池田城の戦い
第1章 故郷の為に
芥川城 広間
松永久秀の降伏が認められた翌日、この上洛の最終決戦に向けて軍儀が開かれた。
「残るは池田勝正ただ一人!」
上座に座った信長の声が響いた。
そう、織田家は三好三人衆を追い出し、周囲の豪族を全て降伏させた。
そしてただ一人孤独に信長への抵抗を続けているのは摂津の大名である池田勝正のみとなった。
「池田勝正に降伏する気は無いようです」
恒興が言った。
勝正は降伏する気は無い。
それは今ままで何度も刃を交えた藤吉郎には分かりきった事だ。
あの人は故郷の為なら死ぬ覚悟すら出来てる。
例え絶対に負けると分かっていても、故郷や民に危害が加えられるのなら死に物狂いで立ち向かって来るだろう。
だったら俺達もやる事は決まっている。
「戦いましょう!全軍で、徹底的に!」
俺は信長に進言した。
だが俺の意見はその場の皆の意見でもある。
『そうじゃ!』
『蹴散らしましょう!』
皆が呼応した。
そしてそれは信長も、
「そうだ!ここまで来たら徹底的に叩き潰すぞ!皆、最終決戦だぁっ!」
『おぉーっ!』
織田家上洛、最後の戦いがここに幕開ける。
池田城より少し離れた地
織田軍 本陣
信長は池田城を陥落させるため池田城から少し離れた位置に陣を張った。
本来、これから功城戦が始まる筈だったのだが、
『池田勝正!城の付近に我々を睨む形で布陣!討って出る模様!』
陣内に木霊した伝令の声。
その報せに陣内にいた皆は驚きの声をあげた。
「なぜだ!?討って出ても意味が無いこと位分かっているだろうに…」
恒興が理解できぬといった様子で嘆いた。
「最後は武士らしく潔く死のうというのか…!」
利家も苦々しく言った。
池田勝正、あんた何考えているんだ?
あんなに大和は渡さないとか大見得きって結局このざまか?
藤吉郎は皆とは違い、酷い憤りを感じていた。
自分で言ったんだ、言ったことに位責任持て!
例え無様でも、醜くても大和の民を護るために生き続けろ!
俺達に抗い続けろ!
こんなところで匙を投げるなんてあんたらしく無い!
あんたが死ぬことはこの俺が許さない!
「信長様!池田勝正を生かしましょう!」
俺は信長に訴えた。
『何を言うか!?』
『ありえぬ!』
やはり皆は反発した。
だが藤吉郎もそう簡単には折れない、
「死を望む者への一番の罰は生かすことです!勝正の俺達への行いを考えればこの位の罰は妥当だと思います!」
俺の決死の意見は家臣達の心に響いたらしい。
皆下を向いて、反発する者はいない。
そこに信長が、
「俺もその通りだと思う。勝正は生かすべきだ、奴はこんな所で死ぬべきではない」
『信長様…』
『殿…』
下を向いていた家臣達が信長の言葉で顔をあげた。
信長は更に続ける、
「勝正は生かす!何があろうと、勝正を生きたまま俺の前にひざまづかせろ!」
その声は家臣達の心まで響いた。
そして、勝正を殺して償わせるという考えから生かしてひざまつかせるという考えに変えた。
考えの纏まった織田家臣団は早い、
『ならば直ぐ様布陣を考えろ!』
『戦じゃあっ!』
と口々にわめきだす。
それは藤吉郎も同じだ。
「こちらは圧倒的に数の利がある!ここは超火力で一気に終わらすべきだ!鋒矢の陣で行こう!」
今の藤吉郎は怒りによっていつも以上に頭が回る、策も直ぐ様出てくる。
『よしっ!それで行こう!』
『殿っ!指示をっ!』
勝正の処遇が決まり、5分も経たぬ内に策と陣立てが決まった。
それは正に電光石火の如くであっという間の出来事だった。
だがこの素早い情報判断と決断力が合ったからこそ織田家は大きくなれたのかもしれない。
そしてそんな家臣達を束ねる信長の能力はやはり家臣達のそれを凌ぐ物だ。
生粋のエリート集団、それが織田家だったのかもしれない。
信長は立ち上がった。
それに皆も立ち上がる。
目付きは皆、真剣その物である。
それを確認した信長は大きく息をすって叫んだ。
「上洛最後の戦だ!皆、心してかかれ。いざっ、出陣っ!!」
『応っ!』
勝正さん、あんたは絶対に死なせない!
