第九十五話 離れないと決める
三日目の朝、リディアは北の層二の写しを割れ目の箇所から読み直した。
順位の項の、太い一本の線。終端の写しでは、升の横で白く抜けていた。北の写しの同じ番号の頁では、割れ目が少しずれている。線は割れ目を越えて、上へ続いていた。
続いた先は、起動の項だった。最初の人生の終わりに、回帰術式が起動した時のことを書いた項。そこに、名の入る升が三つある。術者。通過した身体。魔力を貸した者。
三本の線は、三つとも起動の項から引かれていた。術者の升からいちばん太い線。通過した身体から二番目。魔力を貸した者から、いちばん細い線。
「ユリウス」
「見てる」
ユリウスは自分の写しを反対の端から読んでいた。移す先の項から上へ、線を一本ずつ逆に辿る。リディアが上から読んだものを、彼は下から確かめる。
しばらくして、ユリウスがペンを置いた。
「同じ。三本とも、起動の項から来てる。ほかの項から入ってくる線は、一本もない」
リディアは帳面に、三つの升に入る名と、それぞれの根拠を並べた。ユリウスは、どの升にもいない。
「線の太さは、起動の時の役で決まっています。そのあとで変わる書き方は、どこにもありません」
「つまり、近くにいるとか、好きだとかで、太くなったり細くなったりはしない」
「この式では、しません。そういうものを読む項が、ないんです」
ユリウスは頷いて、それから首を傾げた。
「でもさ。それで分かるのは、死がどこへ移るかだよね。君がどうして早く死んだのかは、これじゃ説明できない」
「はい」
リディアは帳面に線を引いて、頁を二つに分けた。上に、移動の規則。下に、死期の原因。
「分けて調べます。今日、答えを出せるのは上だけです」
---
リディアは、上の欄を一行ずつ埋めた。
移す先の項には、働く条件が二つ書いてあった。保留の死が招いた死の働きが、終わったこと。その時に、持ち主が生きていること。二つが揃うと、持ち主を除いた升のうち、いちばん太い線の人へ負担が移る。元の升は空く。
層二の確保の事件の記録と並べた。確保の術式が発動し、最後の出力が尽きた時、彼は生きていた。負担は、彼から術者へ。崩落も同じ形だった。落ちるのが止み、自分は生きていた。負担は、自分から彼へ。
倉庫街の例は、規則の根拠には使わなかった。戸の向こうのことは分からない。今世の路地も、捕まえる段で離れていて、致死の働きまでは出ていない。どちらも、式の条件に照らせば移らない側に入る、というだけだ。
「傷の重さは」
ユリウスが尋ねた。
「書いてありません。腕を焼かれても、かすり傷でも、生きていれば同じです。防護か騎士かも、書いてありません」
リディアは書いた。移動の規則、確定。救う手段と傷の重さは条件にない。二人が生きて結ばれている間は、負担は二人のあいだを行き来し、兄へは移らない。
それから、下の欄に移った。
近くにいた人生ほど早く死んだ、という彼の記憶。冊子の行を並べ直すと、人生ごとに、自分のいた場所も、していたことも、護衛の付き方も違った。覚えている深さも違う。近さだけが違う組は、やはり一つもない。
リディアは書いた。死期の原因、未解決。親密さと死期の並びは、条件が揃わず、気持ちが死を早めるという結論を支えない。
最後に、一行足した。離れていたあいだに何も起きなかったことは、検証の結果に数えない。
書きながら、思った。離れているあいだ、毎晩一行を書いた。届くのを待った。気持ちの方は、減っていない。それも、数えないでおく。
---
昼の鐘のあと、リディアは公爵邸の面会室にいた。
結果の写しは、朝のうちにユリウスが届けていた。アレクシスは長い卓の奥で、その写しを開いていた。
「読んだ」
彼は言った。
「移る先は、起動の時の役で決まる。近さでは変わらない。それは分かった」
「はい」
「それで、安全だと証明されたのか」
「そこまでは分かりません」
リディアは正直に答えた。
「私が早く死んだ理由は、まだ分かっていません。でも、離れていれば防げるという根拠も、どこにもありません。式にも、冊子にも」
アレクシスは写しの下の欄を見ていた。
「離れていたあいだは、重かったです。一言で済むことに一晩かかりました。顔を見ずに決めることが、三つありました。会って相談できる方が、研究も早く進みます。それも、見直しに入れたいんです」
長い沈黙があった。
「……怖いのは、変わらない」
やがて、彼は言った。
「この三日では消えなかった。たぶん、しばらく消えない。だが、怖いからという理由だけで、根拠のない距離を続けるのは、俺の選ぶことじゃない」
彼はペンを取って、条件の紙の四の行の下に書いた。延長しない。
「護衛と、研究の危険の扱いは続ける。新しいことが分かったら、また二人で話す」
「はい」
リディアも、同じ行の横に名を書いた。
それから立ち上がった。手前の椅子を持ち上げて、卓の脇を奥まで運んだ。彼の椅子の隣に置いて、座った。
アレクシスは動かなかった。椅子を引きもしなかった。
肩が触れるほど近くはない。けれど、彼の袖の布の匂いが分かる距離だった。三晩、紙の上にしかなかった人が、手を伸ばせば届くところにいる。
彼の手が卓の上の研究の写しへ伸びかけた。その前に、リディアは言った。
「庭の遠回りを、また歩きたいです」
アレクシスの手が止まった。
「……帰る角を通り過ぎたのは、君だ」
「あなたも、通り過ぎました」
「先に気づいたのは、俺だ」
「では、今度は角が来たら、教えてください」
アレクシスは少しのあいだ、こちらを見ていた。口元がわずかに緩んだ。
「教える。たぶん」
「たぶん、ですか」
「通り過ぎてもいいと思ったら、黙っている」
リディアは笑った。声に出して笑ったのは、離れてから初めてだった。
アレクシスは笑わなかった。けれど、目を逸らしもしなかった。
彼は椅子をそのままにして、研究の写しを二人のあいだに開いた。順位の項と、起動の項と、太さの違う三本の線。
次の記録は、隣に座って読む。
お読みいただきありがとうございます!
「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク・評価・リアクションをいただけると嬉しいです。
Xでも更新情報などを発信しています。
よろしければこちらもフォローいただけると嬉しいです!
https://x.com/st_shosetsu




