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第11話

「幼馴染っていいよな」


 買ったばかりのパックジュースにストローを刺しながら、近藤は出し抜けにそんなことを言った。


 定期テストを一週間後に控え、教室内では休み時間に参考書とにらめっこしている真面目な奴もちらほら。進学率は高いが、我が校は進学校ですと胸を張れるほどの名門校でもない。まあ要するに、どこにでもあるような中堅公立校なのであった。


 よって、定期テストに対する態度は人それぞれだ。机にへばりついてカリカリする奴もいれば、ノー勉を誇り始める奴もいる。そこまででもないが、どちらかと言えば不真面目よりの俺と近藤は、まだ余裕だよな、と良くない意気投合をし、休み時間の教室を抜け出しジュースを買いに来たところだった。


「そうかな」


 俺は自販機に小銭を入れながら、若干の不同意を込めてそう返す。普通に考えて、年を重ねてから知り合った友人の方が、性格は合致するのではないだろうか。幼馴染ってのは、往々にして親の都合によって引き合わされる場合もあるし。


 近藤は、物わかりの悪い子供を相手にするように、疲れた顔を作る。


「お前はほんと分かってないな。あのなあ、相当のイケメンでもない限り、高嶺の花と知り合うには子供のころから友人でいるしか方法がないんだよ。俺はお前が白波瀬さんと幼馴染だと聞いた時、思わず膝を打ったぞ。このルートがあったか、と」


「ルートて」


 しかし、そもそもの話、俺は白波瀬と幼馴染なのだろうか。ジュースの吟味片手にそんなことを考える。幼いころからの知り合いという意味であれば、小学二年生は確かに幼いだろう。しかし、小学校の同級生を全員幼馴染と呼ぶのかと言われれば.....。


 幼馴染ってもっとこう、幼児からの付き合いとかじゃないのか?


「それに、自分があほだった頃のことを知ってもらってるっていうのは、なんか良くないか?説明不要の仲っていうかさ、思い出話とかしたいよな」


「今も十分あほだろ」


 それでも、今の話にはいくらか同意する。俺は取り出し口に落ちたコーヒー牛乳に手を伸ばしながら、輝かしくもあほだった小学校時代に思いをはせる。


 確かに、あの頃の俺はあほだった。躊躇いや恥じらいでさえも隠そうとはしなかったし、世界は楽しいことと楽しくないことの二種類で構成されていた。だからこそ白波瀬と仲良くなれたし、なんだかんだで今に繋がっている。


 しかし、あほだった頃の俺は知ってもらっているとして、若干あほだった頃の俺は知ってもらっていない。なにしろ中学は全くと言っていいほど関わりがなかったのだから。


「今からでも遅くないさ」


 コーヒー牛乳を一口飲んで、俺はそう言う。近藤は、はあ?と口を半開きにした。


「大人になれば、高校時代の友人もなかなか貴重なものだ」


「.....なんだお前突然。やけに大人ぶった口ききやがって」


 未来を向いて生きていこうじゃないか。そんなことを口の中で転がして、あまりの薄っぺらさに笑いがこみ上げる。俺が言うか?それ。


 教室へ戻る道すがら、廊下を曲がろうとした俺を、近藤は首根っこを掴んで引き留めた。喉に襟が食い込んで、カエルが轢きつぶされたような異音が漏れ出る。


 おい何すんだ、と怒鳴りかけた俺に、近藤は芝居がかったしぐさで自分の唇に指を当て、しっ、と囁く。黙れの表現も、こいつがやるとなんかうざったい。なんだ、刑事ドラマにでもハマったのか?そんなもん俺に付き合わせないでくれ、小学生じゃあるまいし.....。


「ねえ、白波瀬さん」


 曲がり角の向こうから聞こえた声に、俺の心中の文句は鳴りを潜める。ここ数週間で、シラハセという音に随分過敏になったように思う。聞こえる会話内容からして、その場にいるのは白波瀬と、その他女子生徒数名。俺とはあまり関わりのない人たちだ。しかし、なぜ近藤は俺を引き留めた?


「最近噂になってるけど、白波瀬さんって、今坂くんと付き合ってるの?」


 ド直球。まさか飛び出すとは思っていなかった俺の名前に、脳みそがちかちかと点滅しそうな感覚だ。 声色は、決して高圧的なそれではなかった。あくまで、事実確認をしている、そんな風だ。


.....というか、近藤はこんな展開を読んで俺を引き留めたのか?耳がいいというか、勘がいいというか、もはや不気味の域に達している。


「いいえ、付き合ってないわよ」


 そして即答。硬質なその声を聞いて、俺は無意識に自分のつま先を見ていた。付き合っていない。その通りだ。何も間違っていない。俺が白波瀬でもそう答えるだろう。


「あ、そうなんだ~。なんか噂になってるから気になっちゃってさ」


「そうなの?じゃあ訂正してもらえると助かるわ」


「うん。誤解は解いたほうがいいよね~」


 白波瀬の声には温度がないが、棘があるわけでもない。人によっちゃ怖い態度と見なすかもしれないが、特段怒っていないのは確実だ。対峙している女子生徒はそんな白波瀬の様子にどこかほっとした様子だった。