覚悟しとけっ!!
池田城 近くの平野
織田軍と池田軍は城に程近い平野で向かい合った。
織田軍は徳川と浅井も戦力に加わった全軍を出したので、その数は5万。
対する池田軍は5000と兵力では到底織田軍には及ばない。
本来、この数の差なら籠城をするべきだ。
池田城は戦国至上類をみない堅城だ。
立て籠られたら織田軍もなかなか手を出せなかっただろう。
それでも勝正は野戦をとった。
勝正さんの布陣は横陣か…。
藤吉郎は鋒矢の陣の一番先頭の騎馬隊、すなわち敵と一番始めに接する場所であり攻撃の要となるところに配属となった。
この陣の言い出しっぺは藤吉郎なので一番危険な場所は藤吉郎に、という妥当の判断である。
鋒矢の陣は矢のように尖端を尖らせ、細く縦に長い陣立てである。
その突破力と破壊力、そして攻撃力は凄まじく、戦いの早期終結にはもってこいの陣立てだ。
それに対し勝正の陣立ては横陣。
陣とは呼べるものではなくただ兵を横に敷き詰めただけの物だ。
なんだ…?
本当に勝つ気あるのか?
ただでさえ数の差が開いてるんだ。
なら策を確りしないと…。
勝正さんあんた何考えているんだ?
『突撃準備ーっ!』
思案を巡らされる藤吉郎に突撃準備を告げる号令がかかる。
勝正の真意が分からぬまま藤吉郎は思案を止め突撃準備を始める。
勝正さん、あなたが何をしてこようと全てを粉砕して勝つ。
俺達はもう止まれないんだ、止まっちゃいけないんだ。
藤吉郎の視界に突撃を告げる赤い旗が瞬いた。
行くぞっ!
藤吉郎は心の整理をつけると片手を天高く掲げた。
周りの騎兵も手にしている槍を握り締める。
そして藤吉郎は掲げた片手を勢い良く降り下ろした。
「突撃ぃーっ!!」
『うぉーっ!!』
掛け声と共に藤吉郎率いる第一備、騎馬隊5000が駆け出した。
藤吉郎を先頭に凄まじい轟音と砂煙を巻き起こしながら敵に向かって突進する。
「敵騎馬隊が出てまいりました!数はおよそ1000!」
藤吉郎の隣を疾走する秀長が叫ぶ。
勝正は陣立てから騎馬隊を突撃させた。
その騎馬隊はもちろんの事こちらに向かって来ている。
何だあの砂煙?
藤吉郎は敵騎馬隊が出てくるやその尋常じゃない砂煙が気になった。
くっ、目眩ましか敵の後ろがまったく見えない。
でもそんなの無駄だ!
接敵してしまえば、目眩ましなんて無意味だ!
「怯まず進めぇっ!!」
藤吉郎は味方を鼓舞しながらしながら進み続けた。
敵も近づく。
蹄の轟音は次第に大きくなり、それに伴ってこちらの士気も上昇した。
数も勝ってる、士気も高い。
勝正さん、あんたが俺達に勝つ術は無い。
この戦は既に、
「詰んでるんだよぉっ!!」
バスっドスっズダダっ!
両軍がぶつかった。
砂煙に混じって紅の血が飛び散る。
衝撃に耐えきれず吹き飛ばされる者もいる。
だがそれでも藤吉郎は足を止めない。
「怯むなぁっ!」
力業で騎馬を走らせる。
味方もそれに続く。
その勢いは弱まる事を知らず、更に強くなった。
『敵の足が止まったぞ!』
『このまま行くぞっ!』
藤吉郎軍の勢いに気圧され勝正の騎馬隊は足を止めた。
「押しきれぇっ!」
藤吉郎は軍を更にごり押しする。
分厚い敵の壁を藤吉郎達は切り裂く様に進む。
馬上で刀を振り敵を切り殺し、道を開けてはまた殺す。
そうやって人の命を奪うことによって道を切り開いて行く。
あと少し!
