↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/5

3話 見てました?見てません。


 白石さんと一緒に昼飯を食べるようになって、一週間が経った。


 不思議なことに、俺たちは少しずつ話すようになっていた。


 仕事の話。


 好きな食べ物。


 休日の過ごし方。


 どうでもいい話。


 ただ、一つだけ。


 俺たちは、あの夜の話をしなかった。


 俺も聞かなかった。


 彼女も言わなかった。


 ――金曜日。


「○○さん、まだ帰らないんですか?」


 午後八時。


 オフィスに残っていたのは、俺と白石さんだけだった。


「この資料、今日中に終わらせたくて」


「私もです」


 白石さんは向かいの席でパソコンを打っている。


 しばらく、キーボードを叩く音だけが響いた。


「……眠い」


 白石さんが小さく呟いた。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫です」


「顔、すごいですよ」


「どういう意味ですか」


「死にそう」


「ひどい」


 彼女が笑った。


 仕事中の完璧な笑顔じゃない。


 少し気の抜けた、普通の笑顔。


 俺はその顔が好きだった。


 そう思った瞬間、自分で驚いた。


 好き?


 いや。


 まだ違う。


 たぶん。


「○○さん」


「はい?」


「私の顔、何かついてます?」


「え?」


「さっきから見てますよね」


「……見てません」


「見てました」


「……すみません」


 白石さんは少し照れたように笑った。


「変なの」


「すみません」


「別に、嫌じゃないですけど」


「……」


 心臓が一つ、大きく鳴った。


 そのときだった。


 白石さんが突然、鼻を押さえた。


「……ん」


「……」


 俺は見ないようにした。


 すると彼女が言った。


「……今、見ました?」


「見てません」


「嘘」


「見てませんって」


 彼女はじっと俺を見る。


「……あの日から、私が鼻を触るたびに警戒してません?」


「してません」


「してる」


「……ちょっとだけ」


 白石さんが吹き出した。


「ふふっ」


「笑わないでください」


「だって……」


 彼女は笑いながら、


「○○さん、本当にあの日のこと気にしてるんですね」


「そりゃ気にしますよ」


「忘れてって言ったのに」


「無理ですよ」


「どうして?」


 彼女が笑うのをやめた。


 まっすぐ俺を見る。


「……どうしてですか?」


 答えられなかった。


 だって。


 もう、鼻くそのせいだけじゃない。


「……白石さんが、変な人だからです」


「それ、褒めてます?」


「たぶん」


「じゃあ、ありがとうございます」


 彼女は少し笑った。


 そして立ち上がる。


「コーヒー買ってきます。○○さんも飲みます?」


「お願いします」


「砂糖は?」


「一個」


「了解です」


 彼女がオフィスを出ていく。


 数分後。


 戻ってきた彼女が、俺の机にコーヒーを置いた。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


「……あ」


「?」


「砂糖、二個入れちゃいました」


「珍しいですね」


「すみません」


 彼女は笑った。


「疲れてるのかな」


 俺も笑った。


 そんな何気ない時間が、妙に心地よかった。


 そして帰り道。


 駅まで二人で歩いた。


「今日はありがとうございました」


「こちらこそ」


「じゃあ、また月曜日」


「はい」


 改札の前で別れる。


 彼女が数歩進んだところで、振り返った。


「○○さん」


「はい?」


「……あの」


 少し迷ってから、


「また、二人でご飯食べません?」


 俺は笑った。


「もちろん」


 彼女も笑った。


 その夜。


 俺はベッドに入ってから、ふと思った。


 俺が忘れられないのは――


 もう、あの夜の出来事じゃない。


 白石さんそのものなのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。