幸せのアルカロイド(6)
その後、爆破現場に戻って来たヨナは疲弊しきった様子で、前後に起きた出来事を何故だか忘却しきっていた。
ジルコやリトから受けた質問に対する返答も的を得ず、今にも眠りに落ちそうな眼で虚ろに言葉を並べる彼女に対して、彼らは『ニヴァリスと再度接触した可能性』があると判断。
精神汚染の類の魔術を使用され脳に悪影響を受けていると判定された彼女は、その後の捜査や救護活動からは外され、騎士団の医務室で休憩を取らされることとなる。
その後の聞き取りでもヨナは暫く記憶が曖昧な状態が続き、ロベリアのことを思い出したのは日が完全に落ち切った後、彼女が帰路に着いてからだった。
「…」
静かに小屋の扉を開ける。
質素なベッドの上で静かに寝息を立てる子供の姿は、ここ最近のロベリアとは打って変わって、不安に怯える小動物のように縮こまっていた。
傍らにしゃがみ込んで、起こさないようにその髪を優しく撫でる。
どうしたらいいのかなど、わかるはずもない。
もう一度、彼女との関係を築き直す。
いつか、記憶が無くなる症状が出なくなるまで、根気よく見守り続ける。
―――そんな日が、来るのだろうか。
自分が中途半端なことをやっているのは、とうの昔にわかっていた。
騎士として人を守る、と掲げておきながら、騎士団のルールに反する自分をひたすらに隠し続けている。
正しい事をしていると思うのなら堂々とすればいい。
そう思いながらも、いざ誰かに打ち明けようとすれば、規則や偏見の壁に阻まれることを恐れて、その足を踏み出せなくなっていた。
結局、ライラにすら何も言えていない。
―――これからしばらくは、魔女教絡みの大きな任務が続くことになる。
それが落ち着いて、お互いに余裕が出たら、話してもいいかもしれないとぼんやりと考えながら。
灯りもついていない部屋の中で、ただ彼女は眠る子供の横顔を眺める事しか出来なかった。
◇ ◆ ◇
しばらくの間、ヨナは体調を理由に騎士団の仕事の量を減らすことになった。
体調不良は嘘ではなかったが、結果的にはそれをロベリアと過ごす時間を増やすための口実にして、重要な任務がある時にだけ騎士団へ足を運ぶ。
彼女のことを知っていた民間人からは、姿を見せる回数を減らすにつれて「頼りなくなった」「やはり彼女は騎士には向いていなかった」等と心無い評価を受け始めていたが、それも彼女は聞かない振りをして、ロベリアの事だけを考えるようになり始めていた。
騎士団の面々と顔を合わせる回数が減った彼女は、尚の事、彼らと会うことに得も言えぬ気の重さを感じるようになり始めていた。
そんな精神的な疲れを、話す相手はただ一人。
街の優秀な医師、クリスだけだった。
「魔女教の拠点、恐らくはニヴァリスも関与する魔術工房の場所が一つ判明した。なるべくメンバーが集まるタイミングを狙って、一斉検挙を狙う」
騎士団幹部からそんな話を聞いたジルコが、同じように龍騎士のメンバーにもその事実を共有した。
怪訝な顔をしたリトが、疑うように言葉を返す。
「…大丈夫か?下手をしたら殺し合いになるぞ」
「対策を打ってるらしい。これがその『秘密兵器』らしいな」
「何だ、それ。金属?」
「魔術を妨害するための装置。バルベナの研究組織が作ったものらしい」
ジルコが片手に持っていたのは、『CBRM』の刻印が入った小さな装置。
幾つかのスイッチと、何かを発生するアンテナのようなパーツを持った簡素なデザインのそれには、腰に装着するためのカラビナのようなものが取り付けられていた。
「試してみるか?」
「…人体に有害じゃないなら」
「大丈夫だ、俺はもう試した」
そう言ってジルコは電源を入れる。
「何でもいい、魔術を使ってみろ」
そう言われて、リトは簡素な魔術を唱え始めた。
同時に、ジルコも何かを呟いて装置の横のスイッチを押す。
「…?」
何も起きない。
いつもなら魔法陣が宙に浮かび上がるはずのタイミングで、彼の身体からはただ魔力がすり抜けて出て行くような感覚が起こり、ジルコの手元の装置からは金属を叩き合わせたような音が響き渡った。
「…気持ち悪いわね」
