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行き先だけが同じだった  作者: みき


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1/9

プロローグ

 二十三時十分発、星ノ浦行き。


 新宿の高速バスターミナルは、夜になっても眠らない。電光掲示板の文字が次々と入れ替わり、キャリーケースの車輪が床を鳴らし、誰かの「じゃあね」という声が天井の高い空間に吸い込まれていく。


 僕——三崎湊は、列の一番後ろに立っていた。


 リュックひとつ。中身は着替えが二日分と、文庫本が一冊と、それから封筒がひとつ。封筒の中には、便箋が三枚入っている。三枚とも、白いままだ。書こうとして、書けなくて、それでも持ってきた。


 スマホを取り出す。癖になっている。開くのはいつも同じトーク画面だった。


『航』


 最後のメッセージは、十一か月前の夜。航から届いた一行。


『今、ちょっとだけ話せる?』


 その下に、僕の返信はない。既読のマークだけが、ずっとそこにある。


 あの夜、僕はレポートの締め切りに追われていた。画面の端に通知が出て、後でいいか、と思った。本当に、ただそれだけだった。「後で」は、永遠に来なかった。


「星ノ浦行き、ご乗車のお客様、お並びください」

低い声がして、列が動き出す。運転手は五十代くらいの男の人で、乗車券を確認しながら、一人一人に「どうも」と小さく頭を下げていた。


 僕の番が来る。


「お一人様ですね。どうも」


「……どうも」


 通路を進む。4列シートの、窓側の席。カーテンの隙間から、新宿の光がにじんで見えた。


 星ノ浦。海辺の小さな町。そこでは毎年六月、灯籠巡礼祭という祭りがある。亡くなった人に宛てた手紙を小さな灯籠に入れて、夜の海に流す祭りだ。手紙は朝までに沖へ運ばれて、「向こう岸」に届くのだと、町の人は言うらしい。


 航が一度だけ、写真を見せてくれたことがある。高校の頃に家族で行ったという、暗い海の上にいくつもの灯がゆれている写真。 


「きれいだろ。死んだら俺、ここに手紙もらいに来るわ」


 冗談だったはずのその言葉だけを頼りに、僕はこのバスに乗っている。


書けてもいない手紙を、持って。


 定刻、バスはゆっくりと動き出した。窓の外で、東京の灯りが後ろへ流れていく。


 僕はまだ知らなかった。このバスが朝までに星ノ浦へ着かないことも、その長い夜のあいだに、十一か月分の沈黙をこじ開けられることになるのも。


 日付が変わる少し前、雨が降り出した。


 最初はワイパーが気だるく往復する程度だったのが、山道に入る頃には、フロントガラスを叩く音が車内にまで響くようになった。眠りかけていた乗客たちが、一人、また一人と顔を上げる。


 午前一時過ぎ、バスは減速し、山あいのサービスエリアに入って停まった。


「お客様にご案内いたします」


 マイク越しの声は、落ち着いていた。


「この先の県道で土砂の流出がありまして、通行止めとなっております。復旧の見込みは、早くて夜明け頃とのことです。当面、こちらで待機いたします。ご迷惑をおかけします」


 車内が、ざわ、と揺れた。


「夜明けって——」前方の席で若い男が声を上げる。スーツ姿だった。「着くの、何時になるんですか」


「順調にいけば、午前十時前後かと」


「祭り、間に合います? 夜からですよね、灯籠」


 そう訊いたのは、通路を挟んで僕の斜め前にいる女の人だった。明るい色の髪、大きなマスク。膝の上に、レンズのついた機材ケースを抱えている。


「灯籠流しは日没からです。十分間に合います」

運転手はそう答えてから、エンジンを切った。雨音だけが残る。


 車内の照明が、ぼんやりとした常夜灯に切り替わった。サービスエリアの売店はとっくに閉まっていて、自販機の光だけが窓の外で白く光っている。


 誰も眠れなかった。雨はうるさく、座席は狭く、そして「あと八時間ここにいる」という事実は、人を妙に落ち着かなくさせた。


 二時を回った頃、運転手が運転席から立ち上がり、客席のほうへ体を向けた。乗客は、十人もいなかった。


「あのですね」


 彼は、少し笑っていた。


「私、この路線を十二年走ってますが、足止めは初めてじゃありません。で、経験から言うと、こういう夜に一番つらいのは、退屈なんです」


誰も何も言わない。


「どうせ眠れないなら、ひとりずつ、話でもしませんか。——星ノ浦に行く理由を」


「は?」とスーツの男が言った。


「星ノ浦行きの夜行に乗る人はね、面白いんですよ。観光だけの人って、案外少ない。みんな、何かしら理由があの町にある。十二年見てきて、そう思います」


「言いたくない人もいるでしょ」と、髪の明るい女の人。


「言いたくなければ、嘘でもいいです」運転手はあっさり言った。「ただの暇つぶしですから。本当か嘘かは、誰も確かめません」


 雨が、屋根を叩き続けていた。


 しばらくの沈黙のあと、口を開いたのは、意外にも一番文句を言っていたスーツの男だった。


「……じゃあ、俺からでいいすか。どうせ眠れないし」


 彼は前の座席の背を掴んで、半分立ち上がるようにこちらを向いた。歳は僕とそう変わらない。二十二、三。ネクタイは緩んで、目の下にくまがあった。


「俺、浅井っていいます。就活生です。——いや、違うな」


 彼は一度言い直した。


「就活から逃げてきた者です」

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