
ニヴァリスは、少しつまらなそうな顔をして。
「我が兄は、我が到底知り得なかったことを突然に話す」
そう呟くと、視線も価値観も合わない兄の顔を、ほんの少しだけ気味の悪い物として見るような視線で覗き込んだ。
「さあ、もう少しだよニヴァリス。このまま冥界神さえも取り込んで、生命を司る魔女の力も貰い受けたら、あの子は厄災から更に上位の存在に変わる。その後は、最終決戦だ。もう一つの箱を独り占めする冥界の魔女から、全てを奪い返す戦いが始まる」
一歩前に踏み出して、現世での戦いの終わりを見届けようとした時。
何か異変が起きていることを悟ると、彼の表情は一転して陰りを見せた。
何事かと、ニヴァリスもその視線の先を見る。
「…ああ、計算外だ、ニヴァリス。面倒だが、もう少しだけ時間をかけよう」
心底つまらなそうなガランサスの声。
その視線の先では。
宙に浮かんでいたシリルの目の前で、彼女と同じほどの存在感を放つ龍人の姿があった。
冥界の魔女に捕らわれ、眠っていた筈の少女の姿。
何故だか、ニヴァリスは心底面白そうに「ふは」と笑いを溢す。
ガランサスに睨まれていることに気が付くと、彼は焦ったように咳払いをして、兄の後ろを着いて行くように姿を消した。
その兄弟に、一抹の不和を残して。
―――嵐は、まだ吹き荒れていた。
◇ ◆ ◇
レテの因果で偶然巻き起こった風が、降り注ぐ瓦礫の軌道を逸らす。
偶然発生した雷が、運良くシリルに当たらずに地面へ着弾する。
他の人間には、彼女達の周りでひとりでに嵐が起きているように目に映った。
「―――ああ、クソ、長く眠りすぎた」
「エド!」
病院から姿を現したのは、頭に包帯を巻いたエド。
驚いたようにレリアが声を上げる。
「下手に動くな!レリア!」
駆けだそうとしたレリアに声をかけるのも間に合わず。
竜巻に巻き上げられた鉄柱は、的確にレリアに向けて落下した。
咄嗟にエドが跳躍して、それを蹴り飛ばす。
魔術の構築が間に合わず、生身で鉄柱を蹴った脚からは生々しい骨折の音が聞こえる。
左脚を庇って立ち上がるのを気づかれないように、エドは自然な動作で起き上がってレリアの頭を撫でた。
「悪いね、心配かけた。もう大丈夫、エリアの事も僕が助けるから」
「ごめんなさい、ごめんなさい、私が勝手に動いたから」
後付けの魔術で左脚を補強して、エドはそのまま立ち上がる。
後から、病院の奥からフェリスやカミヤが顔を出すのが見えた。
あからさまに無茶をしているエドを心配そうに見ている。
エドが叫ぶ。
「レテ!周囲に人の気配は!?彼女が一人でここに来たとは、到底思えない!」
「探っているほどの余裕があるように見えるか、馬鹿者!いいからそこのちびっこを余の隣に連れ戻せ!正直、レリアが居ないとそろそろ魔力量がヤバい!」
「レリアのこと電池扱いしてたの!?」
「貴様に言われとうないわ!念話と称してそやつから魔力を貰ってるの、余は知ってるからな!」
大声で返事をしながら、尚もシリルを撃ち落とそうと彼女は因果を手繰る。
痺れを切らしたのか、そろそろ遊びに飽きが来たのか。
シリルは、地上に落ちていた瓦礫の群れを魔法でもう一度浮かび上がらせて、その全てを砲丸投げのようにぐるぐると自身の周りで旋回させると、そのまま勢いをつけて地表へ向けて叩きつけ始めた。
それは最早、雨と言うよりも滝と表現する方が正確な規模となって襲い掛かる。
街が、玩具のように潰れていく。
どこからも悲鳴が聞こえないのが、果たして街の人々が既に逃げ去ったからなのか、あるいは最悪の状況を意味するのか、それを知ることはできない。
「うがぁぁぁっ!」
レテは目をとびきりに赤く輝かせ、全員が生存する偶然を必死に手繰り寄せる。
岩の滝が目の前まで迫って来たところで、そこにいた一同は目を瞑り。
僅かな時間の後、自分たちの元に瓦礫が落ちてこないことに気が付いて顔を上げた。
雷鳴の音だけが、天空で鳴り響く。
「…りゅーちゃんだ」
そう呟いたのは、病院の入り口から、恐る恐る空を見上げていたカミヤだった。
気配に感付くよりも前に、シリルはその少女に抱きかかえられていた。
どこかから弾丸のように飛んできた彼女の勢いそのままに、街の外へと斜めに軌道を描いて落ちていく。
シリルは抵抗するわけでもなく、ただ目の前の黒髪の少女の顔を覗き込む。
一瞬、地上にいた面々は何事かと理解できないままその二人を凝視していた。
僅かな油断の後、シリルの魔法が解けて、宙に浮いていた『宝物』の群れが重力に任せて落下を始めたことに気が付く。
落ちて来るぞ、というレテの呼びかけに応じて、彼らは咄嗟に屋内へ駆け込もうとした。
中途半端に外に出ていたアディに気が付いて、レテは彼を捕まえ、抱えて走る。
エドもレリアを抱えて走り出そうとするが、左脚の痛みで足がもつれて、上手く走れずに大きく転倒した。
「おい!急げ、早くッ!!」
レテの起こす都合の良い偶然にも、限界が訪れていた。
降り注ぐ凶器の殆どは宝石や小道具の類、あるいは戦いの中で粉々に砕かれた建造物の類。
先程の、街を砕く瓦礫の雨ほどでは無くとも、弾丸に近しい速度で降り注ぐ落下物が、彼らに襲い掛かった。
間に合わない。
脚の激痛に耐えて魔術を展開しようとしたエドの背後で、何か重い物を持ち上げるような音がして、その直後に弾丸の雨が降り注いだ。
車一台を越えるほどの重さはあろう鉄の扉を、エドとレリアの頭上を守るように構えた誰かがいた。
降り注ぐ凶器を弾き返す金属音が耳をつんざく。
レリアは音に怯えて目を閉じる。
音が止んだ後、何が起きたか分からないままに振り返る。
そこには、その場ではエドだけが知りうる人物の姿があった。
薄紅色の髪、汚れた騎士団の制服。
背中に構える、身体と同じほどに大きな大剣。
それは、かつて二年前に行方不明者となった筈の龍騎士の姿だった。