ライラは眉を顰めてその装置を見つめる。
ジルコは「だろ?」と言いながら、手元のそれに視線を移した。
「なんでも、バルベナじゃ魔術を使った犯罪行為が抑えきれてないらしくてな。手に負えないような輩が現れた時の最終兵器として、こんなもんを作っちまったらしい」
「まさに魔術師殺しね」
「まあ、効果範囲は極めて狭いらしけどな。何より使用者自身にも効果があるから、ステゴロ勝負で勝てなかったらなんの意味もねぇ代物だ」
ライラは「成程ね」と息を吐いた。
「魔術師との正面戦闘なら、いっそ双方魔術を捨てて、私達のフィジカルで抑え込んだほうが早いってこと」
「そういうことだ。狭い空間での乱戦、罠や自爆が不可能なら圧倒的にこっちが有利になる」
相変わらず、ヨナは何も言葉を発することなくその会話を聞いていた。
聞いていた、というのも半ば上の空で、彼女の思考の半分はロベリアの事で一杯になっている。
ジルコから「聞いてんのか」と突っ込みを受けた彼女は、「ああ、うん」と頼りのない答えを返した。
「決行は三日後の夜。普段使わない装備で行くからな、準備は念入りにしておけよ」
そう真剣な顔で話すジルコに、リトとライラは同じように返事をした。
◇ ◆ ◇
任務の時刻は近づき、日が落ちた街中。
少数精鋭で挑むことになった今回の作戦では、龍人のジルコ・リト・ライラ・ヨナの四人を筆頭に、ベテランの団員十数名が街に散らばるように配備されていた。
目標は一ヶ所、飲食店として佇む石造りの家屋の地下に形成された魔術工房。
時間が来たら、特定の合図で一気に攻め込む計画になっている。
ヨナは相変わらず、家に残してきたロベリアの事を気にかけながら、緊迫感の漂う街道の隅で合図を待っていた。
「…」
他の、龍人でない団員も二名ほど彼女と共に待機して、合図を待つ。
その矢先、ヨナの手元で、小さな布のような魔道具が静かに振動して何かを伝え始めた。
「―――合図が来た。行きましょう」
手元の装置の電源を入れ、即座に動き出す一同。
音を立てず、且つ最速で、目標の地下室にまで彼らは駆け込んだ。
「動くな!禁術利用の容疑諸々でテメェら全員連行する!」
ほぼ同時、少しだけ先に突入したジルコが即座に入り口の罠を無力化し、中央に立っていた魔術師の男を抑えつけた。
数十名が一堂に会していた魔女教徒は、それぞれに抵抗を試みるが全て騎士団員により阻止され、取り押さえられていく。
「クソッ!何故魔術が使えない、貴様ら何をした!」
「悪いな、魔術の時代はもうそろそろ終わるらしいぞ」
そう言いながらリトはセブレムの魔力封じを適切なタイミングで彼らへ向けて涼しい表情をした。
魔術工房の中は全体的に薄暗く、壁紙もろくに張られていないのか土や岩が露出して洞窟の中のようになっている。
工房内の机も古びた木製のものや錆びた金属製のものが多く、走り回る彼らに倒された拍子に簡単に壊れてしまうものが殆どであった。
床には瓶やら何かの材料やらが飛び散り、それを踏みつけてまた魔女教徒が転倒する。
「殆どは一般人同然の素人だ!大きな怪我はさせるなよ!」
「わかってます!」
騎士団の面々がそんなことを叫びながら、次々と魔女教徒を拘束した。
「こっちは一通り片付いたわ」
ライラの言葉に、リトは「ああ」と周囲を見回す。
「ニヴァリスは?」
「こっちには居ない。どこかに隠れているかも」
「事前の情報にない部屋があるかもしれない。急いで探すぞ」
ライラは「ええ」と小さく返事をしてまた他の部屋を探し始めた。
ヨナも同じように魔女教徒の拘束を進めていた、その折。
死角になっているような部屋の奥で、何かを隠すように壁のほうへ向いて手を動かしている、一人の魔女教徒の姿が彼女の目に入った。
「―――何をして…」
腕を掴もうとする。
「ああ、お疲れ様」
思考が一瞬止まる。
そこにいたのは見慣れた医者の姿。
「薬は効いたかい」
何故、そこにクリスが居るのかわからなかった。
彼はいつも通りに笑ったかと思うと、「彼等が捕まるのは少し良くないんだ。悪いね」と呟き、瞬きの合間に姿を消す。
意識が揺らぐ。
