第九十一話 距離に期限をつける
翌朝、朝の鐘より前に、リディアは研究室の鍵を開けた。
作業台に、昨日の二つの欄の紙を置いた。その横に、帳面の新しい頁を開く。
近さが移動の条件である可能性は、残っている。それを打ち消す根拠は、今の手元にはない。けれど、残っているというだけで、離れれば防げるという根拠にもならない。確かめるには、式を読むしかない。読み終わるまでの日数は分からない。
そして、彼は待てないと言った。
リディアは、前の人生の十年を思った。食卓が分けられ、部屋が分けられた。理由は告げられず、いつまでなのかも分からなかった。待っていればいつか終わるのか、自分が何かを直せば終わるのか。それさえ、誰にも聞けなかった。
同じ形には、しない。
離れるなら、理由を書く。見直す日を書く。そのあいだの連絡の道を書く。書いたものに、二人で名を入れる。
リディアはペンを取って、頁の頭に書いた。近さが術式の反応に関わるかを確かめる計画。
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ユリウスが来たのは、朝の鐘のあとだった。
リディアは昨夜のことを全部は話さなかった。近さが移動の条件である可能性を昨日の結果では打ち消せなかったこと。彼がそれを強く恐れていること。その二つだけを話した。
「それで、離れるの」
「少しのあいだだけ。そう考えています」
リディアは頁を見せた。
一、検証の中心は、式と記録の照合。北の記録と冊子を、順位の項と、まだ読んでいない条件の項に照らす。
二、その間の用心として、三日のあいだ、会って近くにいることを控える。公爵邸への訪問、庭の散歩、読み合わせの同席は休む。気持ちを抑えるための取り決めではない。
ユリウスは二行目を指で叩いた。
「ねえ。離れて三日、何も起きなかったら、それで近さが条件だって証明になる?」
「なりません」
リディアはすぐに答えた。
「三日で何も起きないのは、近くにいても同じかもしれません。離れるだけでは、何も確かめられない。だから、確かめるのは一行目です。二行目に効き目があるかどうかも、分かっていません」
「じゃあ、なんで離れるの」
リディアは少し考えてから答えた。
「彼が怖さを抱えたまま隣に座り続けるより、三日だけ席を離した方が、二人とも落ち着いて式を読めると思うからです。研究のやりとりも、護衛も止めずに済みます。三日なら、私も引き受けられます」
「君は、平気なの」
「平気ではありません」
声に出すと、思っていたより重かった。
「読み合わせで隣にいれば一言で済むことが、紙だと一晩かかります。顔を見ずに決めることも増えます。それも、見直しの日に数えます」
ユリウスは黙って頷いた。
リディアは続きを書いた。
三、続けるもの。研究の資料のやりとり。本人同士の手紙。護衛の連絡。急ぎの時の面会。書面では難しい聞き取りは、二人が必要と決めた時に、面会室で席を離して短く行う。
「研究の資料は、あなたに運んでもらえますか。公爵邸へ、写しと読みの結果を」
「いいよ。でも、一つ決めておく」
ユリウスはペンを取って、三の横に自分の字で書き足した。ユリウスが運ぶのは、研究の紙のみ。
「君たちの手紙は、君たちで出して。研究の紙を運ぶだけで、僕は手一杯」
リディアは少し笑った。
四、見直し。三日目の昼に二人で見直す。新しい結果が出たら、それより前でも。読みが終わっていなくても、自動では延ばさない。
「完全に安全だと分かるまで、じゃないんだね」
「それを待ったら、終わらなくなります」
ユリウスは四の行を帳面の自分の頁にも写した。
「三日目の昼、僕も空けておく。読みの結果は、その前の晩までにまとめよう」
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昼前に、リディアは頁を清書した。
書き出しは、昨夜の続きだった。続きを話すかどうかは今日二人で決める、と言った。だから、紙で続きを話させてください。
距離は、あなたの怖さも考えて、私が選んだ用心です。近さが条件だと決まったからではありません。
その下に、四つの条件を写した。
結論を出すまで、研究は止めません、と書き添えて、最後に自分の名を書いた。
封をした手紙は、ギルベルトに渡した。ギルベルトは宛名を見て、それからリディアを見た。
「護衛の連絡は、これまでどおりでよろしいですか」
「はい。それは変えません」
「承知しました」
ギルベルトは手紙を詰所の使いに託した。
返事は、昼の鐘のあとに届いた。
アレクシスの字だった。四つの条件の下に、彼の名がある。それから、短い行が一つ書き足されていた。
夜の鐘の頃に、一行でいい。無事だと知らせてほしい。
リディアはその行をしばらく見ていた。
それから、自分の控えの同じ場所に書き写して、その下に足した。あなたも。
手紙の終わりには、もう一つあった。距離を置く前に、引き継ぎのために今日の夕に一度だけ会う。読みの途中の写しと冊子の扱いを、そこで決める。
リディアは控えを帳面に挟んだ。




