#1 What Do You Think?⑥
時刻は五時半に差し掛かろうとしている頃。
始発の電車が来るまでの数十分を、三人はあの古びた駅舎の構内で待っていた。
「いや〜、ちゃんと取れてよかったね!」
「はい……!」
茶髪の少女の片手にはベージュの熊のぬいぐるみが入った、半透明のビニール袋が握られている。
「……結構、お金かかっちゃいましたけど……」
「気にしなくていいわ。どうせ必要ないくらい貰えるから」
「そ、そうなんですか……?」
「そーそー。まったく、過保護っていうかなんていうか……」
東の方から白み出した藍の空を眺めながら、三人は他愛もない話で残り僅かの待ち時間を潰していく。
「……ねえねえ」
話と話の切れ目に、カトレアは茶髪の少女へ話しかける。
「そのぬいぐるみ、好きなキャラクターか何かなの?」
投げかけられた質問に、少女は少しの間口をつぐむ。
やがて、
「……私ではなくて、お母さんが」
少女は小さく、そう答えた。
「お母さんって、あの?」
「はい、そうです」
少女はどこか震えたような、けれども確かに芯のある声で言葉を続ける。
「お母さん、このブランドのぬいぐるみが好きで、部屋にもいっぱい飾っているんです。……私も幼いときに買ってもらったことがあります」
二人は、続いていく話に耳を傾ける。
「私と、お母さんと、お父さんと。家族でどこかに行く時は、必ずそのぬいぐるみも一緒に連れて行きました。……もうどうしようもないくらいにボロボロになっちゃって、随分前に捨ててしまいましたが」
少女の袋を握る手が、無意識に強くなる。
「分かってはいるんです。もうあの頃は戻ってこないって。家族で食卓を囲んだのも、もう数年も前のことですし」
少女はゆっくりと、暁の空を見上げた。
「つい数日前、お父さんが誰かと電話しているのが聞こえてきたんです。その時、つい魔が差して、その話を盗み聞きしちゃって……」
朝焼けで消えかかる星と月を、淋しそうに少女はじっと見つめる。
「お父さん、お母さんに対して裁判を起こすそうです。どういう裁判なのかは分かりませんが、証拠がどうとか、日程がどうとか、お金がどうとか、難しそうな話をしていました」
少女はそっと瞳を閉じる。
「それで私、どうにかしないとって、今日の昼にお母さんに言ったんです。『もうやめてよ』って。『もう浮気なんてやめて、昔みたいに戻ってよ』って」
そう言うと、少女は自嘲するように笑う。
「そうしたら言われたんです。『あんたがもっと出来の良い子だったならね』って」
少女は薄れゆく星々から目を離すと、空いている方の手のひらに冷たく視線を落とす。
「自分が不出来な人間なのは、分かっています。それでも、ついカッとなっちゃって。……後のことは先ほど話した通りです」
そこまで話した少女は、何かに気が付いたように慌てて二人の方へ頭を下げた。
「あっ……ごめんなさい!こんなつまらない話を長々と!」
頭を下げられたカトレアとアイシャは、小さく首を横に振った。
「ううん。面白かった……って言うのは違うだろうけど、聞けてよかったよ」
それを聞いた少女は、頭を上げてホッとしたような表情で笑う。
「……それで、それはどうする気?」
アイシャは少女の手に握られた大きなビニール袋に視線を注ぐ。
「これは…………取り敢えず、仲直りの印としてお母さんに渡してみます。それで、いらないって言われたら、私の部屋に置いておきます。……あの頃を、思い出せるように」
少女の言葉を聞いて、
「……そう、良いと思うわ」
アイシャは優しく目を細めた。
「……もうすでに、壊れてしまっている幸せなのかもしれませんが…………本当に壊れ果てるその時まで、今の幸せを噛み締めたいって……このぬいぐるみを見たときに、そう思いました」
少女はもう一度、その手を強く握り締めた。
再び静まり返る構内。
掛け時計の秒針が音を立てて時を刻む。
そのうちにアイシャは、
「強いのね、貴女」
不意に小さくそう呟いた。
「……そうですか?お二人の方がよっぽど……」
「ううん」
少女の言葉をカトレアが遮る。
「あなたの方が強いよ。ずっとずっと、ね」
カトレアは寄り掛かっていたシャッターからその身を離すと、手を後ろにしてまだ暗い空の方へ歩いていく。
「……私たちはさ、ずっと逃げてるんだよ。いつか必ず、向き合わなきゃいけなくなることにさ」
そのうちにカトレアは振り返って少女の目を見ると、ニッコリと笑顔を作ってみせた。
「尊敬するよ。あなたのこと」
そう言われた少女は首と手を横に振る。
「そ、そんな……!とんでもない!」
「ううん。本当に強いと思うよ、あなた」
そう言われてから、何かを少しの間悩んでいたらしい少女は、やがて再びカトレアの方へ向き直して、
「…………あの、二人が逃げていることって……」
パンっ
静かだった駅の周辺に、轟くような発砲音が鳴り響く。
「…………どうだ……!」
つい数時間前、黒衣の少女の電撃によって気絶させられた男はそう言った。
男の手に握られた一丁の拳銃は、その銃口から白い煙を昇らせている。
発砲の反動から姿勢を戻した男は、自身が狙いを定めていた白髪の少女の姿を確認しようとするが、
「残念、外れだよ」
草むらの陰、隠れていた男の背後から聞き覚えのある少女の声が聞こえてくる。
「……ひっ……!?」
「そんな危ないものを人に向けるなんて悪い人だね……?」
男の後ろに”移動“してきていた白髪の少女は、蔑むような目で腰を抜かしたらしい男の姿を見下ろす。
その一方、草むらから放たれた銃弾は、
「怪我はない?」
「は、はい……ありがとうございます」
突如現れた分厚い氷の壁によって弾かれていた。
男は腰を抜かしたまま、目の前に立つ少女から後ずさりながら逃げることしかできない。
そんな男を、カトレアはその手に火花を散らしながら着実に追い詰めていく。
「覚悟はできてるよね……?」
「……は……は……」
しかし、次の瞬間、
「……死ねやこのガキィぃぃ!!」
パンっ
ほんの数歩先に立っている少女に向かって、男は再びその引き金を力強く引いた。
「はあ……はあ……」
立ち昇る硝煙、火薬臭い煙の先では、
「下手っぴ」
「……あ……?」
白髪の少女は何も変わらない様子でそこに突っ立っていた。
銃口から勢いよく飛び出した二発目の銃弾は、唐突に軌道を変えるように“移動”して、明後日の方向へと飛んでいく。
「それは没収ね」
そして、アイシャと茶髪の少女が駅舎の方から歩いてくるのと同時に、男が持っていた拳銃は急に“加速”して、誰もいない方角へ転がっていった。
「……な、なんなんだよっ!!」
二人の黒衣の少女に挟まれた男は大声を上げる。
そんな男をよそに、カトレアはその手を大きく空に振り翳して、
「心配しないで、殺しはしないよ」
男に向かって振り下ろそうとしたそのとき、
「…………っ……!」
茂みの奥から、一発の火球がカトレアを目掛けて飛んできた。
「きゃっ!?」
短く悲鳴を上げる少女。
アイシャはそんな少女を庇いながらその場にしゃがみ込む。
そして、
「……こんな街にもいるものね」
茂みの奥から聞こえてくる二つの足音に、アイシャは耳を立てる。
「能力者は」
その足音は茶髪の少女の耳にも聞こえるほどに次第に大きくなっていく。
やがて、
「やれやれ、ガキだとは聞いていたが……」
木々の陰から二人の男が姿を現した。




