#1 What Do You Think?③
「ひゃっ!」
キューブ状の氷を直接頬に当てられた少女は、静寂を取り戻した路地裏に高い悲鳴を響かせる。
「もー、急に氷当てたらびっくりしちゃうでしょ?」
「仕方ないでしょう?氷を包むような布もないのだから」
赤くなった頬の熱で融けた氷は、水滴となって少女の顔の輪郭をなぞっていく。
「ねえあなた、本当に大丈夫?結構遠くからでも聞こえるくらいすごい音してたよ?」
「……痛いですけど、大丈夫です。心配してくださって……それと、助けてくださって、本当にありがとうございます」
茶色の三つ編みを揺らして深々と頭を下げる少女を見ながら、カトレアとアイシャは優しく微笑んだ。
「……さあ、彼らが目を覚ます前にさっさと離れましょう。また面倒ごとになるのは御免だわ」
「そうだね。……だけど、その前に……」
そう言ってカトレアは路地裏の入り口の方へ歩いていくと、倒れ込んだままピクリともしない男たちを見下す。
「……死んではなさそう、かな」
小さく呟いたカトレアの隣に、その後ろを歩いてきていたアイシャが肩を並べる。
「いくら能力者ではないといっても、あの程度では死なないわよ」
「どうかな?氷柱で吹っ飛ばした人たち、意外と死んじゃってるかもよ?」
「勘弁してちょうだい。こんな所で手を汚したくはないわ」
そう言いながら、アイシャは面倒くさそうに向こう岸のシャッター前で横たわっている男たちの方へと歩いていく。
「…………あの」
「……ん?どうしたの?」
ほとんど融けてしまった氷で片側の頬を抑えながら、茶髪の少女はカトレアの後ろまでやって来ていた。
「お二人は能力者なのですか?能力者は、すごく難しい試験を受けたり、何年も訓練を受けたりしないといけないって聞いたことがあるのですが……」
茶髪の少女は目を輝かせながら、カトレアの顔を見つめる。
「…………あー……」
少女から向けられた羨望の眼差しから逃れるように、カトレアは目を泳がせた。
「私たちは……なんていうか、その…………そう言う感じじゃないっていうか……」
そんな風にカトレアが言葉を詰まらせていると、アイシャが向かいの道路から戻ってきた。
「ちゃんと生きていたわ。……全く、なんでこんな人間の安否を確認しないといけないのやら……」
「あっ、生きてたんだ!うっかり殺しちゃってたらどうしようって思ってたよ!」
「……失礼ね。加減の一つくらいできるわよ」
アイシャは呆れた目つきでカトレアのことを見る。
「彼ら、そろそろ目を覚ましそうだったから、早くこの場から離れた方がいいわ」
「おっけ〜。…………でも……」
ぐぅ〜
カトレアが続けようとした言葉が、唐突に鳴ったお腹の音によって遮られる。
「あ……あ、えっと」
二人の視線を集めた少女は、両側の頬をまた少し赤らめながら恥ずかしそうに口を開いた。
「……あの、実は今日、朝から何も食べてなくて……」
もじもじする少女を前に、カトレアとアイシャは静かに視線を合わせた。
ーーー
時刻は丑三つ時より少し早いくらいの頃。
疎な店内の一席に、三人の少女が腰を下ろす。
「いや〜、二十四時間やってるお店があって良かったね!」
三人がやってきたのは、あの路地裏からそう遠くないところにあったハンバーガー店。
その店内は、何かを揚げているらしい音と油が発するしつこい匂いで満ちていた。
「じゃ、私はポテトをいただきま〜す!」
そう言ってカトレアはトレイの上に乗った紙箱から一本のフライドポテトを取り出すと、サクサクと音を立てて食べ始める。
「完全にアウェイね……」
アイシャは周囲をチラリと見ると、足や腕に刺青の入った男や、何やら高級そうなアクセサリーを体中につけた女が、物珍しそうにこちらを見ている様子が目に入った。
「気にしない気にしない!いざとなれば、さっきの男の人たちみたいにすればいいよ!」
「あんたねえ……」
カトレアがテンポ良くポテトを食べていく様子を頬杖をついて眺めていたアイシャは、対照的に、向かいで行儀よく座ったままピクリとも動かない茶髪の少女の方に目を向ける。
「貴女は食べないの?」
不意に声をかけられた少女は、一瞬ビクッとした後に、口籠もりながらアイシャの方を見る。
「でも……私、お金払ってないですし……」
ストローでジュースを飲んでいたカトレアはその言葉を聞くと、
「お金のことはいいよ!」
そう言ってトレイの上に乗っていた紙包みを少女に向かって差し出す。
「私たちがハンバーガー食べたくなったから、あなたを無理矢理連れてきただけだし。気にせずに好きなだけ食べて!」
その言葉を聞くや否や、少女は目をキラキラさせながら差し出された紙包みを受け取った。
