本圀寺の変
第1章 三好三人衆再び
岐阜城 広間
「三好勢が本圀寺を取り囲みました!」
広間に響き渡る声。
広間に集められた織田家臣団の皆は驚き目を見開いた。
信長達が岐阜に帰還してから2日後、衝撃の報告が入った。
三好三人衆が再び畿内に侵攻したのだ。
「早すぎます!幾らなんでもこの短期間に戦の準備が整う訳がない!」
恒興が信じられないと言った調子で言った。
だが、まったくその通りだ。
この前の上洛戦で三好三人衆は織田家に痛手を負わされた。
その上、四国に逃げ込んだのだ、兵力を取り戻し、難波海を渡るとなるととても2日では収まらない。
だが、敵は現にそれをやって見せた。
何かある…?
「三人衆は本当に四国に行ったのか?」
『えっ…!?』
信長が不意についた呟きに皆が言葉を失った。
三人衆が四国に行っていない?
そんな事は…。
「三人衆は四国に行き申した!皆で難波海を渡る三好勢の船を見たではありませぬか!?」
勝家がいつもの野太い声で叫んだ。
他の家臣達も勝家の声にコクコクと同意の頷きを打っている。
だが、藤吉郎は附に落ちていなかった。
確かに、難波海を渡る三好勢の船はこの目で見た。
でも、だからと言って四国に行ったという事になるのか?
もしかしたら、他の港に…。
でも、中国地方の港は全て毛利家の手中だ。
それに、俺達の目も届く。
じゃあ、九州は?
無理だ、九州は今、乱れに乱れきっている。
そんな所に見ず知らずの大名の船なんて入れる筈がない。
それは、東北も同じだ。
ならどこに?
「三好に好意を抱く大名、もしくは好意を抱く者を匿っている大名」
信長のヒントの様な呟きで藤吉郎はあることに気がついた。
一ヶ所ある。
三好が落ち延びるに絶好の場所。
兵も隠せて、やろうと思えば京まで2日で攻め上れる。
そして、三好に好意を抱く大名、好意を抱く者を匿っている。
その二つを兼ね備える地、
「伊勢、長島…!」
「良くわかったな、猿」
信長はイタズラな微笑みを浮かべた。
伊勢、長島は現在北畠家が支配している。
「あり得ませぬ!北畠家とは同盟が!」
「恐らく、主犯は北畠ではない。恒興」
「では、誰が?」
「長島には我らに恨みを抱く者が一人おるだろう?」
「まさか…」
恒興は信長の言葉で全てを察したようだ。
織田家に古くから仕える家臣にも分かった者が何人かいるようだ。
それは藤吉郎も同じだ。
「あの人は、頭の悪いままだな…」
呆れ混じりの溜め息を漏らす。
そう、その人物とは、
「斎藤龍興だ」
信長の言葉に、家臣達からやはりかと言った調子で溜め息が漏れだした。
それは信長も同じで呆れ顔だ。
斎藤龍興とはかつて美濃を支配していた斎藤家の大名最後の当主で信長に美濃を奪い取られた人間である。
また、余談だが歴史上、類を見ない間抜けな暴君だ。
そんな事もあり恐らく龍興は信長を相当恨んでいるだろう。
「はぁ、奪われるのは戦国の常だろう…」
信長は相当呆れている。
それは家臣達も同様で皆、呆れや哀れみの混ざった溜め息をついている。
だが、実際そんな悠長にはしていられない。
「早く、援軍に行きましょう!」
恒興が突然立ちあがり声を上げた。
その言葉で皆が我に帰る。
「そうですね。急がないと将軍が殺されかねない!」
藤吉郎は今度は恐怖の混じった声で言った。
だが、実際にその通りで、龍興はともかく三好三人衆は畿内での王座を取り戻すために攻めてきている。
となると、現将軍であり信長と繋がる義昭を殺すことが一番手っ取り早い手段となる。
そして、将軍を失う事は今の織田家には非常に厄介な事である。
だが、そんな事信長も重々承知している。
