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藤吉郎におまかせあれ  作者: ヤブ医者
信長包囲網編
34/35

戦場の釣り師

 南伊勢 とある川


「なんだここ全然釣れねぇ……」

 ジリジリと地を焼かんばかりの日射しが照りつける夏。

 藤吉郎はある目的の為に南伊勢のしかも山奥の川にやって来ていた。

 その目的とは、

「ここで馬鹿デカくて旨い魚が釣れるって聞いたんだけどなぁ……」

 そう釣りだ。

 現在、 釣りは藤吉郎のマイブームとなっている。

 休みが取れる度に川や池に赴き、 一日中釣りにいそしむのだ。

 そして、 今日は大物を仕留めに来たのだが、

「もう、 ここに来て二、三時間は経ったぞ……そろそろかかっても」

 こっちに来てからヒットが一つも無い。

 そろそろ藤吉郎の表情にも疲労の色が見て取れる。

 流石に不味いよ……。

 なにも釣らずに帰ったら信長様に腹斬らされる。

 それに、 わざわざこんな敵国に踏み入ったんだ手ぶらで帰るのは割りに合わない。

 そう、 ここ南伊勢を支配するのは織田家ではない。

 応仁の乱からの名門、 元は公家の北畠家だ。

 そして北畠家と織田家は今まさに戦のまっ最中なのだ。

 この山を下山し少し行った丘に織田家の本陣もある。

 ここに来て気がついた方もいるだろう。

 そう、 藤吉郎は休暇等ではない。

 戦を抜け出してきたのだ。

 つい昨日、 信長は軍を率いて南伊勢に侵攻した。

 そして順調に進軍し本陣の設営を終え現在に至る。

 既に敵は目と鼻の先、 明日にでも開戦するだろう。

 だが、 そんな時藤吉郎は聞いてしまった。

 この辺りの川で凄まじく美味な魚が釣れると。

 しかもその魚は釣るのが困難と来た。

 そんな釣り人魂を揺さぶる大物を逃すわけにはいかない。

 そんなこんなでこっそり本陣を抜け出してきたのだ。

 因みに焦る体を必死に抑えながら甲冑は脱いだ。

「もう諦めようかな……まだ土下座すれば許してもらえるだろうし」

 そんな信長の恐ろしさに怖じ気づき諦めて帰ろうかと考えていた時、

「そこな方!」

「は、 はい!」

 突如、 後ろから声をかけられた。

 誰だよこの人?

 歳は初老位だけど妙にハキハキしてるな。

「いやー、 釣れますかな?」

「え、 あぁ。 いや全然釣れなくて……」

 あぁ、 釣り師か……。

 良く見れば右手に釣竿を握ってる。

「そうですか……確かにここの魚は美味だが釣るのがね」

「貴方は釣ったことがおありで?」

「ありますとも」

「えっ!?」

 予期していなかった返答に藤吉郎は思わず声をあげた。

 だが、 老人はそんな事には動じず川に釣糸を放り投げている。

「あの……コツとかって?」

「…………」

「あのぅ……」

「…………」

 あ、 シカトですか。

 けど凄い集中してるな、 意識が丸ごと異次元に飛んでる。

 これが釣り師かぁ。

 ポチャンっ

「……っん!」

「え、 うそっ」

 今、 一瞬だけ浮きが動いた。

 それに老人の意識は更に異次元に埋没していく。

 もう藤吉郎の声など届かぬだろう。

 そして……。

 チャプンっ!