あと少しで抜ける!
この地獄も終わるっ!
押しつぶれそうになる藤吉郎の心を支えているのはそういった解放の希望だ。
あと一人斬れば終わるかもしれない。
あと一人斬ればもう誰も斬らずにすむかもしれない。
本当はそんな事あり得ないのだがそう信じなければとっくに心がやられてる。
そしてその解放もあと少しだ。
徐々に敵の壁が薄くなり始める。
砂煙も弱まりだし視界がハッキリしだす。
あと一人っ!
藤吉郎が刀を振り上げ目の前の敵を斬った瞬間、視界がパッと開けた。
抜けたっ!
そう壁は抜けた。
だが壁の向こうの世界は更なる地獄が広がっていた。
「こ、これは…っ!」
『何だよあれっ!?』
『敵が回ってる…!?』
壁を抜けた藤吉郎達の前には敵の本軍がいるのだが、いつの間にか敵の陣が変わっていた。
それも凄まじく異質な。
兵がぐるぐると回りながらこちらに近づいて来ているのだ。
陣立ては丸い形をしており中は車輪の様にぽっかり空いている。
それを中心に敵が回っている。
『異質だっ!?』
『あれが陣立てっ?』
初めて見る物に織田方の将兵は酷く混乱した。
だが藤吉郎だけはその陣立ての事を知っていた。
「車懸かりだ…!」
だがあの陣立てはとても困難で扱うには相当な軍才を必要とするはずだ!
だがそれ故に威力も確か…。
陣立て自体が回っている為いざぶつかるとこちらの力は全て横に受け流される。
それに敵が横から襲ってくる形になる上に遠心力で力が増すから流れを確実に持っていかれる。
差し詰めチェーンソーで伐られる木材みたいな状況になる…。
更に鋒矢と車懸は相性が凄まじく悪い。
今あれがぶつかればこちらの損害は計り知れない!
藤吉郎の脳裏に一方的に殺される自軍の様子が過った。
余りに残酷な情景に身震いを覚える。
くそっ、それだけは避けないと…!
でもどうする?
後ろに全速力で後退するか?
いや無理だ。
今俺達の流れは前。
皆、前へ前へと進んでいる、その流れに逆らって後ろに反転するのは現実的に不可能だ。
恐らく大混乱するだろう。
じゃあどうする?
逃げる事は出来ない。
なら戦うしかない。
今とは違う方法で…。
その時、藤吉郎はある事に気がついた。
敵の行軍が遅い!
そう池田軍は回りながら進んでいる、その為行軍は通常よりも遅くなっているのだ。
これなら陣立てを変えられないか?
藤吉郎に浮かんだ打開策。
それは陣替えだ。
陣替えとは言葉の通り陣を替える事だが、行軍中の陣替えは困難でそれを行う者にはそれなりの能力が求められる。
でも勝つためにはそれしか道が無い。
やるしかない!
でも相手は車懸だ。
対抗するには…!
「一番備!ここより左に移動!」
藤吉郎は意を決すると命令を発し始めた。
一番備の者達が何事かと藤吉郎を凝視する。
「何してる!?早くしろ!」
藤吉郎はそんな兵達を催促する。
それで気がついたのだろうこの将は活路を見いだしている。
この者は勝つ気だと。
『左だぁ!』
『動け!早く!』
第一備が移動始める。
その状況に他の備も気がついた。
よし注目が集まったこのまま…!
「第二備は前進!第三備はそれに追従!第四、五備は右へ!そのまま動き続けろ!」
藤吉郎は次々に命令を発し続ける。
あぁ、失敗した切腹だろうな…。
それを聞いた他の将達は無意識に藤吉郎に従った。
備が緻密かつ大胆に移動し、まるでパズルの様に陣立てが変わっていく。
その陣は誰しもが見覚えが合った。
動き続ける兵達はただ単に動いている訳では無い。
そう、いつの間にか円を描いていたのだ。
ふっ、これが俺の見いだした活路!
「車懸の陣!」
藤吉郎は見事行軍中に池田軍とは逆方向に回る車懸の陣を作ってみせたのだ。
そして数の上で勝っている織田軍の車懸の威力は池田軍のそれを大いに上回る。
織田軍は優位を取り戻したのだ。
「猿め勝手な事を…。だが見事だ!」
信長は本陣でその様子を見ており。
藤吉郎の行動を賞賛した。
勝正さん、そこにいるんだろ?