「急ぎ集められるだけの兵士を集めろ!出陣するぞ!」
立ちあがり指示を飛ばし始めた。
「今は雪が降っております!京までは3日程かかるかと…!」
恒興が言った。
京までの道のりと天候を考えれば妥当の判断だ。
だが、信長は、
「遅い!2日だっ、2日で行くぞ!」
『えぇーッ!!』
家臣達の驚愕の声に信長はイタズラな微笑みを浮かべ、
「あの、間抜け将軍が3日も持つと思うか?」
と言った。
そんな不吉かつ挑発じみた檄に織田家臣団は毎度何も考えずに乗ってしまう。
『思いませぬ!』
「ならば、2日だ!」
『応っ!』
今回はとんでもない強行軍になりそうだ…。
藤吉郎は自重を含んだ溜め息を漏らした。
岐阜城 帰蝶の部屋
「帰蝶、入るぞ!」
軍議が終わり信長は帰蝶の部屋を訪れた。
いつもの事だ。
信長はどんなに小さな戦でも赴く前に必ず帰蝶の部屋を寄っていく。
勝つ確率がほとんどこちら側に傾いている戦でも、戦は戦。
死は隣にいつもいる。
それが、信長の考えだ。
「はい」
襖の向こうから帰蝶の声が帰ってきた。
信長は襖を開け部屋に入った。
部屋には帰蝶がいつもの様にこちら側に向きながら正座していた。
信長はそれを確認すると、帰蝶と向かい合い形で胡座をかいた。
「戦に行ってくる」
そう淡々と告げた。
「行ってらっしゃいませ」
帰蝶もまた淡々と返した。
信長はそんな帰蝶の反応に少しムッとした。
「なんだ、心配では無いのか?」
「もちろん、心配ですよ」
「ならば、なぜ…」
「帰って来てくださるのでしょう?」
信長の言葉を遮って帰蝶が言った。
その言葉は予想していなかったのか信長は意表を突かれた様な顔をしている。
キョトンとする信長を尻目に帰蝶は更に続けた。
「私は殿とお別れするのはもちろん嫌です。ですが、殿はこんな所で死ぬお方ですか?」
その言葉は信長の心に深く刺さった。
弱気になっていた自分を改めさせた。
「そうだ、その通りだな…。死ねない、こんな所じゃまだ!」
「ならば、私は背を押して送り出し、帰りを待つのみです」
そう言うと帰蝶はニッと笑った。
信長もそれに釣られて笑った。
死は確かに隣にいるが自分の敵では無い。
信長は帰蝶にかつての信念を思い出さされた。
その事に心の中で礼を述べると立ち上がった。
「行ってくる」
「はい」
二人はしばらく見つめ合うと視線を反らし信長は部屋を出ていった。
部屋に残った帰蝶は、
「どうか、ご無事で…」
そう、呟いた。
頬には一筋の涙が伝った。
京 本圀寺
「もうすぐ、本圀寺だ!全員、展開して戦闘に備えろ!」
信長の声が響く。
その声に家臣達を含む兵達は疾走しながら戦闘準備を整える。
信長達、織田軍は昼夜を問わず馬を駆り見事、宣言通り2日で本圀寺へとたどり着いた。
いや、厳密にはたどり着こうとしついた。
本圀寺はもう目前に迫っている。
いつ、接敵してもおかしくない。
それ故に兵達の間にはピリピリとした空気が流れていた。
だが、藤吉郎を含む一部の人間には別の不安があった。
「将軍様は大丈夫だろうか?」
藤吉郎はポツリと呟いた。
それを耳にした隣で馬を走らせる可成が口を開いた。
「わからぬ。だが、我々は生きていると信じるしか無いだろう」
「そうですよね…。信じましょう」
「うむ」
そうだ、将軍様が死ぬなんて最悪の事態だ!
そんな事、考えるのは止めよう…。
藤吉郎はネガティブになっていく思考を無理やり停止させた。
「見えてきたぞーっ!」
兵達がざわつきはじめた。
どうやら本圀寺が見えてきたらしい。
藤吉郎は身も心も戦闘体制に移す。
刀を握り直し、手綱を引き締める。
本圀寺まで、後少し。
徐々に視界が開けていく。
敵はどれくらいだ?
