↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
18/24

第17話

「.....なんかシャワー浴びたら、急に冷静になってきちゃって」


 白波瀬は上気した頬に指を当て、そう言った。.....とても冷静な様子には見えないが。


 濡れた服は白波瀬が隣の部屋で除湿器にかけてくれているらしい。何から何まで申し訳ない。用意してくれたスウェットとジャージは、俺が着ても若干丈に余裕があるくらいで、安心と共に少々ショックだった。きついよりはましだけど。


慣れない柔軟剤の匂いにそわそわしていると、シャワーを終えた白波瀬がリビングに入ってきて、やけにもじもじしていると思えば、


「よく考えれば、その」


「うん」


 スウェットにショートパンツ姿の白波瀬は両太ももをすりすりと擦り合わせて、そして頑なに俺の方を見ようとしない。


「家に同級生の男子を上げるのなんて初めてだなー、と」


「冷静になって、今更それに気づいたのか」


「ええ、まあ」


 では先ほどの毅然とした佇まいは冷静ではなかったのか。


「なんか、濡れてるとあんまり頭回らなくて.....」


 それは困る。こちとら白波瀬の冷静(っぽい)姿が、唯一の頼りだったのだから。


 シャワーを浴びた白波瀬の姿はやけに色っぽい。プールで泳いだ後とそう変わらないはずなのに、なぜこうも俺の神経を過敏にさせるのか。こちらまで漂う甘い香りのせいなのか。


「なんで俺を家に入れたんだ.....」


「だって、ずぶ濡れだったじゃない!流石に私だけ帰るのも、ね?」


「いやそうだけどさ」


「シャワー浴びてたら、なんかはっとして。そう、まさに冷水を浴びたように」


 浴びたのは温水だけど。


「こ、これって、結構、アレな状況なのかなー、と」


 湿った髪に、火照った体。濡れたまつ毛も、いつにもまして緩い恰好も、俺の血流を何だかとても良くない感じに加速させてしまう。スウェット越しに分かる体のラインも、いつもならそこまで気にしていないのに。アレな状況。アレな状況とはなんだ。


 俺たちは確かにあの頃のままだ。でも、どうしようもなく年は重ねていて、それは抗いようがない。白波瀬がちゃんと年相応に成長していることを再確認し、心臓が大きく跳ねた。しかし。


 俺は右手を顔の前に掲げる。なぜか手のひらまで熱い。


「お、俺は流石に、そこまで節操のない人間ではないから.....安心してくれ」


 これは伝えておかなければならない。


 白波瀬は顔を真っ赤にして数秒間動きを停止した後、ぶんぶんぶんと首振り人形のように頷いた。


「そ、そうよね。ええそうよね。私、家に人がいるのがちょっと新鮮で!動揺しちゃってただけかもしれないわね!」


 .....家に人がいるのが新鮮?


 俺はその言葉に引っかかる。


 玄関に俺達以外の靴が見当たらない時点で、親がこの場にいないことは察していたが。そして、生活の匂いが薄いこの部屋を見て、ただ単に帰りが遅いという風でもないことも分かってはいたけれど。


 聞いていいのだろうか。迷いつつも、俺は白波瀬に尋ねる。


「ちなみに、ご両親は?」


 赤みが差していた頬から、すっと色が消えたような気がした。乏しくなった表情に、俺はまずいことを聞いてしまったか、と一瞬焦りが走るが、


「ああ、お父さんあんまり帰ってこないから」


 思いのほかあっけらかんとした口調だった。


「帰ってこない?」


「ええ。子供のときから家に一人の時間は多かったけれど。中学にあがるタイミングで両親は離婚して、私は父親についてここに引っ越したのよ」


「ああ、だから」


「そう、そのタイミングでこのマンションに来たの。お父さん、中学の時も家にいないことは多かったけれど。高校に上がってからは一か月に一回帰ってくるか、こないか。仕事なのか、なんなのか.....まあ、そこのところはあんまり分かんないけどね」


「白波瀬は、いつもここで一人なのか?」


「まあそうなるわね」


 慣れているのだろう。ことさらに悲壮感を表現したりはしない。返事は淡々としていて、俺もそうかと頷きそうになるけれど。


 高校生の娘が一人暮らし同然の生活をしているにも関わらず、詳しい事情も言わずに家を空けたままにする父親。褒められた行動ではないことは明らかだった。


 俺は、ここで一人で生活する白波瀬を想像する。このだだっ広い部屋で、自分の息遣いしか聞こえない部屋で。朝も夜も一人きり。自分の名前を呼ぶ声はなく、帰りを待ってくれる人もいない。そんなのってあんまりじゃないか。俺の想像の中の白波瀬は孤高の姫でもあり、心細そうなただの少女でもあった。


