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    ◆


 大急ぎで食器の片付けをしてから、部屋に用意されていた小袖と袴に着替え門へ行くと、袂に手を入れた輝久が空を見上げていた。

(うわー、もういるし!)

 輝久の元へ駆け寄ってから、桜麟は頭を地面に付かんばかりに下げた。

「すみません! 遅れました!」

「いや。俺が少し早かっただけだ」

 行くぞ、と促しながら、相変わらず不機嫌そうに輝久が続ける。

「お前も遅れていないのに謝るな。俺が苛めているみたいではないか」

「す、すみまー……はい」

 反射的に謝りかけて、何とか言い換える。

 粗相をしたら小さなことでも謝る。そう教育されていただけに戸惑ってしまう。確かに約束の半刻は過ぎていなかったのは事実だが、主を待たせてしまったのも事実ではないだろうか。

 無言で歩く輝久の背中は、相変わらず桜麟を拒絶しているようにも見える。

(だけど……)

 自分の姿を桜麟は見下ろした。

 浅緑色の小袖に濃紺の袴だった。見た目は普通の小袖だが、上等な布には霊力が組み込まれている。これを身に着けているだけで、簡単な攻撃は防いでくれるだろう。

「あの……輝久様。こんなに立派な小袖と袴。ありがとうございます」

「そのくらいの準備は、主なら当然のことだ……と言いたいところだが、それは見習いの護り手が着るものだ」

 輝久はちらりと桜麟へ視線を送った。

「斬妖刀の付喪神とはいえ、着物のまま大立ち回りをさせるわけにはいかんからな。お前は気が付いていないようだったが、昨日の町でのお前は、その……かなりきわどい姿だったぞ」

「きわど……はぅっ……」

 指摘された意味を理解し、桜麟は小さく悲鳴を上げた。

 妖魔に堕ちかけの少年の付喪神を助けることしか考えていなかった。あんなに大きな動きをしたのだから、さぞかし大変なことになっていただろう。

 裾が割れて胸元も乱れた自分の姿。それを想像してしまい、頭を抱えて悶絶する。

「これで、お前の言い訳が一つ減ったな」

 意味ありげな台詞に、はて、と桜麟は首を捻った。

「このひと月はお前を護り手として扱うことにしたのだ。その格好なら、いくらでも暴れられるだろう?」

「なるほど。望むところです」

 やるなら徹底的にということだ。輝久の言葉に慄いてしまう部分もあるが、あれだけの啖呵を切っておいて、いまさら弱気になるわけにはいかない。たとえ苦手な役目でも全力を尽くすだけだ。

「まずはお前に武揚の町を教える」

 輝久は懐から折り畳んだ紙片を取り出すと桜麟へ渡した。

「それは武揚の簡単な地図だ。広い町だからこの短期間で全部覚えろというような無理は言わん。だがな、俺の管轄区域で、迷子にならない程度には覚えてくれ」

 紙片を開くと武揚の町の概要が描かれた地図が出てくる。全体を斜めに四等分してあり、下の区域に丸が付けてある。ここが南町の管轄ということだろう。

「ここが南町奉行所で、いま歩いているのはこのあたりだ」

 輝久が隣に来て、地図を指でたどって説明してくれる。

「昨日、お前が迷子になっていたのはこのあたりだな。妖魔が出たのはこっち。慣れないうちは大きな通りを選べ。そのほうが結果的には早く現場に到着できる」

 はい、と桜麟は頷いた。それは昨日の件でこりごりだ。地図では区画整備されているように見えるが、その区画内や川沿いは小さな道が複雑に入り組んでいるのは体感した。輝久からもらった地図にも、主だった通りしか書かれていない。