見つけ次第突っ込む!
「突撃ーっ!」
「進めぇっ!」
「戦だぁっ!」
武将達が声を挙げ始めた。
『うぉーっ!』
兵達もそれに伴い雄叫びをあげる。
士気は上々だ、これなら勝てる!
さぁ、出てこい!
「齊藤 龍興ぃーっ!」
勢い良く飛び出した織田軍。
そんな彼らを出迎えたのは、
「お待ちしておりました!殿っ!」
「ゆ、雄二ぃっ!」
「敵は、退却致しました!」
「え、嘘だろーっ!?」
本圀寺の変、織田軍の勝利で終決。
本圀寺 広間
本圀寺を襲った軍勢は昨日のうちに京に常駐していた雄二等が率いる織田軍と、異変に気づき駆け付けた勝正等の摂津三守護の軍が見事撃退していた。
将軍も無事。
信長達がたどり着いた時には既にいつもの姿を取り戻していたのだった。
「いやー、見事だ光秀、それに摂津三守護もな!」
信長はこの戦で奮戦した面々を賞賛した。
雄二や三守護は軽く会釈を返した。
ちなみに摂津三守護とは、信長が上洛後に摂津の守護と統治を任せた池田勝正、伊丹親興、和田惟政の三人の事だ。
勝正は見事、この三守護としてしっかりと働いている。
今じゃ、信長からの信頼も厚い。
当の勝正は少々どや顔だ。
藤吉郎はそんな勝正にクスッと笑った。
バタバタ!
そんな時、襖の外の廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。
来たか…。
織田家臣団はめんどくさそうに表情を落とした。
それは信長も同じだ。
そんな事、知りもしない足音の主はバッと襖を勢い良く開けるとこれまた騒がしく広間に入ってきた。
「信長よ、これはどういう事じゃ!」
「どういう事とはどういう事でしょう、将軍様?」
信長はそう言いながら億劫そうに上座を義昭に譲った。
義昭は当たり前の様にその譲られた上座に胡座をかいた。
「なぜ、わしが攻められなければならんのだ!わしは将軍じゃぞ。将軍の御所がこんな危機に陥ってもよいのか!?」
義昭の訴えはめちゃくちゃだ。
三好勢の襲撃は完全に予想外だったわけだし、そもそもそんなに言うなら自分の身くらい自分で守るべきだ。
つか、助かったから良いじゃん…。
不満など無限に湧いてくる。
だが、それを口にしてはならない。
義昭は形だけは将軍だ。
武士である以上は楯突く事は許されない。
はずだが、
「それが、命の恩人への態度なのですか?」
信長は声音を落として言った。
一瞬にして場が凍りつく。
やりやがった…。
バカだよあの人。
斬り捨てられ兼ねないよ。
織田家臣団は最悪の場合に備え全員直ぐに抜刀出来るようにした。
将軍は顔を真っ赤にして怒りを露にしている。
そして、
「切り捨てい、こやつを切り捨てい!」
「お止めください!」
怒りの罵詈を吐き散らす義昭に後ろから制止がかかった。
皆がそちらを見る。
「藤孝…」
義昭も大人しくなった。
藤孝?
