第二十九話「天地合乃敢與君絶」後編
第二十九話「天地合乃敢與君絶」後編
”最後まで一緒なのはね、さいかの傍に居るのはね……”
「……」
”わたしだって、わかってくれたらそれでいいの”
「……」
そう言って淡く微笑んだ久井瀬 雪白の姿はいつもより儚く白く見えて、それはまるで白朱頂蘭のような……
「……ううん」
陽子でなく雪白だと、そう言っていた。
対、天都原戦に向けて着々と進む準備の中、俺は玉座で別の事を考えていた。
「解らん」
貴重な時間を消費した割に結論はこれだ。
――まぁ、雪白の言うことにつかみ所が無いのは今日に始まったことじゃないしな
”人形”だって揶揄されていた頃に比べれば饒舌に感情を表に出すようになったが、その分、彼女の言葉は主語や具体例が曖昧だ。
特にあいつは感情を封印していた時間が長かったから、それを聞き手の立場に立って、具体的に……特に感情なんていう抽象的なモノを具体例に可視化するなんて芸当は未だ未だ未熟なのも仕方が無い。
とはいえ――
「陽子と違うってのはなんだ?」
俺は今回に限り何故か其所が妙に気になっていたが……
「…………陽子、陽子と言えば」
俺はその名から、事ここに至る以前のやり取りを思い出す。
――
「近いうちに”尾宇美”か”蟹甲楼”、どちらかで藤桐 光友が動くでしょう。その時は総力戦よ、西から回せるだけ兵力を集中させて来るでしょうね」
京極 陽子はテーブル上に向かって白い指先を伸ばしながら言った。
――コトリ
そして盤面遊戯の駒を一つ右端へと動かす。
――くっ!中々に厳しい手をっ!
対面に座った俺は思わず頬を引き攣らせる。
「だろうが……こっちも準備は済ませている、北方への対応は万全だ」
――カタッ
俺はやや不利な盤面に集中しつつも返事を返し、そして陽子が攻める最前の騎士の前に同じく騎士の駒を置いた。
「そうね、最嘉なら心配していないわ。けれど後方を撹乱される不快は藤桐 光友も味わうべきじゃないかしら?不公平でしょう」
――はっ!?
紅い唇から零れる不敵なその言葉に、俺は自らの陣地を確認する。
「…………やってくれたな」
迂闊な一手。
いや、巧みな罠にかけられ、盤面上の俺の陣地には……
――確かに!
彼女の陣営から伸びる、我が王駒への未来の死線が視てとれた!!
「ふふ、五十八手の未来しか欲しないなんて、臨海の領王閣下も案外、無欲ね」
「くっ……バケモノめ」
美しく整った御尊顔を可愛らしく緩めて美姫は席を立つ。
黒いスカート裾が優雅に空気を孕み、ふわりと甘い香りと共に俺の前髪を僅かに撫でた。
――ぬぅぅ、悔しいが可憐だ!
「で……藤桐 光友に今度はどんな”嫌がらせ”を用意しているんだ?」
まさに鎧袖一触と、頭をポンポンされた感覚に俺はため息を吐きそうな声で彼女の背に問う。
この場合の”嫌がらせ”とは勿論、目の前にある投了した盤面遊戯の戦略と同じく前線に注意を引きつけている間に天都原の後方に何か仕掛けるという意味だ。
つまり――
我が臨海が北来や陸狗領にされたように、天都原勢力圏の西方諸国のどこかで”いざこざ”を起こさせるという嫌がらせ。
「そうね。総力戦だったら西の主立った戦力をこの本州中央に集中させているでしょう?だったら最も手薄なところかしら」
――それは解る。わかるが……
「主戦力が抜けているとはいえ、敵も備えに抜かりは無いだろう?」
なにしろ敵の参謀はあの妖怪ジジイ、”鵜貝 孫六”だ。
「貂なき森の鼬、鳥なき里の蝙蝠、鶚の居ない地はどれほど空が広いかしら」
だが、そう正す俺に”盤面の魔女”は微笑んだ。
――な??