 それにしても、やはり広い町だ。桜麟は地図をしまいながら訊ねる。

「付喪神を相手にする人って、付喪神奉行所の人で全部なのですか?」

「いや。屋敷に住み込みで働く者もいるが、外に住んでいる者もいるぞ。今日はそいつを紹介しようと思っている。このあたりのはずなんだが……」

 輝久は通りの真ん中で立ち止まり、ぐるりと周囲を見回す。朝餉の終わった時間は人通りも増えて、賑やかなものとなっていた。

「おおい、そこの姉ちゃん」

 そんな喧騒の中から聞こえてきた声に桜麟は振り返った。自分への声ではなかったのだが気になったのだ。

「いい店を知ってんだ。美人さんがいれば、きっと酒も美味くなるだろうなあ。いやいや、美人さんが酒を美味いものに生まれ変わらせてくれるんだ。仕事なんて放っておいて、今からオレと一杯やろうじゃないか」

「やあねぇ、お兄さん。おだてても何も出ないわよぉ?」

 中性的な顔立ちでまるで歌舞伎役者のような伊達男が、茶店の女性を口説いている。女性のほうもまんざらではない様子。

「ええっと、輝久様」

 桜麟が呼んだのには理由がある。伊達男の隣には、首に鈴を付けた付喪神の少女が、困ったような表情を浮かべていたからだ。

「もしかして、探しているのはあの人ですか?」

「……あいつ」

 桜麟の指した方向を見て、忌々し気に舌打ちを一つ。大股で茶店へと近づくと伊達男の肩を、むんずとばかりに掴んだ。

「おい、影元(かげもと)! 朝っぱらからサボろうとはいい度胸だな」

「うげっ、輝久!?」

 ぎょっとした様子で、影元と呼ばれた伊達男が振り返った。

「いやぁ、これはだね。今日一日、いい気分で仕事をするために必要な……」

「嘘を付け! 一日遊び惚けるための間違いだろうが!」

 輝久の怒声が響き、口説かれていた女性はかかわったら損だとばかりに、「あれまぁ」と呆れて茶店の奥へと引っ込んで行く。その後ろ姿を未練がましく追いかけていた影元だったが、やがて諦めたのか悲し気に頭を振った。

「朝から見つかっちまうとは運が悪いなぁ。それで輝久、今日は何の用だい?」

「護り手見習いを取ることになってな。仕事仲間を紹介してやろうと思っただけだ」

 他人の振りをしつつ、二人のやり取りを生暖かく見守っていた桜麟は、輝久の手招きを見て茶店に近づいた。

「この軽佻浮薄で不真面目な男は影元だ。俺と付喪神奉行の座を競って切磋琢磨した仲だ。こう見えても腕は立つから、協力することもあるだろうよ」

「斬妖刀の付喪神で桜麟と申します」

 ぺこりとお辞儀をする桜麟。そこへ影元がずずい、と近づいて来て桜麟はのけ反った。

「もしかして、昨日の妖魔を鎮めたって付喪神かい?」

「は、はい。勝手なことをしたと、輝久様には怒られまし……」

「いやぁ、噂通りの別嬪さんじゃないか!」

 面食らう桜麟の両手を包み込むように取って、ぶんぶんと上下に振る。

「町で噂になってたぜ? えれえ別嬪の付喪神が、勇敢に妖魔を鎮めたってな」

「は、はあ……」

「可哀そうになあ。どうせ輝久から無理難題を吹っ掛けられたんだろう? どうだい、オレがねんごろに可愛がってやるから、輝久の護り手なんぞ辞めて、オレと一緒に……」

「人の護り手を口説くな、阿呆!」

 そこで後ろ頭を輝久がはたいた。桜麟を自分の背中に隠しながら怒鳴る。

「お前の護り手が困っているだろうが! ……ったく、凛花(りんか)もこんな奴が主で苦労をかけてすまんな」

「いえ……こちらこそ、いつも主様を抑えることができず、申し訳なく思っております」

 輝久の背中からひょいと顔を出すと、影元の隣にいた付喪神が恐縮しているところだった。黒目黒髪の可愛らしい少女で、外見は桜麟と同じくらいの年齢だ。物腰の柔らかい付喪神で、気が合うかもしれない。