細川藤孝か…。
将軍を仏門から引っ張りだした張本人。
将軍の一番の家臣。
藤孝はドスドスと信長に歩み寄ると、
「申し訳ありません、信長殿」
と頭を下げた。
信長は一瞬、面食らった様にたじろいだ。
「藤孝っ!」
義昭は声を荒らげる。
それに対し藤孝は、
「信長殿は雪の中、3日かかる道程を2日で駆けつけて下さったのですよ!それがどれ程困難な事か将軍様にも良くお分かりでしょう?」
と見事な説教を食らわした。
藤孝の説教で義昭は完全に戦意を失ったと見える。
シュンとなり、
「そ、そうだったのか。ご苦労だったな礼を言う」
と不本意そうに言った。
信長は少しつまらなそうな顔をしている。
まったく、この人は…。
だが、あの将軍を説き伏せるなんて細川藤孝、すごいなぁ。
藤吉郎はふてぶてしくめんどくさそうな顔をしている細川を尊敬の目で見上げた。
突然の救世主の登場により残りの会話は特に波風のたつこと無く進み、その場はお開きとなった。
本圀寺 中庭
広間での会見がお開きとなりやる事が無くなった藤吉郎は中庭へと訪れた。
にしても、流石は京都の寺だよなぁ…。
むっちゃ、豪華じゃん。
ここに、あのへなちょこ将軍は住んでるのか、なんか癪だな。
心中で義昭への悪態をついていると、
「藤吉郎殿!」
ふと、後ろから声をかけられた。
「一鉄さん」
声の主は一鉄だった。
一鉄はスタスタとこちらに歩みよってくると、
「お主、こんな所で何をやっているのだ?」
と怪訝そうに尋ねてきた。
藤吉郎はポリポリと頭を掻きながら、
「いやー、やる事が無くて。暇を潰しに」
と言った。
「そうだったか、確かにここは良いな綺麗だし風も気持ちいい…」
そう言う一鉄の表情はどこか沈んでいる様に思えた。
藤吉郎はあまり見ない一鉄の沈んだ表情が気になってしまい、
「どうしたんです?なんか、暗くないですか?」
と尋ねた。
だが、一鉄はどこか遠くを見たまま返事をしない。
藤吉郎はさらに心配になった。
こんな、儚げな一鉄さん見たことない…。
いったい、何が?
「あの?」
「殿…、龍興殿はどうなったのだろう?」
不意に口にされた言葉に藤吉郎は、ハッとした。
そうだ、一鉄さんはかつては龍興さんの家臣だった。
酷い人だったけどそれでも、一鉄さんはあの人に忠義を尽くしていた。
そりゃ、心配になるよな…。
「あのお方は何も変わっていないのだろうか?」
視線を落とし一鉄は静かに言った。
「そ、そんな…!」
必死にフォローしようと言葉を探すがどうしても見つからなかった。
そんな事無い、なんて安くは言えない。
もしかしたら、一鉄さんを更に傷つけてしまうかもしれない。
藤吉郎は口をつぐんだ。
二人の間になんとも言えない気不味い空気が流れた。
そんか気まずさに黙りこくっていると、
「ならば、会ってみれば良い!」
不意に後ろから聞きなれた声が聞こえた。
「ゆうじ…っ!光秀さんっ!」
いつもの調子で雄二と呼び掛けたが声を掛けてきたのは光秀だ。
「会いに行くと言ってもどうやって?」
一鉄は首を傾げている。
光秀はこちらに歩みよると得意気に言った。
「敵が退却してそう日は経っていない、それに負傷者も連れている、自ずと敵の足取りは遅いはずです。今から馬を出せば運が良ければ間に合うでしょう」
こいつの口調なんかムカつくな。
心中で雄二をけなす藤吉郎とはうって変わって一鉄は、
「だが、どこに逃げたのだ?」
と真面目な質問をしている。
それに、光秀は、
「それも、大体わかっています。ついさっきまで追い打ちをかけようとしてましたから。まぁ、将軍が駄々をこねて無くなりましたけど」
自嘲気味にふっと笑う。
だが、直ぐに真面目な表情になると、
「行くなら今ですよ。まぁ、兵は連れられないですけどね」
と一鉄を真っ直ぐに見据えながら言った。
無論一鉄は即決だ。
「行くに決まっておる」
その返答に藤吉郎と雄二は満足そうにニッと笑った。
「俺もついてきます!ゆうじ…っ!光秀さんもくるでしょ?」
「すまん、俺はいけない」
雄二はパンっと顔の前で会わせると申し訳無さそうに言った。
「え、なんで!?」
「戦の後処理で忙しいんだ!暇なお前と違ってな」
雄二はいたずらな笑みを浮かべた。
藤吉郎はケッと視線をそらす。
そこに一鉄が、
「別に良いのだ。藤吉郎殿も恩にきる」
と言った。
二人も真面目な表情に戻ると、
「早くいきましょう!」
「早く行ってきてください」
と急かした。
一鉄は頷くと馬小屋へと駆け出した。
藤吉郎もそれに続こうとする。
だが、思い出した様に立ち止まると、
「ありがとな、雄二!」
そう言うと返事も待たずに行ってしまった。
一人残された雄二は、
「おぅ…」
と嬉しそうなな響きを残してその場を去っていった。
森
一鉄と藤吉郎が龍興捜索を始めてしばく経つ。
二人は本圀寺近くの森に入っていた。
雄二の話だとそろそろのはずだ。
龍興が近くなっているからだろう、 一鉄の行動にも落ち着きが無くなっている気がする。
やはり、 久しぶりの主君との再開は緊張するのだろうか。
藤吉郎はなんだかそんな一鉄が可愛く思えてきて微笑ましい視線を送った。
その時、
ズダァーンっ!
