6-01 女神の真核
バルベナの病院前。
そこに集まっているのは、戦闘型航空機の墜落を防いだ二人の魔女と、人質にされた少女の弟。
それと、まだその場に残っていたウルフセプトの看板娘。
病院のフロントから外へ歩いてきたフェリスに向けて、レテは声を掛けた。
「エドは大丈夫か」
「大丈夫…って、いうんですかね。ただの魔力切れと、過労で気を失ったそうです。まあ、そりゃそうですよね」
「奴に過労という概念があるのか。もう少し動けると思ったが」
「いやいや。数時間に渡っての魔獣との戦闘、立て続けに音速で戦闘機と追いかけっこですよ。加えて言えば、昨晩も仕事詰めで寝てなかったらしいですし、これでバリバリ動いてたらマジモンの化け物ですよ。…まあ、確かにそれで動き続けてるくらい、エドさんはやりそうで怖いですけど」
「…そうか。まあ、事件も一旦落ち着いた、奴には休んでもらうとしよう。後は余が何とかする」
「意外と頼もしいんですね」
「意外とって言うな」
レリアが、足元で不安げに周囲を見回す。
エリアの失踪を聞いて、未だに落ち着かない様子でレテの服の裾を掴む。
そろそろこの場を離れようか、ということで視線を上げたところで。
カミヤが、ある方向を指差して大きな声を上げた。
「…あれ?あれぇーーー!エリちゃんだ、あれエリちゃんだぁ!帰って来た、帰って来たよ!おーーーい!」
その声に、誰もがカミヤの指さす方を見る。
そこには確かに、見覚えのある純白のドレスを着た、プラチナブロンドの髪を持つ少女の姿が見えた。
彼女は、先刻の斬撃テロによって廃墟と化した商店の一軒から出てくるところだった。
手には、勝手に持ち出してきたお菓子。口元はクリームで汚れて、不躾にそれを手で拭き取っている。
エリアの姿。
それを奪い取った厄災の魔女シリルが、呼び声に反応してカミヤ達のほうへと振り向く。
「…」
彼女は、声を上げずに、不思議そうに目を見開いたままに視線を合わせる。
その表情が笑顔に変わったのは、そこから数瞬経ってから。
呼び掛けの主の隣にいるレテと、その更に隣のレリア、つまりは魔女の姿をその視界に収めてからだった。
シリルは、満面の笑みで彼女達に駆け寄ろうとする。
もう少しで、声を張らずとも話せるほどの距離になるという所で。
咄嗟に、レテはその右腕を彼女へ向けた。
同時に、《《偶然》》近くの建物から崩れ落ちた鉄製の建材がシリルの目の前に落下して、その行く手を塞ぐ。
瞳を赤く輝かせたレテが、焦るような、怯えるような声で言い放った。
「誰だ、貴様」
シリルはほんの少し驚いたような顔で立ち止まる。
カミヤは驚いた顔でレテの顔を覗き込む。
「…?何、言ってんの、れっちん。エリちゃんでしょ、どう見ても。なんで、そんな顔してるの。今、れっちんがやったの?」
「…」
レテが黙り込む中。
小さな声で、レリアが、「違う」と溢したまま、泣きそうな顔でレテの背後へと身を隠した。
「エリアじゃ、ない。違う。エリアなのに違う、わかんない、わかんない」
尋常ではないその様子を見て、ただ隣で戸惑っていたアディは唾を呑んだ。
「もう一歩前に出たら、次はお前の真上に鉄骨が落ちる」
レテからの警告に構わず、シリルは足を前に踏み出す。
冥界の神は、明確に、目の前の器に宿る魂が、別人の物であると悟っていた。
異変に気が付いたフェリスが、空を指差す。
「…なん、ですか。あれ」
無数の点が、上空に巨大な輪を作り上げていた。
それはよく見れば、シリルが街から見つけた『宝物』、ありとあらゆる宝飾品や衣類、あるいは建築物や車両の群れ。
今も、街からは全てのものが奪われ、空中の輪に加えられていく。
遠くから、誰かの悲鳴が聞こえる。
周囲にある折れた街灯や露店まで、見境なしに全てが空中に巻き上げられ始めていた。
「やめろ、近づくな。本当に落とすぞ、その身体を人質にしているつもりなら、本当に」
そう言いながら、レテの瞳の輝きは不安定に揺れた。
数千年探し続けて、やっと見つけた友人の、その顔を潰す覚悟をしきれずに惑う。
厄災の魔女は、言葉の意味を理解しているのかいないのか、ショーウィンドウに並んだお菓子を見つけた子供のような顔で歩み寄って来る。
魔法は、貰うことが出来る。
それを理解した頭で、その目に無邪気な殺意を宿したまま。
徐に肩に手を回され、穏やかに抱きしめられたレテは、強張る面持ちのままで、ある過去の会話を思い出した。
『―――龍神に、目をつけられたのか、アゼリア』
『うん。彼の邪魔をするな、ってね。怒られちゃった』
『エフタの邪魔を?おかしな事を。貴様は、今までずっと、奴の隣で研究を支えてきたのだろう』
『そう。でも、それが、彼を人間に戻してしまうんだって。私が人に憧れて、彼に寄り添う程、龍神様が期待した彼の素質は失われてしまうから。それがどれほど重い罪なのか、お前はわかっていないって、そう言われたの』
『…』
冥界の底。
まだレテが神様だった頃、人になったアゼリアが一度だけそこを訪れた時の会話だった。
『私ね、このままだと、もうじき消えるみたいなの。ここに来たのは、その前の挨拶』
『…は』
『私は、エフタの記憶から消えて、初めから彼と出会わなかった世界線に飛ばされてしまうんだって。彼と出会わなかった私は、きっととっくの昔に人のまま死んで、ほかの誰かに生まれ変わっている。それはつまり、消えるのと同じようなことでしょう』
