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 村を抜けて向かった先は、来た時とは別の山道だった。かなり急な傾斜で、途中から階段になっている。

「俺はな、七歳の時に神隠しにあったんだ。悪い付喪神……妖魔に攫われてな」

「妖魔に襲われたのですか? よく生きていましたね」

 輝久の後を登りながら桜麟。心が荒んでいることもあり、攻撃的な言葉使いになってしまった。すぐに自分で気が付いて、ずずんと自己嫌悪に陥ってしまう。

「俺もよく生きていたと思うぞ」

 苦笑いを含んだ声で輝久。どうやら桜麟の感情は伝わってしまったらしい。「すみません」と謝ると、「後ろから刺すなよ」と笑って返された。

「普通は妖魔に食われるなりして死ぬがな。俺は運が良かった。助けてくれた付喪神がいたのだよ」

「もしかしてそれが……」

 桜麟の中でピンとくるものがあった。

「そうだ。俺の護り手だった付喪神だ」

 だいぶ頂上が近づいた階段を見上げながら、輝久の頬が懐かしそうに緩んだ。

「籠目という印籠の付喪神でな。その時に俺の心は決まったのだよ。人間を助ける付喪神のためにこの命を使おうと」

 階段を登り切った輝久が、しばし足を止める。少し遅れて桜麟はその隣に立った。森の中で少し開けた場所となっており、赤い鳥居が立っている。その奥には小さいながらも、しっかりとした造りの建築物。何を祭った神社なのだろうか。

「幸いにも俺の家系は古くから続く陰陽師の家系であったから、付喪神奉行を目指すのは当然の流れだった。付喪神奉行に就任した時期も運が良かった。当時の奉行の護り手だった籠目を、そのまま引き継がせてもらったのだよ」

「籠目様はお強かったのですね……」

「ああ、強かったぞ」

 当時を思い出したのか、輝久の唇に笑みが浮かんだ。

「霊力だけでなく性格もな。付喪神の立場で容赦なく意見を言ってくる。前任はそれに閉口していたようだが、俺は付喪神の待遇改善をしたいと思っていた。気持ちだけ空回りしていた俺に、いろいろなことを教えてくれた。この村も彼女の発案から生まれたものだ」

 輝久の口調に信頼以上のものを感じて、桜麟はきゅっと唇を噛んだ。

 輝久にとって、籠目は憧れの付喪神だったのではないだろうか。幼い時に助けられて、人生の目標を定めてくれた。籠目を自分の護り手にしたいと、最初から決意していたのではないだろうか。

(そんな付喪神に勝てるわけがないじゃないですか)

 今はいない付喪神に嫉妬してしまう。

 どう見ても輝久は引きずっている。この上なくしっかり引きずっている。護り手は持たないと宣言しているのがその証拠だ。

 桜麟が護り手になるために、輝久が出した条件を思い出す。死者に勝てだなんて、なんて無茶な条件を出したのだ。絶対に無理ではないか。物凄く腹が立つ。妖魔をバッタバッタと薙ぎ倒したとしても認められはしない。

 一人で憤っていると、輝久は井戸で桶に水を汲んでから神社の扉を開いた。ぎぃ、と微かに軋んだ音とともに静謐な空気……いや、霊力が桜麟の横を通り過ぎていく。

 昔は自分も神社で祭られていた。そんな懐かしい感覚が桜麟の中に蘇った。

「これは……」

 草履を脱いで建物の中に足を踏み入れると、予想外の光景に驚いた。だだっ広い空間と御神体を想像していたのだが、全く違う雑多な空間だったのだ。

 室内の三方を囲むように、ぐるりと棚が並び、大小様々な物が置かれている。

 ひびの入った手鏡。歯の欠けた櫛。真っ二つに割れた壺。色のくすんだ蒔絵の小箱、糸車のように少し大きめの物もある。けれど、どれ一つとして満足に使える物はない。そこはまるで、かつて付喪神だったモノ達の墓場ようだった。

(ここは……たくさん、いる)

 目を閉じると、驚くほどの声が聞こえるような気がした。間違いなくここの付喪神は死を迎えている。けれど、微かに残った霊力は失われることなく、楽し気に囁きあっている。ここは付喪神が死後に生きる、黄泉の国なのかもしれなかった。

「お前は感じ取れるのだな。ここの気配を」

「……はい。付喪神ですから。みなさん、幽霊みたいなものですけどね」

 目を開けて輝久へ頷く。

「どんな様子だ? 俺には何も聞こえんから気になっていた」

「ふふふ。安心してください。みなさん、とっても楽しそうですよ」

 そうか、と安堵したように輝久が息を吐く。桜麟は棚の一つ一つを調べながら言った。

「この村で元の姿に戻った付喪神を祭ってくれているのですね」

「その通りだ。本当は一つ一つ、祠を作ってやりたいところだが、さすがに予算も場所もなくてなぁ。今はこれで許してくれといったところだ」

 無念そうに首を振る輝久。その気配を察知したのか、ざわざわと微かな霊力が騒めいた。そんなことはない、ありがたい……みんなそう言っている。

 輝久は桶に掛けていた雑巾を取ると、棚を丁寧に拭き始めた。

「籠目は強かったが、護り手としての時間も長過ぎた。霊力も尽きそうになって、俺は引退を勧めたのだ。お前と同じ頑固な付喪神でなぁ、最後の事件の解決と引き換えに、やっと承知させたものだったよ」

