第九話 自分の名の通知
通知は四日後の朝に届いた。
執事が銀の盆に載せて食堂へ持ってきた封筒には、魔導院の紋の封蝋が押してあった。宛名はリディア・エルフォード。父の名でも兄の名でもない。
リディアは盆の前で手を止めた。目覚めた朝にも、同じ盆の上の封筒に手を止めた。今度の封筒は、自分で出した願書の返事だった。
封を切った。
代替審査の結果、入院を認める。所属は古代術式研究室。初登院は五日後の朝。
その下に、短い段落がもう一つあった。
先の実技試験における標準図の転記の誤りと照合の不備について、院は試験用教材の照合手順を改め、同様の事態の再発を防ぐ。
リディアは紙を父へ渡した。父は眼鏡をかけて読み、読み終えてからもう一度最初から読んだ。
「正式入院、だな」
「はい」
「院の所属として名簿に名が載る」
「はい」
父は紙を畳んで、リディアの方へ返した。
「約束は約束だ。お前の言う研究がただの気まぐれではないと、親戚にも言える」
それだけ言って、父はスープに戻った。スプーンを口へ運ぶ前に、一度だけ咳払いをした。
兄が向かいで笑っていた。
「古代術式研究室か。バルド室長のところだな。あそこは静かでいい」
「兄様の研究室は」
「別の棟だ。顔を合わせることは少ないだろうが、困ったら呼べばいい」
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昼前にミレイユが来た。
両腕で抱えるほどの花束を持っていた。白と薄紅の花に細い緑の葉が混ぜてある。
「合格祝い。母がね、やりすぎだって言ったの。でもやりすぎくらいがいいでしょう」
「どうして知ってるの。今朝届いたばかりなのに」
「あなたのお父様が、うちの父に使いを出したのよ。朝から」
リディアは花束を受け取って、顔を埋めた。父が使いを出した。合格の通知を、朝のうちに。
二人で花を活ける器を探していると、執事がまた盆を持ってきた。
赤い封蝋に鷲の紋。
ミレイユが花を持つ手を止めて、リディアの顔を見た。
封を切る。家令の手による丁寧な文面だった。伯爵令嬢の魔導院への通学にあたり、公爵家より護衛を一名つける。登院と下院の送迎、および院内での移動に付き添う。初日の朝に伺う。
それだけだった。祝いの言葉は一行もなかった。
「……何それ」
ミレイユが紙を覗き込んで眉を寄せた。
リディアは紙を持ったまま書斎へ行った。兄は机で資料を読んでいた。
「兄様。これ、ご存じでしたか」
兄は紙に目を落とし、すぐに頷いた。
「昨日、公爵家の家令が私のところへ来た。院へ通う道中が心配だから護衛をつけたいと。父上とも話して、受けておいた」
「私には、何も」
「お前を煩わせることでもないと思ってな。院には私がいるし、道中に人がいれば私も安心だ」
兄は穏やかに言った。悪いことをしたとは思っていない顔だった。
リディアは紙を握る指に力が入るのを感じた。
「兄様。私は婚約をお断りしました。あの方とは何の約束もありません。その方の家の騎士が、毎日私について歩くんです。それを、私の知らないところで受けたの」
兄が顔を上げた。
「嫌か」
「嫌です。守られるのが嫌なのではありません。私に聞かずに決められるのが嫌なんです」
前世の十年がそうだった、とは言えなかった。
兄はしばらく黙っていた。それから資料を脇へ寄せた。
「断るか。今から家令に使いを出せば、まだ間に合う」
リディアは紙を見下ろした。
断ることはできる。けれど、試験の日の演習場を思い出した。主任が供給を止めたあと、扉から騎士たちが入ってきて、受験者を壁際から廊下へ流していった。図の誤りを見つけたのはリディアだったが、受験者たちを押し合わせずに外へ出したのは騎士だった。
術式の正しさは自分で確かめる。けれど院へ通う道中や、何かあった時の逃げ道までは、一人では見張れない。そこだけなら、人の手を借りてもいい。研究の中身まで渡すのでなければ。
「断りません。でも、条件をつけます。私から」
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その日の夕方、リディアは公爵家へ短い手紙を書いた。
護衛の申し出は受ける。ただし、研究室の中には入らないでほしい。研究室には院の資料があり、研究員でない者が立ち入れば、院の規則にも、室長にも迷惑がかかる。送迎と、院内の廊下までにしてほしい。
宛名を書く手が、一度止まった。家令宛てにするか、公爵本人宛てにするか。
本人宛てにした。
返事は翌朝届いた。家令の字ではなかった。短く角張った字で、一行だけ書いてあった。
研究室の中には入らせない。
署名は、アレクシス・ヴァルディエ。
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初登院の朝、門の前に騎士が一人立っていた。
背が高く、肩幅の広い男だった。黒い制服の上に公爵家の紋の入った外套を着ている。リディアが玄関を出ると、踵を揃えて礼をした。
「本日より護衛を務めます、ギルベルトと申します。エルフォード様」
「リディア・エルフォードです。手紙の条件は聞いていますか」
「はい。研究室の扉の内側には立ち入りません。廊下でお待ちします」
ギルベルトは真面目な顔で答えた。団長に言われたことを、一字一句覚えてきたという顔だった。
「出発は朝の鐘のあと、院までは大通りを使うよう団長から命じられております。それ以外のご指示も、団長から受けております」
リディアは一瞬だけ言葉に詰まった。通る道も、家を出る頃合いも、この人の団長が決めている。
一行の手紙で手に入れたのは、研究室の扉一枚分だけだった。
「……行きましょう」
馬車に乗り込む。ギルベルトは騎馬で横についた。窓の外で蹄の音が車輪の音に重なる。夜会の帰りに聞いた音と同じだった。
膝の上には、自分の名の書かれた通知がある。古代術式研究室。初登院の朝。
窓の外には、頼んでいない護衛がついてくる。




