第二部 第43話「残されたもの」
第二部 第43話「残されたもの」
馬車の車輪が乾いた地面を軋ませながら進み、三日目に入ってもその揺れは変わらず続いていたが、リックは座ったまま身をわずかに前へ寄せ、外の様子を注意深く見続けていた。
風は強く、土の匂いが混じる空気が流れ込んでくるが、それ以上に気になるのは周囲の静けさであり、本来なら人の営みが感じられるはずの距離に入っているにもかかわらず、何も聞こえてこないことが異様だった。
「……近いな」
小さく呟いた声に返事はないが、それは全員が同じ感覚を共有しているからだった。
やがて視界の先に村の輪郭が見え始めるが、それを村だと認識するよりも先に違和感が胸に引っかかり、煙の名残とわずかに漂う焦げた匂い、そして決定的に欠けている人の気配が、その場の異常さをはっきりと示していた。
馬車はそのまま村へと入っていく。
崩れた家屋、焼けた跡、踏み荒らされた地面と、乾いた血の痕が点々と残っており、それらは襲撃からある程度時間が経っていることを示していたが、同時にまだ新しさも残していた。
誰も言葉を発さないまま、その光景を受け止める。
だがリックだけは視線を動かし続け、完全な終わりではないことを感じ取っていた。
「いるな」
低く言い、壊れた家の陰へ視線を向ける。
その奥で、わずかに何かが動いた。
リックは馬車から降りると、警戒を解かないままゆっくりと近づき、相手を刺激しすぎない距離で足を止める。
「……出てこい」
声を抑えて呼びかけると、反応はすぐに返ってきたが、飛び出してきたのは安堵ではなく恐怖そのものを抱えた村人たちであり、武器を構えた手は震え、明らかに敵と認識している目を向けていた。
リックは動かず、その場に立ち続ける。
そのとき、一歩前に出たのはマグロンだった。
「私です」
落ち着いた声が響く。
それだけで、空気は大きく変わった。
「……マグロンさん……?」
疑いから確認へと変わり、やがて武器がゆっくりと下ろされていく。
張り詰めていた緊張がほどけ、力を失ったように座り込む者も現れる。
マグロンは距離を詰めながら、静かに問いかけた。
「状況を教えてください」
村人は息を整えながら語り始める。
突然の襲撃、数の差、抗う間もなかった現実。
守れなかったという結果だけが残ったこと。
リックはその話を聞きながら、同時に周囲の痕跡を確認していく。
戦いの跡、逃げた方向、追われた形跡――そこから導き出される結論は一つだった。
「ここは捨てる」
ためらいなく言い切る。
村人たちは顔を上げるが、その意味をすぐに飲み込めない。
「外に仮の拠点を作ってある。そこに移動する」
続けて説明する。
「ここに残る意味はない」
静かな断定だった。
「ここは……俺たちの……」
絞り出すような声が漏れる。
その言葉に込められたものを理解しながらも、リックは揺らがない。
「ここは守れない」
事実だけを提示する。
沈黙が落ちる。
誰も反論できない。
すでに答えは分かっているからだ。
その空気の中で、マグロンが静かに言葉を重ねる。
「移動しましょう。この方の言う通りです」
リックを示しながら続ける。
「安全な場所があります」
その言葉が、最後の一押しになる。
村人たちは顔を見合わせ、迷いながらも決断していく。
やがて一人が頷き、それが全体に広がる。
「……分かった」
その一言で流れが決まる。
動き始める。
持てるものだけを持ち、残すしかないものは置いていく。
そして、最後に村を見渡す。
壊れた家も、荒れた土地も、そこにあった生活のすべてが残っている。
リックはそれを見ていたが、何も言わなかった。
「行くぞ」
短く告げる。
それだけで全員が動き出す。
列を作り、村を離れていく。
振り返る者もいるが、足は止まらない。
リックは先頭に立ち、前だけを見る。
まだ終わっていない。
ここからだ。
「……次だ」
小さく呟いた言葉だけが、静かに残った。