「桜麟様もお気を悪くされないでくださいね。主様はいつものことなので」

「大丈夫ですよ。少し驚いただけですから。凛花さん、これからよろしくお願いします」

 挨拶を交わしながら、桜麟は凛花がさりげなく後ろに手を組んだのを見逃さなかった。その理由を問おうとして躊躇う。初対面で決めつけていいものだろうか。輝久を見上げると、影元へ説教をしながらも信頼している様子。

 悩んでいると影元が再び桜麟を見詰めてきた。

「しっかし、輝久が護り手とはねぇ。あれだけ護り手は取らないと抵抗していたのに、どういう風の吹き回しかい?」

「オレもそのつもりはなかったんだがな」

 小さく肩をすくめて輝久。

「左近が付喪神奉行の掟を持ち出すから、形だけでも取る必要があったんだ。そうしたら、いろいろあってな……。しばらく護り手の適性を見定めることになった」

「ふうん……」

 何かを考え込む様子で影元が腕を組む。

「見た目によらず、意外と押しが強い嬢ちゃんなんだな」

「……おい」

 不本意だとばかりに輝久が唇を歪める。影元はそんな彼に近づくと声を潜ませた。

「すまねぇが、付喪神の行方不明事件についての進展は無しだ。嬢ちゃんが鎮めた付喪神からの情報はねぇのか?」

「残念ながらまだ眠ったままだ。元の持ち主もわからん。ただ、妙な鈴を付けていてな。それは左近に調べてもらっているところだ」

「そうかい。とにかく町に被害が無かったのはよかった。お互い気を付けようぜ。護り手も安泰じゃねぇからな。しっかし、嬢ちゃんは本当に別嬪だねぇ」

 最後に桜麟を見て、ほうっと影元は息を吐くと「またな」と片目を瞑って茶店から離れる。凛花は丁寧に一礼してから影元を追いかけた。

(わたしの勘違いでしょうか)

 その後ろ姿を見送りながら桜麟は自分の考えを改める。

 凛花の手首あたりに傷のようなものが見えた気がしたのだ。徳次郎からは失敗するたびに折檻を受けていたので、もしや凛花もと思った。けれど、よくよく考えれば、付喪神がみんな自分のように失敗ばかりなわけではない。ある意味、凛花にも失礼なことを言ってしまうところだった。

「桜麟。今の話は聞いたな?」

「付喪神が行方不明になっているということですか?」

「そうだ。別の場所では護り手も行方不明になったらしい」

 それは大変な話だ。完全な人型を取る霊力の高い付喪神。それを連れ去るとは、人間側にも相当の霊力を求められる。

「付喪神になりそうな物品も盗まれていてな。俺は付喪神屋が怪しいと睨んでいる」

「もしかして、徳次郎様の元を訪れたのも……」

「その通りだ」

 桜麟の推測を輝久は肯定した。

「疑っていたのだが何も見つけられなかったな。まあ、お前という余計な付喪神を買わされてしまったわけだが」

「それはわたしのせいですか!?」

 思わず涙目になって問いかけると、ニヤリと笑いながら「すまんすまん」と謝罪された。だが、すぐに引き締まった表情へと戻る。

「だからな、お前のような田舎者の付喪神は格好の獲物になりかねん。死にたくなければ俺の側から絶対に離れるな」

「……わかりました」

 昨日はかなり輝久を恨んでしまったが、この事情を聞けばあの仕打ちも納得できる。輝久の過去だけが原因ではなかった。町が危険な状況であるからこそ、強力な主の権限を使ってでも、桜麟を意のままに従わせようとしたのだ。

(本当に付喪神のことを想ってくれている人なのですね)

 やり方は不器用だが、その心意気は初対面の印象通りで、なぜか桜麟の心は高鳴った。


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