『そうなる前に戻ればいいであろう、神の座に。何故戻らない』
『戻れないよ。龍神様が、それを許さない』
『そんなふざけた事があってなるものか!余が話をつけて来る、貴様はそこで待っていろ』
『いいの、やめて』
『何故だ!まさか受け入れると言うのか、自分が消えるのを』
『ううん、受け入れないよ。でも、神様にも戻らない。私は、これからもあの人を見守っていたいから』
意味が分からないまま、憤った顔でアゼリアの顔を見る。
『なら、一体』
『龍神様の目の届かない世界に行こうと思うの。魔女の里の、もっと内側の世界、冥界の箱の中。私は、魔女の子供たちを見守る役目に着く』
『…意味が、わかっているのか。一つや二つ、因果の枠を超えるのとは違う』
『大丈夫だよ、きっと失敗しない。上手くいけば、私は私のままだから。ただ、どっちにしても、こうして一緒にお話は出来なくなると思う』
アゼリアはレテを正面から抱きかかえる。
『一つだけ、心配事があるの。あなたに、お願いしてもいい?』
『何だ』
既に姿が消えて見えなくなり始めた、目の前の誰かが口を開く。
『冥界の箱は、これからも同じように、私の為に肉体を作り続ける。でも、私はそこには帰れないから…主のいない肉体には、きっと別の魂が宿ると思うの。もし、その肉体に、神様の力が残ってしまうのなら。その子が、魔女の里や、その外の世界で、この力を理解できずに、自らや他人を苦しめてしまうようなことがあったなら』
いつもの笑顔から少しだけ目を伏せて、彼女は呟く。
『貴方の力で、優しく殺してあげて。冥界の箱から引き剥がして、ここに連れてきてあげて。私が押し付けてしまう神様の力も、因果も。冥界でなら重荷にはならないだろうから』
『…勝手なものだ。どこまでも余の仕事を増やしおって』
『ごめんね』
誰とも会えなくなって辛いのは、お前だろうと。
それを伝えきる前に、その姿は、いつの間にか消えてなくなって。
もっと出来る事があったような、ただ受け入れる事しか出来ないその両腕をただ眺めて、ひとりぼっちの冥界の神様は立ち尽くしていた。
「…何故、忘れていたのだ。確かに、そういう約束だったな。ならばやはり、冥界も取り戻さねばならない」
今にも、レテに牙を剥こうとする厄災の魔女の肩を掴んで、ゆっくりと自分から引き剥がす。
何かを気取って数歩下がったシリルに向けて、辺りのひび割れた建造物から崩落した煉瓦が落ちる。
宙に浮いて逃げたシリルの上空には、少しずつ雷雲が立ち込め始めていた。
「不死の因果などと、厄介なものを残していったものだ。全ての因果がその肉体を生かそうとするのであれば、余がそれを打ち破るしかないではないか」
風の流れが変わり、シリルを巻き込むように竜巻が生まれる。
まるでアトラクションにはしゃぐ子供のように、シリルは周囲に巻き上げられた瓦礫やら何やらと楽しそうに飛び回り始めた。
彼女を貫こうとする雷は、まるで抵抗するかのように方向を変えて誰も居ない場所へと着弾する。
無秩序に飛び回る瓦礫は、シリルには何故だか当たることなく旋回を続ける。
シリルが生み出した空中の輪も相まって、上空は混沌と化していく。
「貴様らは、病院の中に隠れていろ。安心しろ、エリアの事は余がなんとかする。まあ、運良く生存できるように余が計らってやろうではないか」
その呼びかけに、フェリスはカミヤの腕を引いてすぐさま走り出す。
動こうとしないレリアに、アディが慌てて声をかける。
「おい、早く行くぞ!何やってんだ、怪我するぞ!」
「…私、ここにいる」
レテは舌打ちをして、「好きにしろ」とだけ吐き捨てた。
アディは、どうしたらいいかわからないまま、病院の入り口の陰から様子だけを窺っている。
「説明が必要か?」
レテにそう問われて、レリアは首を横に振る。
「あの子がエリアではないのは、わかる。貴方が、あの子を救おうとしてるのもわかる。でも、もし死が救済だと言うんだったら私、許さない。あの子がちゃんと元に戻れるようにって、そう戦ってくれるように、私はここで見張ってる」
「ふん、注文の多い子供だ」
巻きあがった鉄骨の一つが、シリルの魔法で操られてレテのほうへと飛んでくる。
本来のエリアの魔法を遥かに超えた速度と重さで、次々と凶器が宙を駆ける。
それは偶然、レテやレリアには当たらず地面に突き刺さる。
赤く瞳を光らせたレテは、乾いた笑いを浮かべながらレリアに問う。
「見ろ、読みが当たったぞ。向こうは我々を殺す気だ、どうやって話し合う?」
「エドが起きてくるまで、あの子の『遊び』に付き合いましょう。きっとエドなら、あの子にどんな呪いが掛かっているか確かめてくれるわ」
「呪い、か。どう言い直せばいいものか…くそ。貴様と話していると、余の咄嗟の決断が揺らいでくる」
「…まさか、本当に殺すつもりだったの?」
「まだ、エリアと再会できると信じているのか。殆ど死んだと同じだろうに」と、聞こえないような声で、唇を噛み締めながら呟く。
「なあ、アゼリア、教えてくれ。まだ、この世界には希望があるのか。希望など、とうの昔に龍神が切り捨てたのではなかったのか」
そう、呟きながら。
目の前で始まろうとする厄災に、彼女は余りに頼りない背中で立ち向かっていた。