どうだ、あんたが作った優位を俺が覆してやったよ!
もう何か小細工してる暇はない。
今度こそ、
「詰みだぁっ!」
バキキッ!
逆方向に回る二つの車懸がぶつかった。
その光景はとても雄大で美しかった。
だが中で起こっているのは殺戮で、士気が絶頂に高まっている二つの軍勢が全力で殺しあっているのだ。
外面は美しくても内面は恐ろしい。
血生臭い争いは数で有利な織田軍が優勢だが、池田軍は士気が凄まじく。
遂に両軍の陣が解け敵味方入り乱れる乱戦となった。
『殺しつくせぇ!』
『敵を斬りまくれぇ!』
こうなると策は関係ない。
力で殴りあい一人ずつ相手を減らしていく。
そして数が物を言う。
流れは完全に織田軍に傾いた。
池田軍 本陣
「くそっ!」
勝正は怒りで腰掛けを蹴り飛ばした。
「織田軍!第二陣破りました!」
そんな勝正の怒りなど露知らず、弟の知正の報告が響く。
「うるさぃ!分かっておる!」
勝正は思わず声を挙げてしまった。
知正が身を縮める。
勝正は更に弱音を漏らした。
「なぜじゃ?わしはただ大和を守りたいだけじゃった!この地で暮らしたいだけじゃった!それだけの事を何故邪魔する?わしらは暮らす事すら許されぬのか?」
嘆く勝正の目には涙がポロポロと流れていた。
知正にはそれが哀れでならず勝正の肩に手をやった。
「兄上!俺達は十分やった、全力で大和を守った。だからもう休もう!降伏しよう?
それが俺達が最後に大和の民として出来る事だ!」
「ダメだっ!」
勝正は知正の提案をあっさり断った。
「えっ…!?」
「わしは確かに大和の民だがそれ以前に武士だ!だからわしは武士らしく最後までこの地で戦う!」
そういうと勝正は知正の手を払いのけ本陣を出ようとした。
「兄上っ!」
去ろうとする勝正を知正は止める。
勝正は振り返って優しく微笑んだ。
その微笑みに知正は何を思ったか安堵の溜め息をついた。
だが勝正は、
「皆に伝えろ、勝正が討って出るとな!」
そう言って本陣を足早に去っていった。
「兄上っ!!困るのだ、死なれては困る!」
知正の声は届かない。
本陣には知正が一人寂しく取り残された。
戦場
乱戦の中一番始めに敵に突っ込んだ藤吉郎軍は既に敵の三陣ある内の二陣まで攻め破っており、本陣に届く勢いだった。
もう池田軍は大分押し込まれてる、降伏するには今しか無いぞ!
藤吉郎は敵を斬りつつ密かに勝正の降伏を願った。
池田軍はもう士気もどん底で死を待つしかない状況だ。
だからと言ってこのまま織田の進撃を許せば本陣を強襲され降伏する術を失う。
だから藤吉郎達が第三陣にいる今しか降伏する時は残されていないのだ。
だが勝正さんもそんな事は分かっているはずだ…。
それでも降伏しないという事はやはり…!
『ぐあぁっ!』
『奴等を止めろっ!』
突然、藤吉郎の耳に悲鳴が聞こえてきた。
何だ?
敵の悲鳴か?