 話を聞きながら、桜麟も雑巾を取った。

「今と同じような事件が続いていてな。籠目は絶対にこれだけは解決したいと聞かなかったのだよ。だが……それが籠目の命取りになった」

 輝久の悔恨の声だけが聞こえる。

「俺はその時から、籠目を妖魔に堕とした犯人をずっと捜している。絶対にこの手で仇を取ってやる、と」

 いつもは冷静な輝久の声が、この時だけは憎悪の籠ったものに聞こえた。まるで妖魔が纏う靄のようにどす黒く、背筋が寒くなる。

「だからな」

 それは一瞬のことで、すぐに穏やかな調子に戻る。

「お前にはそんな過ちをしたくない。お願いだから、素直にこの村に留まってくれないか。お前の霊力は弱った付喪神にも有効だろう。妖魔ではなく、村のために霊力を使ってくれないか」

「……」

 輝久の意図は理解した。確かに自分には向いているかもしれない。

 無下に自分をここへ押し込めようとしているわけではないのだ。きちんと適性を見定め、力を発揮できる場所を選んでくれた。それを嬉しく思う気持ちもある一方で、やはり護り手から離れるしか選択肢はないと突き付けられたようで悲しい。

 すぐに結論は出ず、考える時間が欲しくて桜麟は話を逸らした。

「……それで、籠目様はどちらに」

「こっちだ」

 桜麟が拭いていた棚とは反対側の棚。真ん中あたりの列に、封印のお札が貼ってある白木の小箱があった。輝久はその小箱を手に取ると、封印を解いてから蓋を開けた。

 箱の中には、手の平ほどの大きさの印籠が置かれていた。何列も細かな長方形に区切られた中に、一つ一つ吉祥模様が描かれている。その図柄の精緻さに桜麟は息を呑んだ。一体、どれほど気の遠くなるような作業だったのだろう。

 そんな見事な印籠の下半分には、無数の亀裂が入っていた。漆で継いではいるが、せっかくの吉祥模様も少し剥げている。

「腕のいい職人に直させたのだが、元通りにはならなくてなあ」

「ここまで修理しただけでも十分だと思いますよ」

 修繕具合から見るに、ばらばらになっていたに違いない。無理難題を頼まれた職人の気苦労が知れるというものだ。

「その印籠からは何も感じないか?」

「いえ……こちらからは何も」

 目を閉じて気配を探るも、霊力のひとかけらも感じない。他は霊力の残滓といったものを感じるのに、これは付喪神に『成った』ことがないかのように静かだ。

「俺に遠慮する必要はないぞ。どうせロクなことは思われていないだろうが」

 自虐めいた笑みを輝久は浮かべる。

「数えきれないほど世話になったのに、恩を仇で返してしまった。最低の主だ。この場で祟られたりしても文句は言えんからな」

 痛々しいほどに己を責めているのがわかり、桜麟はそっと目を伏せた。

 輝久は間違いなくよくやっている。日々の任務はもちろんのこと、霊力の尽きかけた付喪神や、主に恵まれない付喪神を集め、こうして穏やかに暮らせる環境を整えてくれている。さらには、付喪神を弔う場所の用意。正に至れり尽くせり。これ以上は何を望むというのか。

 死んだ籠目という付喪神だって理解しているはずだ。妖魔に堕ちたから斬ったわけではない。きっと、これ以上の罪を重ねさせないために終わらせたのだ。そう、桜麟は信じたかった。

「あのー……輝久様。触ってみてもいいですか?」

 断られるかなと思いながらも桜麟は手を伸ばす。上手くいく可能性は低いが、ここまで後悔している輝久を少しでも慰めたかった。

「そのくらいならいいが……壊すなよ?」

「壊しませんよ」

 桜麟は差し出された小箱から、そっと両手で印籠を受け取った。裏側を見たり、中を開けたりしてみる。やはり何も聞こえない。

 それを確認してから、今度は両手に霊力を集める。淡い桜色の光。ほんの僅かでも残滓があれば、この力で増幅することはできないだろうか。

 ほんの一瞬だけでいい。その声を聞かせてくれてはくれないだろうか。

(……やっぱり駄目ですか)

 しばらく続けて桜麟は小さく息を吐いた。何も手ごたえがない。この印籠には本当に何も残っていない。

「すみません、輝久様。もう、この印籠には……え?」

 すいっ、と引っ張られるような感覚に、桜麟は素早く振り返った。だが、そこには何もいない。もう一度、印籠へ視線を向けると、またもやどこかから引っ張られた。

 右、左、右、左……向いた方向とは逆に、まるで桜麟を嘲笑うかのよう。

「誰だか知りませんけど、悪戯は……」

 むっ、としたところで、桜麟の視線は手に持った印籠へと引き寄せられた。悪戯の犯人はこの印籠だ。

(これは、どういう……っ)

 そう思った時は既に遅かった。

 桜麟の意識は印籠の中に吸い込まれていたのだから。


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