 そのまま白波瀬と女子生徒らの足音は、教室の方へ遠のいていった。


 壁にもたれた俺は、自分でも驚くほど冷静だった。その冷静さはどこか白々しく、鼻で笑いたくなるほど頭は明晰だった。


「ほええ。白波瀬さん怒ってなかったな」


「そうだな」


 愛想は常にないが、基本的に声を荒げるのは俺に対してのみだ。不機嫌そうな顔がデフォルトだから、誤解されることは多いけれど。


「それで?今坂佐くんは付き合ってるのを即否定されてちょい複雑な心境.....という感じですか」


「気持ちの悪い推測はやめろ」


 俺が睨みつけると、近藤はいやんこわい、と己の体を両腕で抱いた。


***


 がたんごとん、と鳴り響く重い音。その規則性はどこか鼓動のようだ。そんなことを思いながら俺は心地よい揺れに身を任せる。車窓をぼうっと見ていると、意識はその上に重しを置かれたように、徐々に下へ下へと沈んでいく。つまり、眠い。


 電車に乗っていると時々妙に眠くなるんだよな、と以前近藤に話すと、それは胎内記憶云々、と妙な解説をされた。それに関しては気持ち悪いと断ずるより先に、納得感が勝ってしまった。だってこんなに心地よいのだから。


「ねえ、あなた定期テストの勉強はしているの?」


 俺のまどろみに冷や水を掛けたのは、隣に座る白波瀬の言葉だった。


 俺たちは今まさに、学校から市民プールへ向かう途中である。


「は、え?定期テスト?」


 目をぱちぱちと瞬かせる俺に、白波瀬は呆れを隠さない。


「そうよ。ちゃんと話聞きなさいよ。で、どうなの?」


「まあ、ぼちぼちかな」


「そう。それならいいんだけどね。水泳の練習に付き合ってくれるのはありがたいけど、勉強時間奪ってるなら申し訳ないもの。私はきっともう一人でも練習はできるし、無理に私に付き合う必要はないのよ」


「そういうわけにはいかない」


 ほとんど反射で発した言葉だった。言い終わってから、やっと感情が追い付く。


「ずっと見てきたんだから、最後まで付き合わせてくれ。どっちにしろ、あと数回だろ」


 白波瀬は頷く。


「そうね。長いようで短かった.....。最初はテストなんて半ば諦めてたのに」


「.....終わったような口ぶりだが、まだ数回はあるからな。あと、今のままだと流石にB評価は無理だ」


 成績はタイムも重要なのだ。でも、白波瀬ならこの数回でしっかり評価基準の速さに仕上げるのだろう。確かに、俺が付き合う必要はあまりないかもしれない。きっと白波瀬はもう溺れることはない。


 電車がゆっくりと停車する。ドアが開くと、この近くの私立小学校の制服を着た女の子数人が乗り込んできた。皆、利発そうな顔をしている。腰を下ろすと、ある子はお喋りを始め、またある子はランドセルから有名な児童文学をだして膝の上で開いた。


 俺たちが降りる駅はこの次だ。ドアは少々がたつきながら閉じ、電車はまたゆっくりと動き出した。


「なあ」


 俺は白波瀬に話しかけながら、努めて前を見るようにする。と、いうのにも事情がある。なぜかここ数日、俺の視線は誘導されるように白波瀬の胸部に向かってしまうのだ。思い返してみれば、この現象が始まったのは彼女の下着を買いに走って以来のことだ。


 絶対尾を引いているよな.....。


 遅効性の毒の様に、じわじわとあの思い出が熱を持ち始めている。自分が思っているよりもずっと、深く深く脳裏に刻み込まれているようだ。結局、俺も人並みの男子高校生でしかなかったということだ。


 そこんとこ、白波瀬はどうなんだろうな。彼女だって同級生の男子に下着を買わせて、平気なはずがない、と思いたい。が、涼やかな横顔を見てもこれといって感情は読み取れない。俺はため息をついた。


「夏休みの予定とか、もう決まっているのか?」


「特に決まってないけど.....。まあ、どうせ暇だから、勉強でもしてるかしら」


「暇で勉強をする?一度でいいから言ってみたいセリフだな」


「そんなこと言って、来年は私たち受験よ。うかうかしてられないでしょ」


「だから今年遊ぶんだよ。どうせ来年は勉強で潰れるんだから」


「まあ、それはそうかもね。今坂は?なにか予定でもあるの?」


「予定ね.....。家族で旅行は行くみたいだが。まあ、あとは友達と海くらいは行くかな」


 うみ、と小さく呟く声が聞こえた。以前.....それも、とてもすごく以前、白波瀬と海について話をしたことがあった。浜辺にクラゲがいるだのなんだの、他愛もない話だったが、白波瀬は喜んで聞いてくれた。


 白波瀬は覚えているだろうか。


 小学生の時の記憶はフィルターがかかったようにぼやけていて、それは年々物語じみてくる。楽しかったあの頃、なんてタイトルが付けられて。当時抱いていた感情はどこかに葬られて、はりぼての記憶に郷愁を覚える。思い出の中に身を投じたくもなるが、しかし必ず反発する俺がいる。


 終わってなどいないのだ。白波瀬は今も俺の隣にいて、あのころから変わらず、いやあの頃よりもずっと美しく輝いている。


「ねえ」


 隣から聞こえた声に、ん?と返す。


 白波瀬は唇をぎゅっと閉じ、下の方を見つめている。何かを言おうとして、でも迷っている。そんな感じだった。


 少し赤くなった頬に白い指先で触れ、彼女は振り切るようにかぶりを振った。


「ううん。やっぱりなんでもないの」


 電車は減速を始めた。 

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