遠くから銃声が響く。
藤吉郎も一鉄も一気に警戒心を上げた。
銃声はそう遠くない。
「行きますか?」
藤吉郎は尋ねた。
「あぁ、もしかしたら殿がいるかも知れぬ」
一鉄はコクりと頷くと銃声の方に馬頭を向けた。
藤吉郎もそれを後ろから追う。
後ろから見る一鉄の背には現実味を帯始めた再開への不安が垣間見える。
だが、藤吉郎にはどうしようも無い。
一鉄の不安を払拭できるのは龍興だけだ。
二人の馬は足を速めた。
そして、茂みを抜ける。
そこには、 数人の人影があった。
だが、状況がおかしい。
武装した数人が非武装の人間を取り囲んでいるのだ。
真ん中の人間は酷く怯えている。
藤吉郎はつい馬をおりて突っ込んでいた。
「藤吉郎っ!」
後ろで一鉄の呼び止める声が聞こえる。
だが、 藤吉郎は止まらない、 というより止まれない。
自分の命より救いたいという思いが先にあったのだ。
藤吉郎は抜刀もせずに輪の中突っ込んだ。
そして、慣れた手つきで取り囲んでいる内の二人を素手で叩きのめした。
「な、 何だこいつ!?」
「くそっ、 さっさと殺るぞ!」
敵はまさかの出来事にそうとう混乱している。
それに、こいつらは三好勢じゃないただの山賊のようだ。
ならば少し脅かせば、
「やい、 てめぇら!」
藤吉郎はわざと強い怒気を含ませながら言葉を発した。
山賊達はその怒気に少々たじろぐ。
「ここで……、何をしている」
今度はわざと声音を下げて睨み付けた。
そして、刀に手をかける。
山賊達はもう体をガタガタと震わせて戦闘どころじゃない。
中には既に武器を捨てている者すらいる。
「失せろ……っ!」
藤吉郎は更にこれでもかと追い打ちをかけた。
「ひ、 ひぇ……っ!」
怯えきった間抜けな声を漏らし山賊は発狂しながら全速力で行ってしまった。
ちぇっ、 案外手応え無いな。
心中で密かに落胆する藤吉郎はふと思い出した様に一鉄の方を見た。
「……っ!」
一鉄は瞳から大粒の涙を流しながらひたすらにある一点を見つめていた。
それは、 取り囲まれていた人間。
一鉄は涙を流したまま弱々しい声で呟いた。
「龍興様……!」
森
「龍興様……!」
衝撃の再開だ。
まさか、 襲われていたのが龍興だった何て。
龍興も信じられないといった様子で一鉄をまじまじと見ていた。
なんか感動的だな。
藤吉郎はなるべく二人の邪魔をしない様に黙っている事にした。
一鉄はようやくふらふらとした足取りで龍興に歩み寄る。
「殿、 良くぞご無事で……」
「……っ!」
龍興は何か言いたげだが口をつぐんだ。
一鉄が龍興の前に立つ。
「殿……っ!」
もう、 言葉も浮かばない程に感動しているのだろう。
唸りながら頬に手を伸ばす。
だが、 龍興は
「触れるなっ!」
そんな一鉄の手をはたき落とした。
そして、 キッと一鉄を強く睨み付ける。
藤吉郎は、 思わず
「どうして!?」
と声をあげてしまった。
だが、 龍興は答えない。
当の一鉄は今度は脱け殻の様になってしまっている。
無理も無い……。
「なぜだ! 一鉄さんは貴方に逢うことを楽しみに……!」
「藤吉郎っ!」
必死に龍興を説こうとする藤吉郎に一鉄の鮮烈な声が響いた。
藤吉郎は驚いてそちらを振り向く。
「もう良い、 帰ろう」
それだけ言うと一鉄は今度ははっきりした足取りで行ってしまった。
なぜかその背は吹っ切れた様に思えた。
「あ、 ちょっ」
藤吉郎は呼び止めようとしてそれを諦めた。
余計なお世話だと思ったからだ。
藤吉郎はキッと龍興を一瞥すると自分もその場を去ろうとした。
その時、
「一鉄をよろしく頼む」
背中に儚げでどこか心地の良い言葉。
その言葉に不意に振り向く。
なぜ?