幻でも見たのかと目を擦り、物音が聞こえて振り向いた先。
拘束されている筈の魔女教徒は、その枷を外し、何かに操られるようにふらふらと立ち上がり始めた。
立ち上がったその数名は、ジルコたちが気付かぬうちに何やら呪文を唱え始める。
「危ない!」
それが危険な魔術であると悟った彼女は、咄嗟に魔女教徒に駆け寄る。
無効化装置では間に合わないと判断した彼女は、彼らの首の後ろを手刀で叩き失神させた。
間違っても殺めてしまわないように、最大限、丁寧に。
彼等が精神汚染を受けている兆候が見える―――そう気が付いて、彼女は更に辺りを見回す。
当然、たった今気絶させた数名だけではなく、周囲にいる魔女教徒は揃って虚ろな目で立ち上がり、聞いた事もないような呪文をぶつぶつと唱え始めていた。
その異様な光景に、ヨナは思わず背筋を凍らせる。
術の内容は聞き取れないが、それが禁術の類であることは直感的に感じ取れていた。
本当に、この地下空間で自爆でもするのではないかと危機感を覚えた彼女は、近くにいる魔女教徒から次々に気絶させて行動を止めていく。
「まだ、洗脳された魔女教徒がどこかに」
そう言って振り向いた矢先。
彼女の目の前には、自分に向けて銃を向けるジルコの姿があった。
「―――!?」
彼の目もまた、先程の魔女教徒と同じような目をしている。
そう気付いた彼女は、咄嗟に彼の攻撃を躱し、身を翻して押さえつけようと試みる。
同じ龍人である彼にそのカウンターは通じず、上手く取り押さえられないまま反撃を受けた。
「あぶっ…!」
至近距離で放たれた銃撃を間一髪で躱す。
「リト、ライラ!どこにいるの!?」
彼女が辺りを見回すと、ジルコが最初に立っていた位置のすぐ近くで、彼らはただ立ち尽くしている。
ライラが何か術を唱えているが―――それはヨナを助けるものではなく、むしろ彼女を攻撃するためのものである、と直感した。
床や壁から、岩の槍が無数に飛び出してきて彼女を捕らえる。
予測できないような位置から飛び出すそれらを彼女は躱しきれず、硬い槍は彼女の足や腰に食い込んでその動きを封じた。
痛みで声を漏らす。
彼等は尚もヨナから目を離さず、虚ろな目で彼女を狙っているように見える。
「目を覚まして、お願い!このままじゃ私達全員ただじゃ済まない!」
そう叫んでも、彼らは答えることなく彼女の顔を見つめ続けた。
リトは彼女の目の前まで来て、その喉元を掻き切ろうとでもいう様子で手を伸ばす。
「―――」
リトが、何かを呟いている。
その言葉が何かわからないまま、彼女は自身の足や脇腹を引き裂くような痛みに耐え、岩の槍を破壊して、拘束を突破した。
一度、体勢を立て直すために、後ろに跳んで距離を取る。
危うく、倒れている魔女教徒を踏みつけてしまいそうになってバランスを崩す。
何故だか足が滑って、片手を床に突く。
違和感に気が付く。
魔女教徒に僅かに触れた手が、異様に濡れている。
その違和感がどうしても気になって、彼女はもう一度倒れている魔女教徒の髪を触ろうとした。
その瞬間、魔女教徒の頭部はゼリーのように溶けて形を失う。
一瞬、彼女の中で時が止まる。
また、顔を上げる。
変わらず、龍騎士達はこちらへ視線を向けている。
ただ、彼ら同士が敵対する様子は無い。
「…」
ヨナは、何かを悟ったような顔で表情を無に変える。
無言でその場に立ち上がると、試すように両腕を大きく広げ、完全に降服する姿勢を彼らに示して見せた。
彼等は、何もしてこない。
自分だけが、彼らと向かい合って、敵意の的にされている。
視界には靄が掛かっていて、思考力が鈍くなっているのを感じる。
自身の瞳に、双角に異常に熱が籠っていることに気付く。
―――ああ、私だ。
汚染されているのは、自分一人だけだ。
手についているこの液体は、血液。
自分がたった今、頭を潰した魔女教徒の脳漿。
気付かぬ間に洗脳にかかって、証人となる人物を、ただ魔女教を信じて付き従っただけの一般人を、自分が何人も殺したと気が付いた瞬間。
彼女は自身を見限って、近くにあった短剣で自分の喉を掻き切ろうとして―――
