第29話 ただいま、ヴェリディア
峠を越え、馬車の窓から見える景色がアヴァロンの整然とした白石の街並みから、ヴェリディア特有の質実剛健な赤レンガの建物へと変わっていく。
街道を行き交う商人の顔ぶれも、どこか見覚えがある。彼らが手にしている帳簿や、荷車に貼られた検印のシールは、かつて俊がこの国に導入した「規格」そのものだった。
「……帰ってきたな」
俊が小さく呟くと、隣で身を乗り出していたティアが、弾んだ声で応えた。
「うん! 空気がヴェリディアの匂いだ。俊さん、見て、門のところ。相変わらず忙しそうだね」
ヴェリディア領の正門前。そこでは、実務的な官服に身を包んだ検問官たちが、鋭い眼光で入る荷をチェックしていた。かつてのような門番の気まぐれな通行許可ではなく、俊が整備した「物流管理規定」に基づいた、効率的で淀みのない検問が行われている。
馬車が列に並び、順番が回ってくると、一人の年配の検問官が歩み寄ってきた。
「身分証と、積載物の目録を」
記録板を手に、感情の読み取れない事務的な口調で検問官が告げる。俊はかつて発行された「領主府特別顧問」の証書と、アヴァロンから持ち帰った公式な通行許可証を差し出した。
検問官は俊の顔を見ることもなく、慣れた手つきで書類の印影と目録を照合していく。
「……ヴェリディア特別顧問証、期限内。アヴァロン側発行の通過証明、不備なし。通行を許可する。次の方、どうぞ」
「助かるよ。いい手際だな」
俊が声をかけるが、検問官はすでに次の荷車の書類に目を落としており、短く「規定ですから」とだけ応えた。
馬車がゆっくりと動き出す。その様子を車内から見ていたアルフォンスが、深く感銘を受けたように呟いた。
「なるほど……。彼はあなたの作った『仕組み』を、呼吸をするように当然の義務として遂行している。……アヴァロンでの改革も凄まじいものでしたが、ここヴェリディアこそがあなたの仕組みの原点なのだと、肌で感じますよ」
「はは、そう言ってもらえると助かるよ。名前なんて知られている必要はない。仕組みが人を選ばず、勝手に回っていることこそが、俺の仕事の完成形だからな」
アルフォンスはアヴァロンの筆頭文官として、俊たちを無事に送り届ける大役を担っていた。馬車が街の中心部、領主府へと続く大通りの分岐点に差し掛かると、彼は静かに居住まいを正した。
「俊殿、ティア殿。私の役目はここまでです。お二人をこの街の安全な場所まで送り届ける……ライオネル陛下より預かったその任務、無事に完了いたしました」
馬車が止まり、アルフォンスが先に地面に降り立つ。彼は一度、ヴェリディアの空気を深く吸い込むと、旅の疲れを感じさせない一礼を二人に送った。
「道中、本当に楽しかったですよ。……ですが、私はアヴァロンを守る者。これ以上、この国の奥深くまで立ち入るわけにはいきません」
「ああ。わざわざ国境を越えてまで付き合ってくれて助かったよ、アルフォンス。あんたがいなきゃ、この馬車旅も退屈で仕方がなかった」
「ふふ、光栄です。俊殿、あなたの作った『仕組み』はアヴァロンで力強く根を張っています。次に私たちが相まみえる時……それは、あなたがこの大陸にさらなる変革をもたらした時かもしれませんね」
二人は不敵に笑い合い、力強く握手を交わした。それは、共に修羅場を潜り抜けた「相棒」としての、確かな信頼の証だった。アルフォンスはティアの方を向き、優しく微笑む。
「ティア殿。俊殿が無理をしないよう、しっかりと手綱を握っていてくださいね。……オリヴィエも言っていましたが、あなたは私たちの誇りです。どうか、お元気で」
「はい! アルフォンスさんも、お元気で。アヴァロンの皆によろしく伝えてくださいね!」
「ええ、必ず。……では。お二人の歩む道に、幸多からんことを」
アルフォンスは、待機させていたアヴァロンの紋章旗を掲げた護衛の騎馬隊へと合流した。彼は一度も振り返ることなく、だが堂々とした背中を見せながら、再びアヴァロンへと続く街道を馬で駆けていった。
再び動き出した俊たちの馬車の中、少しだけ広くなった座席で、俊は深く息を吐き出し、改めて背もたれに体を預けた。
「……さて。領主府に顔を出す前に、まずは『コルネ亭』に寄ろうか。ロランさんとエマさんにも帰還の挨拶をしておきたいし……あそこなら、少しのんびりできる」
「えっ、いいの!? ……うん、大賛成! お父さんとお母さんの温かいスープと焼きたてパン、ずっと恋しかったんだ」
ティアの顔がパッと明るくなり、俊の隣で嬉しそうに微笑む。実家への帰還を喜ぶ彼女の姿に、俊も自然と表情を緩ませた。
アヴァロンという大きな仕事を終えた彼らにとって、今は数字や仕組みの分析よりも、慣れ親しんだ場所での温かな時間が何よりの報酬だった。
ヴェリディアの街に、夕刻を告げる鐘が響く。その音色は、激動の日々を潜り抜けた二人の帰還を、優しく祝福しているようでもあった。
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