藤吉郎はそちらを見た。
その悲鳴は敵の物では無く味方の悲鳴だった。
どうやら池田軍の一部の将兵の士気が突然爆発したらしい。
戦において士気の変化には必ず何かがある。
あの士気の高揚は、
「妙だ…」
確かに戦中に士気の変化はつきものだ。
だがそれは拮抗している場合に限る。
戦が拮抗していると、場面や場所で状況が違うので場所毎に士気の温暖差が生じる。
だが今のように戦況がどちらかに偏っているとどの地点でも同じ様な戦闘が起こるため士気に温暖差はつきにくい。
高いか低いかの二択だ。
だが実際にあの場所で、あの場所だけで士気の爆発が起こった。
それは確実に何かが起こった証だ。
先程、戦況が偏っていれば士気の変化は無いと言ったが例外はある。
それは二つだ。
一つはその場の兵士が余りの極限状態にやけを起こした場合。
だがこれは心を無理矢理奮い立たせているので、心が折れるのもあっという間だ。
今のあの場所の様子を見るにそれの可能性が高い。
だがもう一つある。
そしてもう一方だと厄介だ。
それは、絶対的な指導者がその場にいる場合。
もしあそこに絶対的な指導者がいるとしたらそれは勝正さんだ。
そうなると不味い、勝正さんは死を選んだ事になる。
俺が殺さねばならなくなる。
いや、まだ決まった訳じゃない。
「様子を見に行こう」
藤吉郎は士気が爆発した場所に足を向かわせた。
その場所に近づくにつれ敵の熱気が強くなる。
その狂ったような熱気はこちらの熱気をも奪いとり弱気にさせた。
ここだけ士気が逆転している…。
頼む、勝正さんいないでくれ。
藤吉郎は焦る余りに走る足を速めた。
刀を握る手に冷や汗が浮かぶ。
この辺には敵しかいない…。
中心が近づいている。
勝正さんが居るならそこだ。
藤吉郎は中心を目指し敵を斬り続けた。
斬る度に敵の士気はあがる。
その度に藤吉郎の心は不安にかられる。
中心はもう目前だ。
藤吉郎は力業でそこまで抜けようと突っ込んだ。
阻もうとする敵を振り払い飛び出した藤吉郎の目の前には、
「勝正さん…!」
勝正が立っていた。
勝正を見つければそのまま突っ込んで斬る気でいた。
だが藤吉郎はなぜか勝正の前で足を止めてしまった。
「貴様は木下藤吉郎…!」
勝正は藤吉郎の事を睨む。
藤吉郎も勝正にガンを飛ばした。
だがその地に味方はいない。
居るのは士気の爆発した敵だけだ。
『うぉーっ!』
『あぁーっ!』
敵が一斉に狂ったように藤吉郎に襲い掛かってきた。
くそっ、死ぬ…!
藤吉郎は死を覚悟し抗うことを一瞬放棄した。
その時、
「止めよっ!!」
藤吉郎の耳に、いや頭に凄まじい轟音が鳴り響いた。
その声を聞いた敵は藤吉郎に襲いかかるのを辞め一斉に勝正の方を向いた。
そう声の主は勝正だ。
勝正は声音を下げ続ける。
「貴様ら其奴はわしの相手じゃ、手はだすな…!」
その余りの恐ろしさに周りの者は身震いした。
それは藤吉郎も同じだ。
何だ今の声?
あれが死を覚悟した者の声?
頭がグラグラする。
息があがる。
逃げたい、出来る事なら今すぐに!
藤吉郎は逃げようとする自分を抑え込もうと唇を噛んだ。
すると不思議とざわつく心が落ち着いた、冷静に考えられる様になった。
なに考えてんだ。
逃げる?
あり得ない!
決めたんだ、勝正さんを生きたまま信長様に突き出すと!
ひざまつかせると!
だから逃げる訳には行かない!
「最後勧告です」
「ほぅ…?」
勝正は首を傾げる。
「降伏してください。貴方はもう勝てない」
「例え降伏したとしてお主らはわしをどうする?」
「生かしてひざまつかせる!」
断言する藤吉郎を勝正は微かに笑った様に見えた。
だが直ぐに表情を堅くすると、
「ならば降るわけには行かぬ!わしは武士らしく最後まで戦い、この地で死ぬ!」
と言いはなって刀の切っ先を藤吉郎に向けた。
「どうしてっ!?」
藤吉郎も刀を構える。
勝正はその問いには答えない。
ただ無言で突っ込んできた。
ガッキン!
迫る勝正の刀を藤吉郎は受け止めた。
勝正の力は凄まじくその一太刀で刀の刃が欠けた。
くそっ、どこにこんな力が?
これが神影流か…。
藤吉郎は勝正の力をいなしきれず半ば力負けする形で後ろに下がった。
だが勝正は藤吉郎に休む暇を与えない。
再び藤吉郎に突っ込んできた。
ガギギギっ!
かと思えば凄まじい勢いで斬撃をぶつけてくる。
藤吉郎はそれを防ぐのに必死で攻撃に移れない。
くっ、速い…!