俺は驚いて……
「”鶚”って言ったよな、はる」
聞き直す。
――”日向の鶚”の異名を誇るのは、次花 臆彪だ
日向を統一した”句拿”の柘縞 斉旭良に破れ滅ぼされた”咲母里”が随一の将にして、軍略家として名将中の名将と日向はおろか本州の国々までその武名を轟かせた次花 秋連が婿養子。
因みに、現在はどうなっているか個人的事情は知らないが、陽子の”王族特別親衛隊”が一枚、一原 一枝こと次花 千代理の夫でもあるはずだ。
「留守狙いってことか?だが日向には相当な兵力が残っているんじゃないか?」
現在は”句拿”の柘縞 斉旭良も藤桐 光友の天都原に降り、同時にその配下に収まった次花 臆彪は当然、軍共々に本州の決戦に駆り出されているが……
「有象無象だわ。”鷹のない国では雀が鷹をする”……ふふ、滑稽ね」
不敵ながらも麗しすぎる暗黒の美姫が微笑を前に俺は立ち上がっていた。
「……」
日向を統一していた句拿は嘗て六大国家に選ばれていた強国だ。
同じ元六大国家の天都原に敗れて主戦力を貸し出しているとはいえ、とても易い相手とはいえないが……
この京極 陽子がここまで大言壮語を口にするなら既に”仕込み”が済んでいるのだろう。
「臨海の後方である北方諸国で”嫌がらせ”されたように天都原の後方である西方諸国、日向の地で反乱や撹乱をってか」
「反乱?撹乱?違うわ」
緑の黒髪を揺らせて暗黒の美姫は静かに首を横に振る。
「この機に日向全土を制圧するのよ」
――
「…………」
――なんて怖い女だ
その時を思い出した俺は再び玉座で身震いした。
天下を掛けた対戦の渦中に天都原の後方にて巨大な敵国が出現する。
「これはもう……”嫌がらせ”なんて可愛いもんじゃない」
俺は考えながらも、その成否には未だ確信が持てない。
陽子の実力は知り過ぎるほど識っているが、それでも日向全土を、ほんの少し前まで大国であった”句拿”を丸ごと落とそうというのだ。
――色々と仕込みは済ませているみたいだが、それでも……
臨海を援護するため、なんでも京極 陽子はこの作戦のために幾つもの下準備を済ませていたそうだ。
それが証拠に、彼女はこの情勢下で臨海王に”華燭の典”を強請ったのだ。
それは、実は大国天都原の王女という血筋であった陽子を陰謀で国から追いやり、病弱を良い事に現王を軟禁していることなど、藤桐 光友の諸々の悪評を広く世間に行き渡らせ、天都原勢力圏を情勢不安に陥れるのが目的……
と思わせて注意を引き、その隙に密かに兵を進めて天都原の背後に当たる日向を盗るという会心の一手!!
既に陽子は”納采の儀”の前にこの岐羽嶌を秘密裏に発っていた。
儀式で陽子の影武者を雪白が演じたのはそういう一面もあったのだ。
勿論、秘密裏に動かすために小分けにした軍の最終組が彼の地へ合流する前に段取りを完璧に済ませるためだ。
密かに、電撃的に、尚且つ臨海本軍と天都原主力軍が本州の中央で激突して動けなくなる瞬間を狙った超難易度の軍事作戦を遂行するため、隠密行動を平行するために大軍勢は用意できない。
だが、それでも少しでもと俺は我が臨海の優れた将軍を提供しようとしたが、彼女は断った。
”主戦場である本州中央の戦いに支障がでるでしょう?”
との理由だったが、かといって王族特別親衛隊の一部だけで事に当たるとは……
俺も随分と食い下がったが陽子は折れなかった。
確かに最強国家である天都原に、”歪な英雄”に勝つためにはあらゆる手段を講じる必要がある!
だが、それでも陽子の身を心配する俺に彼女は頑なだった。
「勝つためには必要なことだが……」
――
”最嘉の背に寄り添えるのは陽子だけなのよ、それさえ理解できているなら”この瞬間”は夫として合格にしてあげるわ”
緩やかにウェーブがかかった緑の黒髪を掻き上げた、闇黒色の膝丈ゴシック調ドレスに身を包んだ類い希なる美姫は……
白く透き通った肌と対照的な艶やかな紅い唇でそう言い残して――
「ふふ、また逢いましょう、だありん」
恐ろしいまでに他人を惹きつける奈落の双瞳で微笑んだのだった。
第二十九話「天地合乃敢與君絶」後編 END




