12話 真理に近づく度
静寂なる暗黒から光が、その光は言語を生み落とした、その神話はヘルメス主義が語らうものであった。
ヘルメス主義に基づき、霊魂は肉体と乖離させることが可能で有る、だがそれは一度だけで終わるものではない、終わりのない魂の進化の螺旋が有るのだ。
照応の原理、万物は互いに関連し合い、類似した構造を持つ、と言うように万物は無限のフラクタル構造を持ち合わせている。
そのように霊魂は終わりのないオクターブの如く、循環型のフラクタルを霊魂は増え広がりながら精神を変容する錬金術は魂の錬成を遂げた、存在密度、霊魂の質はそこから向上が始まるのだ、二元性は統合されていく、対立は自分の中に溶け合っていく。
「奴は初めから完成してながら動的、なんやろうな、心そのものやないけ」
、、、。
「あの灰之鬼神、この名前は表せる限界値として代表的なもので有る、まぁこれを完璧に表すとなった時には命題は偽、つまり真名を表せなく成りますよな」
これもまた象徴論的なもの、直感的にみたものをイメージ、それを偶像に、偶像に名前を付けるなら?そんな連想ゲームから繋がるのが灰之鬼神で有るが故に、そもそもが象徴論的手法が無ければ〔灰之鬼神〕なんて名前すら初めから存在しなかったのだから。
勿論今ある手法だけでは無い、言語で表せないものは今の言語体系では表現が確立しないだけ、とし、象徴論、記号論等からそれらを形容するものが形成されていく。
後天的に産まれ得るすべての造語、表せなかったものを表すために産まれて出る新たな言語系が発生するなど、すべてを網羅的に言いくるめて言語からそれは外れていた。
、、、。
「それにあいつ、あの力は道理か?」
全ての生き物には根源的なもの、真理また道理が有る、道理とは道にとっての側面、と言うよりは下から見上げてそれを自分なりに読解した独自の解釈したに過ぎないのだ。
道教あるいは老荘思想、道とは、姿形の捉えられるものではない、身を任せるもの、万物を生み出し、動かし続ける自然の秩序・法則、完全な無、そのどれもがいずれにも語れたもので有り、それ全てが一側面、偽物で有る。
十人十色、偽物はそれぞれ色々な解釈から派生、異なり無限に有る、それを帰納的に集めた一つの像だとしても、それは偽物に過ぎない、それも劣化したものしか感知出来ない、でもだから語れてしまうのだ。
同様に偽物の先を語らうのも偽物の側面にしか触れられないのだ、演繹的に考えるならこのような工程を帰納的に繰り返す偽物の道の階層もまた道から投影されたものを読解してるだけ、しかも偽物の、真は無いのだろう、不在そのものが本質だとすれば納得が行く。
だとすればこの先で無限に偽物の道を歩んで、またその先に有る2回目の道の階層も無限に歩んで、そんなことを無限回、無限累乗回、、、永遠と繰り返していたって辿り着くことは無い、道自体の全てが非真実で有り、道の外側に有るそれが真実なのだから。
「偏在を繰り返す霊魂、檻に押し込め、はぁ、あの戦い、ワイの劣勢やった、あいつに勝つんはどうしたらええかワイには分からへん、、、」
空間的法則は数学により言い表せる、陰陽の正反の無限次元、太極とは集合論的なフラクタルを内包しておりそれは自己同型、下から始まれば空っぽだが、位階を上がれば巨大基数はその巨大基数自身にその巨大基数と類似した、あるいはその巨大基数自身を内包することが出来る、と言うもの、自己同型が在る。
ラインハルト基数、バークレー基数以上がそうなのだ、その巨大基数全体が無限と繰り返しながら、一つ一つがフラクタルを持って居る、太極はその絶対無限を無限に生成するぞ。
それは陰陽次元論と同じく上から投影されたもので有り、絶対無限は超越、それら自己同型を内包している、勿論だが絶対無限自身にも自己包含・自己言及する)性質が有り、絶対無限には絶対無限が含まれる。
「無極を含めて、あらゆる存在が入れ子構造(マトリョーシカ状)になっている、最果ての無極まで歩みを止めずに鍛錬せしが、それとて尚も奴に勝つ想像が付かない、、、怖い、イップスとでも言うべきか?俺がたかが1度の立ち合いでここまでなるとは」
無極に行く、より巨大な太極図のミクロな構造として再度上昇を繰り返す、それこそが奴、堂嶋の居る領域への着実たる道のりであろう。
「奴が至ってる場所が今更になって理解出来た、彼奴自身を襲うより、彼奴の仲間を襲うべきだ」
奴は悟る、絶対的に勝てない、対面して、考えて導き出した答えに従って北条武蔵は仲間を叩き潰しに来た、、、だがそれは後になって知ることになる。
「(こんな事、しなきゃ良かった)」
絶望の火種となってしまう事を。