「あ、ありがとうございます!それじゃあ、いただきます!」
しかし、
「……ま、その代わりに身体で払ってもらおうかな!」
「…………え」
少女が紙包みから剥き出されたハンバーガーにかぶり付いたのを見計らって、カトレアはにこやかに言い放った。
「ちょっと。やめなさいよ、そういうの」
「あはは!冗談だよ、冗談!」
カトレアは楽しそうに笑い声を上げると、自身もトレイに転がっている紙包みのうちの一つを拾い上げた。
「……それで」
再度、アイシャは少女の方へ顔を向ける。
「貴女はあそこで一体何をしていたの?」
「……え?」
先程までものとは違った、鋭く、冷たい視線に、茶髪の少女の身体は凍ったように動かなくなる。
「こんな時間にこんな街で、女子供が一人でふらついていたら、ああいう連中に絡まれるのなんて少し考えたら分かることだと思うのだけれど」
淡々と詰められる少女は、目を左右に泳がせながら何とか言葉を発しようとするが、
「……あ……えと……」
まともにその口を動かすことができない。
そのようにして言い淀む少女と、その返答を待つアイシャ。
数秒の間続いた沈黙は、やがてアイシャが吐いた小さな溜息によって破られた。
「……言いたくないのなら言わなくてもいいけれど、もう少し考えて行動した方が貴女の身のためよ?いつも誰かが助けてくれるわけではないのだから」
俯いたままアイシャの話を聞いていた少女は、ようやく話せるようになったのか、重く閉ざしていた口をゆっくりと開いた。
「…………家出……」
「……何?」
「家出……してきたんです……」
少女は眼鏡越しの茶色の瞳で、アイシャの目を弱々しく見つめ返す。
「家出?」
「……はい。今日のお昼頃、お母さんと喧嘩してからそのまま家を飛び出して来て、それで…………行く当てもなかったから電車に乗って……電車の中でずっと考え事をしてるうちに夜になっちゃってて、慌てて降りたら、帰りの電車ももうなくって……ホテルに泊まれるほどのお金はないし、どうしようかなって考えてたら駅舎から追い出されちゃって……とりあえず歩いてみようと思って歩いてたら、あの人たちに捕まっちゃって……」
時々アイシャから目を逸らしつつも、少女は途切れ途切れに言葉にしていく。
「ふ〜ん?ちなみに、お母さんとの喧嘩の理由は?」
「…………お母さんの浮気です……」
「……そういうやつかあ」
腑に落ちたような様子でそう言うと、カトレアは空になったフライドポテトの箱を綺麗に折り畳んで、指についた塩を舌で舐める。
それを見ていた茶髪の少女は、ふと、隣で腕を組んだまま黙り込んでいたアイシャと目が合った。
「……まあ、取り敢えず事情は分かったわ」
そう言うと、アイシャは机に乗ったプラスチックのトレイを、向かいの席の方へ少しだけ押しやった。
「もう貴女のことを責める気はないから、取り敢えず食べられるだけ食べておきなさいよ。お腹、空いていたのでしょう?」
「…………あ……は、はい……」
恐怖と安堵が入り混じった様子の少女は、生返事を返したまま、食べかけのハンバーガーを手に持ってその場で固まっていた。
そんな少女を横目に、アイシャはトレイの上にある紙箱の中からポテトを一本摘み取ろうとするが、
「…………は」
紙箱の中で何度ポテトを摘もうとしても、アイシャの人差し指と親指は空を切るばかりだった。
「……ねえあんた、私のポテト知らない?」
「知らない知らない。きっと悪い誰かが全部食べちゃったんだろうね〜」
「そう。…………ところで、あんたは確かLサイズを頼んでいたわよね?」
「……?うん。いっぱい食べたかったし」
アイシャは綺麗に折り畳まれていた厚紙を再びポテトの紙箱に戻す。
そうして戻した紙箱と、トレイの上に置いてあった紙箱を並べると、トレイの上にあった紙箱の方が明らかに一回りほど大きかった。
「私、Mサイズを頼んだのだけれど」
「…………」
横に座る少女に対して無言の圧をかけるアイシャ。
カトレアは絶対にその目を見ないようにしていたが、
「ポ、ポテトが!ポテトさんが!揚げたてのうちに食べられたいって言ってたの!」
やがて、大きな声でそう喚いた。
「何訳わかんないこと言ってんのよ!私のポテト返しなさいよ!」
「もう無理だよ!ポテトさんは天寿を全うして、天国へ旅立って行ったんだから!」
「何でさん付けなのよ!」
深夜のハンバーガー店で意味の分からない内容で騒ぎ立てる二人の少女は、周りからの注目を大いに集めていた。
そんな二人を見ていた少女は、
「……ふふっ」
固まった表情から絆されたように笑うと、まだ温かいハンバーガーに再び齧り付いた。




