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    ◆


 少し距離があるからと、翌朝は日が上がってすぐに奉行所を出発した。自分一人かと思っていたら、漣も一緒に来るらしい。

(お身体のほうは、本当に大丈夫そうですね)

 会話もなく黙々と一刻ほど歩き続けてから、桜麟はそう判断していた。数日寝込んでいたとは思えないほど疲れは見えない。桜麟や漣に対して「疲れていないか」と気遣う余裕すらある。桜麟の考えた以上に回復していたようだ。

 途中で小休止をしてから山道へと入った。細い道だがきちんと整備されている。その割にはすれ違う人間は誰もおらず、小鳥の囀りがよく響く。

「あ、お姉ちゃん、鹿だよ!」

 目の前を鹿の親子が通り過ぎて行くのを指して、漣が大きな声を上げてはしゃぐ。まるで秘境にでも向かうかのような光景に、桜麟もなんだかわくわくしてしまう。

 日もだいぶ高くなり、額に汗が滲み出したころ、やっと輝久が口を開いた。

「今から行くところはな、付喪神だけで暮らしている村だ」

「付喪神だけ? どういうことですか?」

「村では付喪神だけが住み、仕事をして、銭を稼いで生活をしている。人間の掟があるから、名目上は俺が管理する者となってはいるがな」

「ほへえ……」

 思わず間の抜けた声が漏れてしまった。ちょっと想像ができない。奉行所で人間の世界のことを教えてもらっている漣も、ポカンと口を開けている。

 付喪神には必ず主がいる。桜麟が首に下げている鈴は、誰の所有物であるか示すものだ。まだ主を持っていない付喪神は、付喪神屋などに預けられ、その屋敷の主の鈴を付けるのが決まりだ。要するに、主のいない付喪神というのはあり得ないのだ。

「信じられないか?」

「……はい」

「まあ、そうかもしれないな」

 気分を悪くした様子もなく輝久は同意する。

「まずはその目で確かめてほしい。ほら、そろそろ到着するぞ」

 輝久が前方を差すと、薄暗かった道に明るい光が満ちていた。森を抜けて目の前に広がった光景に、桜麟は歓声を上げていた。

「うわぁ……」

 目の前には一面に田んぼが広がっていた。稲を手に取ってみると青々と育っている。この調子なら秋には美味しいお米が収穫できるだろう。

「すっごーい! あ、いい匂いもしてくるよー!」

 だだだっ、と土煙すら上げる勢いであぜ道を駆けていく漣。その先では数人が田んぼで働いていた。

(この人達って……)

 すぐに気が付いて桜麟は問いかける。

「みなさん、付喪神ですね」

「ああ、そうだな」

「監督する人間が見当たりませんけど……」

 あぜ道を歩きながら桜麟は周囲を見回す。田んぼ仕事の労働力として付喪神を使っているのなら、どこかに主がいるはず。そう思うのだが、人間の姿は一人も見えない。

「ふふ……だから、付喪神の村だと教えただろう」

 桜麟の驚きようが面白いのか、くすくすと笑いながら輝久。

 きょろきょろしながら村を歩いていると、付喪神の一人が輝久に気が付いて手を振った。

「お久しぶりです、輝久様~!」

「ああ。変わったことはないか?」

「昨日も今日も、ずっと平和ですよ~! 新入りも馴染んでくれたようで」

 と、そこで、隣を歩く桜麟に視線が向く。

「そちらの可愛らしい嬢ちゃんは? さっきも坊やが走って行きましたけど。二人とも入村希望者で?」

「どうだろうな。こっちは、今のところはまだ俺の護り手だ」

 田園風景の中心には、幾つもの長屋が建っていた。ひのふの……と数える。二十戸ほどだろうか。まさに小さな村といったところだ。

 輝久は勝手知ったるとばかりに、桜麟を村へと導いていく。大きめの長屋の前で漣が中の様子を覗いていた。『食事処』と暖簾が出ていて、中からは明るい声が漏れている。輝久が先頭に立って暖簾をくぐると、中にいた数人の視線が一斉に輝久へと向いた。

「これはこれは、輝久様!」

「お怪我をされたと聞いて心配していました」

「おーい、酒だ! いや、飯のほうがいいのか?」

 わいわいとみんなが集まってきて、あっという間に三人は囲まれていた。もちろん、相手は全員付喪神だ。完全な人型の者や、動物の耳や尻尾が見える者と様々だ。奥からは茶釜に足が生えた付喪神がひょこひょこと出てきて、お茶を用意してくれる。

「心配をかけたな。怪我のほうは問題ないから安心してくれ」

 輝久の力強い言葉に、その場の付喪神から「ほ~」と安堵の声が漏れる。その後は、桜麟と漣が質問攻めにされていた。

「あれまぁ、別嬪さん」

「そっちの坊ちゃんは元気だねえ」

「う~ん、今日の布団は一つのほうがいいのか?」

 え、あ、その……と、桜麟は身体の前で手をパタパタと振るも、付喪神達の興味は止まらない。あっという間に壁際に追い詰められていた。漣のほうは大男の姿の付喪神に、たかいたかい、をされて喜んでいる。