咄嗟に駆け寄った彼らに取り押さえられ、そのまま魔術で眠らされ、意識を失った。
意識を失うその瞬間。
頭に浮かんだのは、ロベリアの笑顔だった。
◇ ◆ ◇
某日行われた、魔女教拠点での一斉検挙。
その場に居合わせた魔女教徒二十数名のうち十二名は『やむを得ない事由』により死亡し、ニヴァリスの確保に近付くと思われた作戦は大きな情報を掴めないままにその幕を閉じた。
噂には、死亡した魔女教徒はいずれも頭部を損傷、もしくは損失するほどの攻撃を受けて即死していたと言われ、騎士団側のミスにより発生した死傷事故だったのではないかと街中で囁かれた。
ニヴァリスの所在を知りうる人物を須らく殺め、証拠品となる筈の物品も数多く破損させ、あらゆる手掛かりを台無しにした今回の作戦は、住民の間で明確に『失敗』として語られるようになった。
事件の後、騎士団の拠点まで連れ戻されたヨナは、地下室の一つ、頑丈な椅子に縛り付けられ、監視を付けた状態で様子を見られることになる。
何度か騎士団のメンバーから問診を受け、或いは面識の無い騎士団員に魔女教の手先だと指をさされたが、その間、彼女の眼はずっと虚ろなまま。
時折、うわ言のように同じ言葉を繰り返したりしていた。
頻繁に彼女の様子を見に来ていたライラからの言葉にも的を得ない返答しかせず、以前に話した『相談事』についても口にすることは無い。
まだ洗脳されたままである疑いを掛けられ、仲間にすら恐れられていた彼女の世話や看病は、ライラが半ば自発的に行っていた。
「ロビィ」
偶に思い出したようにその言葉を口に出すが、それが何なのかを彼女は話さない。
結局彼女の精神状態は正常に戻らないまま、数日間が経過していた。
僅かに穏やかさが取り戻されてきた頃、騎士団内では重要な会議が執り行われていた。
龍騎士はヨナ以外の全員がそこに呼ばれ、彼女の監視は若い騎士団員に任される。
疲れ切っていた監視役の青年は、少しの間気を抜いて、椅子の上で浅い眠りについていた。
彼の寝息は、少しづつ深くなっていく。
「…」
あれ、とヨナは小さく息を吐いた。
なんで、私、捕まってるんだっけ。
帰らないと。
騎士団員の青年は、重く固い金属が砕け散る音を聞いて跳び起きた。
振り返った先、牢の中には、鎖の壊れた手錠を腕に嵌めたままで立ち尽くしているヨナの姿がある。
口を開けたまま、驚きのあまり声を上げられないでいる青年には目もくれず、彼女は牢を抉じ開けるとよろけながらに外へ向かって歩き始めた。
背後で聞こえる叫び声や警笛の音を煩わしく思いながら、彼女は階段を上って外に出られる道を探す。
階段を上った先、人が一人通れるほどの窓を見つけた彼女は、丁寧に鍵を開け、戸を開けて拠点の外へと姿を消した。
いつもの、石造りの小屋へ向かおうとする途中。
フードを被った小さな女の子が、道の端で何かを食べているところに遭遇してヨナは足を止めた。
「ただいま、ロビィ」
「…こんにちは。あなたは、だあれ?」
「お母さんだよ」
どこから取って来たのかわからないパンを頬張ったまま、ロベリアは不思議そうに彼女を見上げる。
「お母さん、なの?じゃあ、私のお家がどこにあるのか、知ってる?」
「知ってるよ。一緒に帰ろうか」
「うん」
ロベリアは何の疑いも持たずに、彼女を親だと認めて手を繋いだ。
一緒に歩いて、二人が共に過ごした石造りの小屋へと辿り着く。
その扉をじっと見つめた後、ロベリアは「ちがうよ」と首を振った。
「私のお家は、もっと広い所にぽつんとあるの。お気に入りのベッドがあって、大きなテーブルがあるの。確か、そうだったと思うの」
「…そうだっけ」
ヨナも、覚束ない面持ちでその扉を見て、しばらく考え込む。
「ごめんね、わかんなくなっちゃった」
「いいよ、大丈夫」
ヨナが屈んでロベリアを抱きしめると、ロベリアも同じように彼女を抱き返した。
ヨナは幸せそうにロベリアの首元に顔を埋める。
―――まあ、なんでもいっか。
この子が居れば、嫌なことも、全部忘れられそうな気がするんだ。
「じゃあ、そこに帰ろっか」
「うん」
二人は手を繋いだままで、その忘れられた一室を後にして歩き出した。