それに重い!
藤吉郎を圧倒する勝正の表情は何処と無く怒っている様だった。
「なぜっ!なぜじゃ!?」
刀を振りながら叫ぶ。
藤吉郎には言っている事の意味がわからない。
「なにがですか!?」
「なにがだと!何故わしらがこの大和から出て行かねばならぬのだという事じゃっ!」
ガギィッ!
勝正の刀が更に重たくなった。
藤吉郎は押しつぶれそうになるのを必死に耐えながら叫んだ。
「それが…っ、運命です!」
「そんな事あるか!大和は我らの地だ!」
確かにその通りだ…。
一瞬藤吉郎の体から力がフッと抜けた。
今まで藤吉郎に体中の全力を注ぎこんでいた勝正は藤吉郎の力がいきなり抜けたのでつんのめった。
今だ!
藤吉郎はもちろんそのチャンスを見逃さない。
つんのめった勝正の腹に思いっきり蹴りを食らわせた。
勝正は吹き飛び尻餅をつく。
藤吉郎もその隙に息を整えた。
止めを刺すことも出来た、だがそれは長年の戦いの勘が辞めろと訴えたので刺さなかった。
なぜだろうか?
それはわからないただこの男はまだ死ぬ時じゃないなぜかそんな気がする。
「なぜ殺さぬ…?」
勝正はフラフラと立ち上がる。
だが殺気は消えては無く体からは邪悪な殺意が滲み出ていた。
それが手に握っている刀を更に不気味にギラつかせた。
でも藤吉郎も怯える訳にはいかない。
「なぜ殺す必要があるんですか?」
と言って挑発した。
「なんじゃと?」
「俺は貴方を殺したくない…」
藤吉郎は心の内にしまっていた思いを口にした。
本当は言う気なんて無かった、気づきたくも無かった。
でも結局の所、藤吉郎は勝正に死んでほしくないのだ。
この場に飛び出した時、不意に足を止めてしまったのはそれが原因だろう。
だがそんな願いが勝正に届く訳ない。
「貴様が何を願おうとわしは死ぬ!その為にここにいる!」
「なぜっ!?」
「武士だからじゃ!」
「武士だから?そんなの関係無いじゃないですか!」
「ある!わしがこの大和の一民ならこの場から逃げ出そうが何も言われぬが、この名に武士の名がつけば話はべつじゃ。わしは末代まで愚か者、臆病者として笑われるだろう…」
「そんなの関係ないだろ!結局は他人に後ろ指指されるのが嫌って事だろ!?」
藤吉郎の口調にも熱が帯びてくる。
「ふっ、そうだな…。結局はそうだ、わしは臆病者なのだ。それ故に最後は後ろ指を指されぬ様に華々しく散る!」
勝正は再び刀を藤吉郎に向けた。
独特な構え、それは神影流の構えだ。
蹴りをつけに来た。
「なぜだ!勝正さん!」
勝正は答えない。
結局貴方は死を選ぶのか?
ここで死ぬのか?
でももう止めること何て…。
『最後は華々しく散る!』
迷う藤吉郎の脳裏に勝正の言葉が過る。
華々しく散る?
何を寝ぼけた事を…!
俺がてめぇの最後を飾らせる訳ねぇだろ!
「さぁ、刀を構えよ!木下藤吉郎!」
勝正は叫ぶ。
藤吉郎は刀を握り直し。
柄を額に近づけた。
「その構えは…」
それは藤吉郎が無意識の内に構えた神影流だった。
もちろん誰かに習った訳じゃない。
雄二や勝正のを見よう見まねで真似たのだ。
勝正はフッと笑うと、
「猿真似剣道でわしを倒せると思うなぁっ!」
と叫び突っ込んできた。
勝正の殺気が近づく。
凄まじい速さだ。
藤吉郎は雄二に負けた時を思い出した。
あの時は刀ごと持っていかれた。
勝正さんの時も。
神影は防御も攻撃で行う剣術だ。
迫る刀も槍も体も凄まじい力と斬撃でねじ伏せる。
確か雄二は…。
「死ねぇっ!藤吉郎!」
勝正の凶剣が藤吉郎の脳天に目掛けて飛んできた。
待って、斬った!