「どうして、 その言葉を一鉄さんに言ってあげないんですか?」
「わしにその資格が無いからだ」
「だから何で?」
「奴の主君は織田 信長だ!」
声を荒らげる龍興の瞳には涙が浮かんでいた。
そして、 その言葉と涙で藤吉郎は全てを察した。
そうか、 あれはわざとか。
一鉄さんがこれ以上自分に執着しない様に、 せっかく良い主君に巡り会えたからそれを邪魔しないように。
貴方はわざと突き放したのか……。
「龍興さん、 貴方変わりましたね」
「変わってなどおらぬ、 ただ立場が変わっただけだ」
そういう龍興の表情はどこか清々しそうだった。
やはり、 嬉しかったのだろう。
藤吉郎は、 そんな龍興に
「一鉄さんも嬉しかったと思いますよ」
そう一言告げてその場を後にした。
本圀寺 大手門
「どこに行っていたんだ、 二人とも?」
藤吉郎と一鉄が本圀寺につくと信長が大手門で待っていた。
しかも凄まじく禍々しいオーラで。
やばい、キレてる…。
「い、いやぁ! ちょっと散歩に」
藤吉郎は必死にはぐらかす。
すると、信長は背後に振り向き、
「本当か光秀?」
と尋ねた。
光秀はそっぽを向いているが、
「正直に言えば領地の加増を……」
「龍興に逢いに行っておりました」
あのやろぅっ!
光秀は領地の加増に目がくらみあっさり白状した。
睨み付ける藤吉郎に光秀は笑顔でVサインをしている。
くそっ、腹かっさばくぞ!
そう、 密かに心中で中指を立てる。
水面下で藤吉郎と光秀が争っているそんな時、
「殿、 勝手な真似をして申し訳ありません」
と一鉄は深々と頭を下げた。
様子を見るにこれは最大限の謝意だ。
信長はそれに煩わしそうな長い溜め息をつくと、
「それで、 龍興はどうだったんだ?」
と尋ねた。
一鉄は少し迷ったように沈黙したが、 しばらくして清々しい笑いを浮かべた。
「やはり、 何も変わって降りませんでした!」
「そうか……もう良い行け」
「はっ」
一鉄は信長の脇を通りすぎる。
だが、しばらく歩くと再び振り向いた。
「殿、 これからも最大の忠誠を誓いまする」
そして、 ニカッと笑うと今度こそ寺の中に引っ込んだ。
あんな一鉄さんの笑顔見たこと無い。
まるで、 子供のような無邪気で純粋で……。
良かったですね龍興さん、 貴方の思いはちゃんと届いたっぽいですよ。
一鉄さんはちゃんと貴方を裏切れました。
藤吉郎は今どこかでしっかりと生きているだろう龍興に一鉄が去ったことを伝えると信長の脇を通りすぎた。
「猿、 罰として貴様は一週間俺の草履取りだ」
「えぇっ! 何で俺だけ……」
「安心しろ光秀も一緒だ」
「と、殿っ! 加増は……?」
「誰がするか」
「えぇーっ!」
真っ青な青空に藤吉郎と光秀の悲痛な叫びが木霊した。