「今だぁっ!」

 先程よりも大きく浮きが沈むと同時に老人の意識がこちらに帰ってくる。

「うおっ! ヒットした」

「も、 申し訳ありません! 少し手伝って貰っても?」

 どうやら獲物の力はそうとう強いらしい。

 老人は藤吉郎に助力を求めてきた。

 藤吉郎としてもずっと狙っていた魚だ断る理由が無い。

「は、 はい!」

 藤吉郎は老人と共に竿を握り必死に引っ張った。

「ぬぉーっ!」

「ふぬーっ!」

 二人とも顔が真っ赤だ。

 息を止めて無心で竿を引き続ける。

 魚も必死の抵抗を見せるがついに、

「のわっ!」

「おふっ!」

 竿から力がふっと抜けて二人は尻餅をついた。

 見ると魚が川を飛び出して宙を舞っている。

 撒き散らされた水しぶきと魚の白い鱗がそれぞれ陽光を反射してキラキラと輝く。

 その光景に息を飲みながらも二人は、

「釣れたぁっ!」

「やりましたな!」

 と子供の様にはしゃぎ抱きあった。

 見ず知らずの人とここまで興奮できたのはもしかしたら生まれて初めてかもしれない。

 それから二人はしばらく共に釣りを楽しみ、 たくさんの魚を釣り上げた。


 南伊勢 河原


「えー、わしは吉行と申しまする」

 焚き火を挟み向かい合う様に座った老人が深々と頭を下げた。

「あっ、 俺は藤吉郎っていいます」

 流石に老人にだけ頭を下げさせる訳にはいかない。

 藤吉郎も慌てて頭を下げる。

 日はようやく頂点を過ぎた頃で、 まだジリジリと照りつけている。

 だが、 それが隣を流れる川の音をより一層際立てる。

「いやはや、 たくさん釣れましたな」

 老人は頭をあげると物思いにふける様に言った。

「そうですね。 それに旨い」

「そうでしょう! ここの魚は天下一品、 勝る物などない!」

 老人の口調は今度は熱を帯びた、 暑苦しい物となった。

「でも、 やっぱり釣りにくいですよね……」

「…………そうですな。 それがこの魚が世に出回らない最大の要因でしょう」

 今度は悲しげに。

 なんだか、 感情の起伏が大きい人だな。

 でも、 面白いから良いや。

「それより、 藤吉郎殿はどこから?」

「あー、 えっと……堺の方から!」

 流石に岐阜から来たとは言えない。

 ここははぐらかすしか。

「ならば、 お仕事は商人ですかな?」

「いえ、 そんな大層な物じゃ。 ただの衛士です」

「あっ、 だから帯刀を」

「えっ……あぁ、 まぁ」

 やっべー、 刀隠してなかった。

 これには藤吉郎も流石に苦笑いだ。

 だが、 老人はどうやら気にしていないらしい。

 再び、 焼いた魚に食らいついている。

 なんだか、 こういう普通の暮らしを見ていると癒されるな……。

 戦国時代って言っても戦だけじゃないんだよな。

 普通に暮らしてる人だってたくさんいるんだ。

 俺たちはそういう人を忘れちゃいけない。

 ただ、 聞いてみたい。

 普通の人が戦をどう思っているのか。

 民にとって戦争はどう言ったものなのか。

「戦をどう思いますか……」

 なんでだろう。

 なぜだか声が裏返る……弱々しくなる。

 明らかに恐れている。

 何にだ?

 俺は何が怖い……。

 藤吉郎の胸に巣食う得体の知れないざわめき。

 ただ、 不気味でこそばゆくて胸焼けの様で何か違う。

 とにかく、 今すぐに取り除きたい!

「もっとも……忌むべき行為です」

 老人の口から当然の如く放たれた言葉。

 その言葉で藤吉郎の胸のざわめきは突如として暴れ始めた。

 心を抉り、 思考を侵食し、 深い闇へと誘う。

 瞳孔が開き、 体はカタカタと震え、 体中から冷や汗が溢れ出した。

 そうか……そうだったのかよ。

 怖かったのはこれか。

 ただ、 自分達を否定されたく無かっただけかよ。

 情けない……。

 藤吉郎はどんどん深い闇に落ちていく。

 もう目の前の老人すら見えない。

 代わりに現れたのは自分が今まで殺してきた屍。

 その瞳、 その表情。

 彼らは訴える。

『なぜ……自分なんだ!』

 と。

 仕方ないだろ。

 それしか出来なかったんだ!

 それしか……なかったんだ。

 でも、 お前達が望むなら。

 藤吉郎は全てに無気力になり、 ついに彼らに手を伸ばした。

 そちら側へ!

「しかして、 戦う者に罪はない」

 そんな藤吉郎を老人は必然の如くこちら側へと引き戻した。

「……っ、え!?」

「戦う者に罪はない、 むしろ善じゃ。 彼らは讃えねばならん」

 老人は先ほどと表情を変えていない。

 ケロッとしている。

 それが余計にこちらを混乱させる。

「い、 いやでも!」

「戦う者にはそれぞれに矜持がある。 彼らはその矜持に従って戦っておるのだ。 それのどこが悪いというのだ」

「で、 でも殺してるんですよ!」

「確かに結果的にはな。 だがその過程を見てみよ、 そこには矜持と矜持のぶつかり会いが存在する。 両者が自分の為に刀を振るう、 なんと素晴らしい光景だろう」

「すばら……しい?」

「そうだ、 実に素晴らしい。 自らの体を矜持と信念という鎖で縛り戦うその姿は悠然で偉大で称賛に値する。 故に戦う者は責めてはならぬのだ」

 語る老人の口調はいつの間にか熱を帯びていた。

 目は輝き、 どこか遠くを見据えている。

 その目にはやはり矜持を武器に悠然と戦う武士が写っているのだろうか。

 そして、 いつの間にか胸のざわめきも綺麗に消え去っていた。

 そして、 その胸にはざわめきの代わりに確かな矜持が信念が道を指し示す様に輝いている。

 もう、 怖くない。

 俺には武器がある。

「でもやはり戦場は憎まなければなりません」

「そうですな。 死人を産む戦場は忌むべき物です」

「はい、 だから武士がいるんです。 憎い戦場を無くすために彼らは自らを愚に貶めるのです」

「その行為はとても良い行いとは言えない。 ただ気兼ねは買わねばならない、 民は何も出来ないから」

 老人の表情は穏やかだった。

 まるで、 心のつかえが取れたような爽やかで安らかで……。

 藤吉郎の心も洗われて行く気がする。

 そんな心地の良い感じをもたらしてくれた老人はよっこらせと腰をあげた。

「では、 そろそろお開きとしましょう」

「はい、 そうしますか」

 藤吉郎もこちらは軽々と腰をあげる。

 老人は微笑みとともに会釈をするとこちらに背を向けた。

「あ、 あの!」

 そんな老人をどうしても伝えたい事があるので引き留める。

「なんでしょう?」

 老人は怪訝そうに振り向いた。

「そ、 その。 ありがとうございました!」

 この時代で貴方に出会えて良かった。

 この時代で貴方と語れて良かった。

 この時代でも死に急ぐ人じゃ無くて良かった。

 老人は少し驚いた様に目を見開いたが、 すぐさまにこやかな表情に戻り、

「えぇ、 こちらこそ」

 と言って今度こそ踵を返し帰途についた。

 藤吉郎はそんな老人を見えなくなるまで見送った。

 尊敬と親愛の眼差して……。

 うしっ、 俺も帰るか!

 そして、 藤吉郎も帰途に着く。

 腹切らされた……どうしよ?

 背に大量の焼き魚を背負って。

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