ガギィッ!
藤吉郎は迫った刀を吹き飛ばした。
勝正は余りの衝撃に刀を落としてしまう。
「生きろっ!池田勝正ぁっ!」
ドスッ!
がら空きになった勝正の体に藤吉郎は刀を叩き込んだ。
勝正は吹き飛び地面に叩きつけられる。
そして痛みに悶えた。
「ぐあぁっ!うぐ、がぁっ!」
だが血が流れない。
勝正は混乱した。
そんな勝正の喉元に刀の切っ先を押し付けながら藤吉郎は言った。
「安心してください。峰打ちですから死にませんよ」
それを聞いた勝正の顔はみるみるうちに憤怒の表情に変わる。
「貴様ぁっ!ぐふっ」
起き上がろうとした勝正は血をはいた。
「動くのは辞めた方が良いです。多分骨は幾つか折れてるんで」
「なぜ、なぜ殺さなかった…?」
「だから言ったでしょう?俺は貴方を殺したくない」
「ふざけるな!戦いに敗れたわしはもう武士でも無い!ならば大和の一民としてこの地で死ぬ!」
バギッ!
藤吉郎は思わず勝正の顔面を蹴り飛ばした。
鈍い音が響く。
「な、何を…!」
「うるせぇ!ふざけた事を抜かすな!大和の民?違うだろ、あんたは大和人じゃない日本人だ!この大和の民も他の地に住む人間も皆日本人だ!なのにどうして大和人とか尾張人とか言って争うんだ、俺にはそっちが逆に理解できない!」
「戦いが長引いたからだ!この前もこれからも…」
「そんなの理由にならねぇ!結局怖いだけだ!皆自分の持ち物奪われるのが、一人で立ち上がって周りの奴等に痛い目で見られるのが怖いだけだ!」
藤吉郎の余りの剣幕に勝正は舌を巻いた。
「あんただって、故郷を護るとか言ってカッコつけてるけど、本当は故郷奪われるのが怖いから死のうとしてるだろ!」
「それが普通何だ!普通な事をして何がおかしい!」
普通だと?
死ぬことが?
殺すことが?
そんな事が普通なのか?
明らかに異常だろ、狂ってるだろ。
なぜわからない。
どうしたら分かって貰える…!
この狂った日常はどうしたら終わる!
「と、藤吉郎…?」
急に黙りこくった藤吉郎に勝正は怪訝そうに尋ねた。
止めなきゃ、終わらせきゃ…!
藤吉郎は決心すると口を開いた。
「やっぱり俺には理解ができません…」
「は?」
「だから変えます。どんなに周りから疎まれようが、痛め付けられようが、歯向かう奴等は全員捻り潰して日本人にしてやる!
だからあんたもとっとと大和人なんか辞めて、日本人になれ!俺達に降伏しろっ!」
突然藤吉郎の口から発された天下取り宣言。
勝正はそれに何を思っただろう?
やはり異端だと思っただろうか。
勝正はしばらく呆気に取られて黙っている。
藤吉郎もこの間に不安になった。
だが勝正はクスッと微笑むと口を開いた。
「それは天下をとると言う事で相違ないか?」
「は、はい」
「ふっ、わしの敗けじゃ!」
「え!?」
匙を投げたように突然言いはなった言葉に藤吉郎は驚いた。
勝正は更に続ける。
「わしも日本人になってみたくなった。信長殿やそなたと共にこの日の本の頂で日本人に成りたくなった。それ故に敗けを認めよう、そして生きよう…」
それはこの戦の終わりを告げる狼煙となった。
「さぁ、勝鬨をあげよ」
勝正は囁く様に言った。
藤吉郎は頷くと、
「戦は終わった!この木下藤吉郎が、池田勝正の降伏を認めさせた!戦は終わったのだ!」
と叫んだ。
これにより戦は終結した。
織田軍は歓喜にわき、池田軍は哀しみにうちひしがれた。
それでも死への恐怖から解放された喜びはどちらの軍勢にも少なからず合ったことだろう。
今まで戦い合っていたものはこの戦を生き残った戦友として皆で肩を落とした。
ここに池田勝正は織田家の家臣として生き残り、戦の終わりが訪れた。