 困り顔の桜麟を救ったのは、店の奥から現れた少年の付喪神だった。

「桜麟さん、来てくれたのですね!」

「ええっと……あなたは」

 九兵衛を主にしていた付喪神だとすぐに気が付く。

「どうしてここに?」

 はて、と首を傾げる桜麟へ説明したのは輝久だ。

「九兵衛が捕まったのと、酷い扱いをされていたのが判明したからな。彼には……飛翔(ひしょう)には、しばらくゆっくりしてもらおうと、この村に誘ったのだ」

「はい! 助けていただいただけでなく、こうした場所も用意していただいて……感謝してもしきれません!」

 はきはきと応じる姿は、九兵衛に使われていた時のようなオドオドしたものではない。

「桜麟もこちらへ来なさい」

 座敷の上で背中の風呂敷を広げながら輝久。桜麟も座敷へ上がると、その隣で自分の風呂敷を広げた。武揚のお茶や、甘いお菓子、珍しい唐物の食べ物もある。

「これは土産だ。喧嘩をしないように仲良く分けるのだぞ」

「わお。こんなにたくさん。みなが泣いて喜びます。坊ちゃんも一緒に食べよう!」

 三人の付喪神が、それぞれ腕一杯に土産を抱えると、漣も連れて長屋を出て行く。飛翔がお盆を片手に問いかけてきた。

「それで、輝久様、桜麟さん。どういたしますか?」

「俺はとりあえず腹が減ったから飯が欲しいな。蕎麦でももらおうか。二人分頼む」

「わかりました! 少々お待ちください」

 大きな返事とともに、飛翔が奥の台所らしき場所へと引っ込む。すぐに包丁のトントンという音がこちらまで届いてきた。

「あの……輝久様」

 桜麟は店の奥と入り口を見て、近くに他の付喪神がいないことを確かめてから言った。

「この村の付喪神ですが、みなさん霊力が弱くないですか? 飛翔さんは別ですけど、他の付喪神は、まるでもうすぐ元の道具に戻ってしまいそうな……」

「ほう。そこまで見抜いたか」

 お茶をすすりながら輝久は頷いた。

「ここはな、霊力の尽きかけた付喪神が、最後の時を穏やかに暮らせるようにと作った村なのだ。今は目的が広がって、主に恵まれない付喪神が、新しい主を見つけるまでの仮の宿みたいなこともしている」

「すごい……。とても大きなことをしているのですね」

「そうだろう。付喪神奉行の中でも、このようなことをするのは俺だけだ。世間では銭の無駄だとか酔狂だとか馬鹿にする奴もいるがな」

 まるで子供が褒められたかのように、輝久は上機嫌に声を弾ませた。

 人間にとっては、使い勝手のいい道具である付喪神。その終わりの時を考えてくれる主はなかなかいない。道具の姿に戻るまで、使い潰されるのが普通だからだ。桜麟の千両は法外としても、決して安い買い物ではない。長く使おうとは考えても、その霊力を惜しもうとは考えない。

(だけど、これって……)

 自分を連れて来たのは、この村を見せるためではない。そう直感して問いかけようとすると、ちょうど飛翔が茹でたての蕎麦を運んで来た。

「お待たせしました! 輝久様の分は山盛りにしておきましたよ。つゆはボクの特製です!」

「おお、これは美味そうだな」

 箸を取ると輝久はさっさと蕎麦を食べ始める。飛翔は気を利かせたのか、お茶のお代わりを注ぐと、そのまま店の奥へと引っ込んだ。

 輝久はよほど腹が減っていたのだろう。朝早く出発したために何も食べていなかった。あっという間に山盛りだった蕎麦がなくなっていく。

(わたしは……)

 一方の桜麟は、箸は手に取ったものの食欲がわかない。輝久が食べ終えようとしている頃になっても、一口も食べられないでいた。

「どうした。食わんのか? 美味かったぞ」

「わたしは……ここに置いて行かれるのですね」

 ポツリと漏らした一言で、輝久の動きが止まった。いや、桜麟にとっては、空気そのものが止まっていた。

 輝久の護り手を降ろされる。その現実が目の前にある。

 お払い箱だと自虐しながらも、どこかでこのままの日が続くのではないかと、淡い希望を抱いていた。何だかんだで輝久は押しに弱い。最終的には泣き落としでもしようかと考えていたのだ。せめて奉行所で働かせてもらえることを願いながら。

 きっと、この村は輝久の自慢の場所なのだろう。全てを見て回らなくたってわかる。村の付喪神はみんな生き生きとして、輝久のことを尊敬している。桜麟が断るなんて考えていないに違いない。

「ここが気に入らなければ、別の主を探してやろうとは思っているが……」

 最後の一口を食べ終え、輝久は箸を置いた。

「少し外を歩こうか。昔話をしてやろう」


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