第28話 影の軍師の業務完了
夜会の喧騒が落ち着き、街が日常の活気を取り戻し始めた数日後の朝。アヴァロンの正門前には、ヴェリディアへと続く街道に向けて、一台の頑丈な馬車が用意されていた。
爽やかな朝の空気が、出発を控えた一行を包み込んでいる。俊は、アルフォンスが滞りなく手配した荷積みの様子を眺めながら、慣れ親しんだアヴァロンの街並みを静かに見つめていた。
「……忘れ物はない? 俊さん」
隣に立つティアが、少し名残惜しそうに門の向こうを振り返る。
「ああ。必要なものは全部ここにある。……それよりティア、あの徽章、ちゃんとしまったか?」
「うん。ライオネル陛下にいただいた大切なものだもん、何度もチェックしたよ」
俊は自分の胸元に触れた。そこには、アヴァロン王家から贈られた一点ものの徽章が収まっている。それは単なる名誉ではなく、この国で俊が積み上げた「信頼」そのものの重みだった。
「俊殿、すべての準備が整いました。馬の調子も良く、予定通りに出発できます」
アルフォンスが、いつもと変わらぬ冷静な足取りで近づいてくる。その後ろには、国政改革室のメンバー、そして共にこの国の変革を支えてきた「チームアヴァロン」の文官たちの姿があった。
「俊さん……! うっ、うわぁぁぁぁん! やっぱり行かないでよぉ!」
それまで必死に堪えていたミナが、俊が馬車に歩み寄るのを見て、ついに決壊した。隣のジンにすがりつき、子供のように声を上げて大泣きし始める。
「ミナちゃん……」
ティアがそっと歩み寄り、泣きじゃくるミナの肩を優しく抱き寄せた。
「行かないで、行かないでよ……。せっかく、これからもっと……俊さんに、色々……」
「大丈夫、ミナちゃん。私たちは離れていても、同じ空の下にいるんだから。俊さんが作った『仕組み』を、今度はミナちゃんが守っていく番でしょ?」
ティアがミナの涙を指先で拭ってやると、ミナは「ふぇっ……」としゃくり上げながら、ティアの胸に顔を埋めた。ティアは母親のような慈愛に満ちた手つきで、ミナの背中をトントンとあやし続ける。
その後ろでは、バートランドたち認定官、そして国政改革室の残りのメンバーが、静かにその光景を見守っていた。ジンは無言で、だが俊の目を真っ直ぐに見返した。
「ジン、ミナ。……これからはお前たちが、この国の『数字』を守るんだ。迷ったら、現場の声を聞け。お前たちならやれる」
俊が二人の肩を叩くと、ジンは深く頷いた。ティアに抱かれたままのミナも、真っ赤な目で必死に頷き、笑顔を作ろうと努めた。
「わかってます。……俊さんに教わったこと、絶対に無駄にしません。アヴァロンを、大陸で一番『正しい』国にしてみせますから」
そこへ、軽やかな蹄の音が二つ聞こえてきた。護衛も連れず、ラフな乗馬服に身を包んだライオネルと、その横には舞台の上のような華やかな衣装に身を包んだオリヴィエの姿があった。
「間に合ったか。……出発の前に、一言言っておきたくてな」
ライオネルは俊の前に立つと、少しだけ照れくさそうに頭を掻いた。
「夜会じゃ、王としての礼しか言えなかったからな。……俊、お前をこの国に引きずり込んだのは俺だ。だが、この国を救い、俺に『信じる価値のある未来』をくれたのはお前だ。本当に……世話になった」
ライオネルが右手を差し出す。俊はその手を力強く握り返した。
「……俺も感謝してるよ、陛下。あんたの覚悟があったから、俺の理屈が形になったんだ。開国なんて無茶な相談、あんたじゃなきゃ受けてなかったよ」
二人は短く笑い合った。そこへ、馬を降りたオリヴィエが歩み寄り、隣に立つアルフォンスと視線を交わしてから俊に向き直った。
「俊、そしてティア。私たちの愛すべき『相棒』を、少しの間だけお貸ししましょう。ですが、忘れないでくださまし」
オリヴィエは凛とした表情を崩さず、だがその瞳に温かな光を宿して告げた。
「私たちの結婚式には、絶対に、何があっても来て頂戴ね。……その時、アルフォンスを、私が最高の幸せ者にする瞬間を見届けてもらいますわ。いいわね?」
「……ええ、もちろんです。オリヴィエさん、約束します」
ティアはミナをそっとジンに託すと、晴れやかな笑顔で頷いた。俊も不敵に笑い、隣のアルフォンスに短く視線を送る。
「ああ。招待状を楽しみにしてるよ、オリヴィエ」
それ見て、ライオネルが二人の肩を叩いて豪快に笑った。そして、ふと表情を和らげると、一人の友人として静かに告げた。
「ああ、約束だ。……俊。次に来る時は、ただの友人として飲もうぜ。……元気でな」
「……ああ、陛下も。またな」
俊はその言葉を噛みしめるように頷くと、ティアを促して馬車へと乗り込んだ。
扉が閉まり、ゆっくりと車輪が回り始める。背後で遠ざかっていくアヴァロンの白い城壁を、朝陽が黄金色に染め上げていた。
御者台の横では、ライオネルが馬を止め、大きく手を振り続けている。ミナはティアに手を握られながら、千切れるほどに手を振っていた。オリヴィエもまた、隣で静かに見送るアルフォンスの未来を確信するように、真っ直ぐに俊たちを見送っていた。
馬車に揺られること数日。
一行はアヴァロンの豊かな平原を抜け、宿場町で夜を明かしながら、一歩ずつヴェリディアへの帰路を辿っていた。車窓から流れる景色は次第に険しい山嶺へと変わり、やがて見覚えのある街道の空気が混ざり始める。
俊は、馬車の窓から遠ざかる山脈を眺めた。旅路の疲れよりも、ようやく戻ってきたという実感が一行を包み始めた頃、馬車の揺れがわずかに緩やかになった。
「俊さん。見て、あの峠を越えれば……もうすぐ、ヴェリディアの領地が見えてくるね」
ティアが隣で、期待に満ちた声を出す。
「ああ。……待っている連中もいるしな。さあ、帰ろう。俺たちの場所に」
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