4話 2人の距離
金曜日の夕方。
窓の外を見ると、雨が降っていた。
「……最悪」
仕事を終えた白石さんが、窓の外を見ながら呟く。
「傘、ないんですか?」
「朝は晴れてたので」
「俺、ありますよ」
鞄から折り畳み傘を取り出す。
「よかった」
白石さんが笑った。
そして、当然のように俺の隣に立つ。
「じゃあ、一緒に帰りましょう」
「え?」
「……嫌ですか?」
「いや、全然」
会社を出る。
傘を開く。
小さな折り畳み傘だった。
二人で入るには、少し狭い。
「……近いですね」
歩き始めてすぐ、白石さんが言った。
「すみません」
「なんで謝るんですか」
「いや、肩が……」
「濡れるよりいいです」
そう言って、彼女が少しだけ俺のほうに寄る。
肩が触れた。
「……」
「……」
さっきまで普通に話していたのに、急に会話がなくなった。
雨の音だけが聞こえる。
俺は妙に緊張していた。
たかが相合傘。
それだけなのに。
「キラ山さん」
「はい?」
「傘、こっち寄せすぎです」
「え?」
「キラ山さんの肩、濡れてます」
「白石さんが濡れるよりいいですよ」
「……」
白石さんが黙った。
そして、少しだけ笑う。
「優しいですね」
「普通ですよ」
「普通じゃないです」
彼女がそう言った瞬間。
風が吹いた。
「きゃっ」
白石さんが俺の腕を掴んだ。
「大丈夫ですか?」
「びっくりしただけです」
掴んだ手が離れない。
数秒。
俺も何も言えなかった。
彼女も気づいたらしく、
「あ……」
慌てて手を離す。
「すみません」
「いや……」
「……」
また沈黙。
駅が見えてきた。
「白石さん」
「はい?」
「この前言ってた店、今日行きません?」
「この雨で?」
「駅の中の店なら濡れないですよ」
「……行きたいです」
彼女が笑った。
「私も、ちょうどお腹空いてました」
二人で駅の小さなレストランに入った。
向かい合わせに座る。
「なんか変ですね」
「何がです?」
「会社以外で会うの」
「確かに」
白石さんはメニューを開いた。
「キラ山さん、何食べます?」
「おすすめあります?」
「ありますよ」
彼女は少し嬉しそうにメニューを指差した。
「これ、美味しいです」
「じゃあ、それにします」
「私と同じ?」
「はい」
「……真似しました?」
「おすすめされたので」
「ふふ」
料理を待っている間、いろんな話をした。
好きな映画。
休日の過ごし方。
子どもの頃の話。
気づけば、二時間近く経っていた。
「……こんなに話すとは思いませんでした」
店を出ると、雨はまだ降っていた。
「俺もです」
「楽しかった」
「俺も楽しかったです」
駅の改札前。
ここで別れる。
そう思っていた。
「キラ山さん」
「はい?」
白石さんが少し迷う。
「……また、こういうのしたいです」
「こういうの?」
「二人でご飯食べたり」
「もちろん」
「……よかった」
彼女が笑う。
そして改札を抜けていく。
数歩進んだところで、振り返る。
「傘、ありがとうございました」
「明日返してくれればいいですよ」
「……明日?」
「あ」
白石さんが笑った。
「じゃあ、明日返します」
「はい」
彼女が手を振る。
俺も手を振り返す。
姿が見えなくなる。
俺は一人、駅に残った。
胸が妙に熱かった。
ただ一緒に帰って。
ただ一緒に飯を食べただけ。
なのに。
どうしてこんなに嬉しいんだろう。
その夜。
スマホを見ると、白石さんからメッセージが届いていた。
『今日はありがとうございました』
少し迷ってから、返信する。
『こちらこそ。楽しかったです』
すぐに既読がついた。
『私もです』
そして、その後にもう一通。
『また行きましょうね』
俺は画面を見つめながら笑った。
――たぶん俺は、もう。
白石さんと二人でいる時間を、楽しみにしている。