 俺の顔があまりにも曇っていたのだろう。


「別に心配してもらわなくたって、平気よ?困ったことなんてないし」


「ああ.....」


 白波瀬は事も無げに言った。気を遣わせたみたいで申し訳ない。それに、本人がそう言うのなら部外者の俺が口出しするのも良くないだろう。先ほどの勝手な想像を頭から振り払って、俺は顔を上げた。


「雨、さらに強くなったみたいだな」


 話題の変更を試みて、とっさに目についたのは窓の外の景色だった。少々強引だったかもしれない。しかし、ピークに差し掛かった雨のその破壊的な勢いは、滞った空気を転換させるには効果的なものだった。


「うわあ、すごい雨ね。マンションが流されちゃいそう」


「マンションは流されないだろ」


「例えよ、ばか」


 この近辺を見渡せる大きな窓に、大粒の雫が重い音を立ててぶつかっては砕ける。それが絶え間なく繰り返される。見下ろしたはるか遠い地面は、白く泡立っているように見えた。梅雨明け直前。誰かが天の神の逆鱗に触れてしまったのかと思うほど、自然は猛威を振るっていた。


 人っ子一人見えない中、俺は隣にいる白波瀬の存在を強く感じる。ありふれた言い方だけど、この世界で二人きりになってしまったかのような錯覚を、本気で覚えてしまった。窓に寄って外を見下ろす白波瀬は、好奇心と恐れの混ざった、幼い子供のようなきらきらした目をしている。


「まだ.....帰れないわよね?」


 艶やかなセリフに心臓がきゅっと固くなったが、俺を見上げるその顔は遠足前の子供のように無邪気だ。俺が頷くと、白波瀬はふにゃっと破顔した。


「ねえ、それじゃ映画でも見ない?お菓子もあるし、お茶も入れてあげる」


 軽やかにキッチンに駆けていくその姿は、幼いころの妹のそれを彷彿とさせる。


「なんだかテンションが上がってきちゃったのよ。家族以外の人が家にいるなんて初めてだもの」


 珍しく、上向きな感情を隠さない。子供の様にはしゃぐ白波瀬の姿に、そう振舞うことができなかった幼い白波瀬の影を見る。ちらりと顔を出す知らない一面に、俺は今いる場所がどこであるかを思い出す。


 この部屋の空気にも大分慣れた。知っているはずだった彼女のその内面に、俺はいつのまにか入り込んでいた。根幹に手が触れそうなほど近づいて、俺の胸の中に広がる温かいものは彼女に対する親しみなのか。


 水泳の練習は今日でおしまいだ。でもきっとこれからも白波瀬とは関わり続けていくだろうと確信めいたものを感じながら、


「それなに」


 キッチンから戻ってきた彼女の手には、


「なにって、クッキーだけど」


 漆黒色のクッキーが山盛り乗った大皿があった。


 俺は気合を入れて、一口つまむ。あ、食べた、と白波瀬が驚きの声をあげた後、心配そうにこちらを伺う。


「やばいならぺっ、してもいいわよ」


 そんなものを客人に出そうとするな、と文句を言いたいところだが、生憎口に食べ物(?)が入っている。俺は鼻息を止めて数回咀嚼した後、勇気を出して鼻の通りを解放。


「どう.....?」


 白波瀬が恐る恐る聞いた。


「昔ガキの頃、鉛筆の芯をがりがり齧ったことがあって」


「思い出の味ってこと?」


 いいように解釈するなあ。


 実際のところ、その時の鉛筆の味は覚えていない。ただ不味かったたという記憶のみが残っている。


「流石に冗談よ。ちゃんとしたお菓子もあるわ」


 白波瀬は戸棚をごそごそと漁り、市販のスナック菓子の袋を取り出した。コンビニでも目にする、ありふれたスナックだ。意外に思う。彼女はそういうものを食べないのかと思っていた。かつて駄菓子屋で珍しそうにきょろきょろしていた姿を思い出した。


 白波瀬は菓子類をソファーの前のテーブルに置き、紅茶も二人分用意してくれる。ロココ調の上品なティーカップに、透き通った赤茶色。ここで安物のジュースを選ばないあたり、気品がにじみ出ているが、隣に置いたスナックとは少々不釣り合いだ。


「あーあ。お菓子作りなんて、慣れないことするべきじゃなかったわね」


「気持ちはありがたく受け取っとく。普段は料理しないの?」


「まったくよ。出来合いのものを買ってるの。でもまたリベンジはしたいわ。そのときには」


 味見してくれる?


