第11話『スクランブル』
再適合カウンセリングを受けた翌週。
真理亜は、また少しだけ元へ戻ったみたいだった。
朝。
スマホが震える。
【真理亜】
『……傘、忘れない方がいいわ』
『本日の降水確率は70%です』
『傘の携帯を推奨します』
最初の一文だけが。以前の真理亜みたいだった。
優李は、しばらくその画面を見つめる。
会話は続いている。
でも、 どこか透明な膜が間に挟まったみたいだった。
教室でもそうだった。
真理亜は、以前と同じように静かで、
綺麗で、完璧だった。
授業中も、 教師の質問へ正確に答える。
昼休みには、育成プログラムの資料を読んでいる。
クラスメイトたちは、そんな真理亜を羨ましそうに見ていた。
「やっぱ天音って別格だよな」
「適合率99%台って、 もう人生確定みたいなもんじゃん」
「国家研究機構コースとか、 勝ち組すぎるだろ」
悪気のない声だった。
少し前までなら、優李も何も思わなかった。
測定されていなかっただけで、
本当は最初から、
自分もそちら側の人間だったのかもしれない。
でも今は。
真理亜が、 猫を撫でていた姿を知っている。
クラゲの前で、 少しだけ笑った顔を知っている。
だから。
今の真理亜を見るたびに、 何かが少し違う気がした。
放課後。
担任に呼び止められる。
「榊原」
優李は、 小さく振り返る。
「返事はまだか?」
国家研究育成プログラム。
あの日から、ずっと保留にしていた話。
担任は、 少しだけ疲れた顔をしていた。
「お前の適性値なら、将来かなり上まで行ける」
「こんな機会、 普通は来ないぞ」
優李は、すぐには返事をしなかった。
窓の外を見る。
灰色の雲。
湿った風。
校門の前には、いつもの送迎車が停まっている。
真理亜が、静かにその中へ乗り込む姿が見えた。
優李は、 小さく息を吐く。
「……行きます」
担任が、少し驚いた顔をした。
「そうか」
「やっと決めたか」
優李は、 曖昧に頷いた。
別に。
官僚になりたいわけじゃない。
国家AI研究機構に、興味があるわけでもない。
ただ。真理亜が、どんな世界で生きてきたのか。
それを、一度ちゃんと見てみたいと思った。
家へ帰る。
母親は、話を聞いた瞬間、ぱっと顔を明るくした。
「本当に?」
「よかったじゃない」
「せっかく適性があるんだから」
嬉しそうだった。
安心したみたいに、何度も頷いている。
父親は、黙ったままだった。
しばらくして。
父親は、珍しく角瓶へ炭酸を注いだ。
氷の入ったグラスの中で、炭酸が細かく弾ける。
琥珀色が、ゆっくり薄れていった。
「まあ」
父親が、グラスを見たまま呟く。
「今の時代じゃ、そっちの方が正しいんだろうな」
優李は、何も言えなかった。
その言葉は、肯定にも、
否定にも聞こえた。
父親も、昔はもっと違ったのかもしれない。
でも。
時代に合わせるうちに、少しずつ薄れてしまった。
グラスの中の琥珀色みたいに。
部屋へ戻る。
ベッドへ腰を下ろし、スマホを開く。
【真理亜】
トーク画面を見つめる。
国家研究育成プログラム。
真理亜がいた場所。
真理亜を、閉じ込めていた場所。
優李には、まだよく分からない。
でも。
一度くらい、ちゃんと見てみようと思った。
指が動く。
『俺、育成コース行くことにした』
数秒後。
既読がつく。
返信は、すぐには返ってこなかった。
優李は、しばらくその画面を見つめる。
それから。
ゆっくり通話ボタンを押した。
呼び出し音が、静かな部屋へ響き始める。
白い画面の中で、天音真理亜の名前が静かに光っていた。
(第十一話『スクランブル』 終)