 そう言った白波瀬に、微笑んで頷く。喜んで。


「何見る?有名どころは大体見られると思うけれど.....」


 白波瀬がリモコンを操作すると、大画面のテレビには大手配信サイトのロゴが表示される。


「白波瀬って、映画とかよく見るのか?」


「まあ人並みにね。.....意外に思う?」


 見透かされて、どきっとした。かつての白波瀬は、俗っぽい趣味には一切無縁そうだったからだ。流行りの漫画もアニメもドラマも映画も、何を紹介しても知らない、と返されるのがお決まりと化していた。


「私もう世間知らずじゃないのよ。あなたに色々教えてもらったもの」


「.....俺の影響?」


「も、なくはないわ。.....それだけじゃないけどね?」


 結局、俺たちはホラー映画を観ることにした。大雨の日はホラーが映える。俺がそんなことをさらっと言ってしまったがためだ。じゃあそうしましょ、と言った白波瀬のリモコンさばきにはよどみがなかった。


 止まない雨、そして遠くで鳴り響く雷の音。運悪く、雰囲気作りはばっちりだった。はっきり言おう。俺はホラーが苦手だ。人が理不尽に死ぬところを見て何が楽しい。強がってあんなことを言ってしまった数秒前の自分を恨む。


 白波瀬もその手のジャンルに詳しいわけではないらしい。とりあえず、評価が高いものを探し、再生ボタンを押した。


「チープね」


 映画が始まって三十分。歯をがちがち鳴らし、両腕で己の体を抱く俺の横で、白波瀬はいたって平然とした顔でそう言った。


 ありえない。そんな言葉も、震える口ではまともに発音できない。人が.....人が、死んでいるんだぞ?


 田舎の大家族の、平和で幸せな日常。その背後に忍び寄る得体のしれない恐怖。田舎特有の閉鎖的な、得も言われぬ圧迫感。魔が差したように豹変する村長!次々に見つかる変死体と、流れる真っ赤な血!


 人を怖がらせて何が面白いんだ。不本意に引き出される恐怖の感情に、諸々通り越して、怒りさえ湧いてくる。恐怖を娯楽として消費できるのは平和な時代の特権だ。ということは、時代が全て悪い。そういうことだ。


「なんというか、ここで怖がってくださいねって意図が見え見えって感じ。そのシーンを作りたいがために登場人物が動かされている的な.....」


「は、は」


「メイクもなんだか浮いてるわよね。驚く演技もいちいち不自然。ストーリーも予測可能だし。ああほら、ジャンプスケアが来るわよ、来る、来る.....」


 そう言う白波瀬の指は、よく見ると震えている。もしかしてこの人、解説して怖さを紛らわせようとするタイプ?


 カメラはゆっくりと老婆に近づく。分かっている。分かっている。振り向くとアイツがいるのだ。分かっているのに、なぜこうも体が硬くなる。


 情けないのは自覚しているが、薄ーく目を開けて画面を見る。老婆はばっと振り返った。と、


「きゃあっ」


 やけに可愛らしい、甲高い声が聞こえた。隣から。


 飛び上がった白波瀬は、そのままバランスを崩して体がこちらに傾く。倒れこんだ彼女の肩を思わず抱きとめた。


 最初に流れ込んだ感覚は、重さと熱さ。人間に触れているという実感と、それが白波瀬であるという事実が不協和音を起こして、バグは体温の上昇として現れる。細い肩から体温が伝わる。顔が近かった。


 最初白波瀬は何が起きたのか分からなかったらしい。きょとんとした顔は徐々に朱色に染まっていき、


「.....あ」


 と何かが擦れるような微かな音が口から漏れた。


お互いの息遣いさえも分かる近距離で、俺たちは見つめあっていた。


 どうにかなってしまいそうだ。思考がぼやけていく中で、そんな感覚が初めて湧きあがるのを、どこか冷静に観察している自分もいた。


 ぎゃあああああああああああ。


 画面の中から、耳がねじ曲がりそうなダミ声が響く。


 我に返った俺たちは、慌ててお互いの体を離す。老婆が叫ばなければ、どうなっていただろう。違った意味での恐怖が俺を支配する。もっとも、それも床に転がった老婆の生首を見て吹き飛んだのだが。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。