↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二度目の人生では、公爵様と結婚しません ~前世の夫が、なぜか今度は私を守ろうとします~  作者: かなりあ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/69

第八話 もう一度解く

 父は報告を最後まで黙って聞いた。


 書斎の机の上にリディアは代替課題の紙と、赤い丸のついた標準図の写しを並べ、試験で起きたことと自分が指を離した理由、十日後に出すものを順に話した。兄が口を挟もうとするたびに、リディアは先に続きを話した。


「つまり、まだ落ちてはいないのだな」


「はい。通ってもいません」


 父は課題の紙を手に取り、目を細めて読んだ。


「院の不備で中断したのに、受け直しはお前の手間か」


「同じ目に遭った十一人、全員がです。費用は院が持ちます」


 父はしばらく紙を見ていたが、やがて机に置いた。


「十日後までは今のとおり出す。本も、馬車もだ」


「ありがとうございます」


「礼は通ってからでいい」


 父はそれだけ言って、書簡の束に手を伸ばした。


 ---


 書庫の机は三日で紙に埋まった。


 最初の晩は案を書けなかった。誤った図では熱が戻って溜まる。直した図では外へ抜けて落ち着く。リディアにはそれが見えている。見えていることを、そのまま書いても検証にはならない。バルドが言ったとおりだった。


 二日目に兄の棚から院の教本を借りた。保温の術式の章を開き、標準図の元になった頁を探す。教本の図では真ん中の線は入口ではなく皿の縁の外へ抜けていた。試験用の図との違いは一本の行き先だけだった。


 そこから手順を組み直した。


 同じ皿、同じ筆、同じ墨。誤った図と直した図を二枚の皿に描く。主供給は使わず、院の検証室にある小さな供給器から、同じ低い出力だけを流す。皿の縁に測温の針を当て、決まった数を数えるごとに目盛りを読む。針が安全の上限の線に近づいたら、その場で供給を切る。


 書きながら、何度も手が止まった。


 どうして二枚とも同じ墨なのか。墨が違えば熱の通り方が違うかもしれないからだ。どうして数を数えるのか。読む間隔がばらばらだと、熱の上がり方を比べられないからだ。一つずつ理由を書くたびに、紙の上の手順が長くなっていく。自分の頭の中では一瞬で済むことを、他人が追える順番に並べ直すのに、半日かかった。


 ミレイユは毎日来た。


 焼き菓子の籠を机の隅に置き、リディアの横に椅子を引いて座る。一日目は問題を読み上げると言っていたが、机の上を見て、何も言わずに籠だけ置いていった。二日目からは、リディアが手を止めると話しかけた。


「それ、何の線?」


「熱を逃がす線。これが入口に戻ってるのが間違いで――」


 説明しかけて、リディアは口を閉じた。また早口になっている。


「続けて。分からないけど聞いてる」


 ミレイユは菓子を一つかじって、頬杖をついた。


 リディアは最初から話した。皿のこと、墨のこと、数を数えること。ミレイユは半分も分かっていない顔で、それでも途中で一度だけ質問をした。


「その針って、誰が読んでも同じ数になるの?」


 リディアは筆を止めた。


「……ならないかもしれない」


 針の先が目盛りの線と線の間に来たら、読む人によって数がずれる。手順の紙に一行を足した。目盛りは針の先が過ぎた線の数で読む。線の間は切り捨てる。


「役に立った?」


「とても」


「じゃあ、お菓子をもう一つ食べて」


 ミレイユは頑張ってとも、大丈夫とも言わなかった。籠を押しやって、また頬杖をついた。


 ---


 十日目の朝、リディアは魔導院の検証室にいた。


 窓の小さな石造りの部屋で、壁際の棚に器具が並んでいる。机の上に真鍮の皿が二枚、測温の針が二本、小さな供給器が一台。バルドと、もう一人、袖をまくった若い男が机の向こうに立っていた。


「助手のニコだ。今日は二人で追試する」


 ニコは軽く頭を下げて、リディアの手順の紙を受け取った。紙をめくりながら、目盛りの読み方の行で指を止める。


「切り捨て。いいですね。去年これで揉めたんですよ」


 リディアは鞄からもう一つの封筒を出した。封をしてある。


「結果の予測です。追試が終わるまで開けないでください」


 バルドが眉を上げた。


「予測を先に見せない理由は」


「見ていると、針を読む時にそちらへ寄るかもしれません。私は結果が分かっていると思っています。でも、それが本当かどうかは、私の手を離れたところで確かめてほしいんです」


 バルドは封筒を受け取って、机の端の文鎮の下に置いた。


「では、あなたは見ているだけだ。皿にも供給器にも触れないように」


 リディアは壁際に下がった。


 ニコが手順の紙を読み上げ、バルドがそのとおりに皿を描く。誤った図と、直した図。墨を乾かし、測温の針を縁に当て、供給器の出力を一番低い目盛りに合わせる。


「供給、入れます」


 二枚の皿が淡い橙に灯った。


 ニコが声に出して数を数える。二十ごとにバルドが針を読み、ニコが帳面に書く。一度目の読みは二枚とも同じだった。二度目も同じだった。


 リディアは口を開きかけた。二度目までは差が出ない、熱が溜まるには間がいる。そう言いたかった。言えば、針を読むバルドの目が自分の言葉に寄る。唇を結んで、壁際に立ち続けた。


 三度目で、誤った図の針だけが一つ先の線を越えた。


 組んだ指が冷たかった。


 直した図の針は四度目の読みから先、同じ線の上で止まった。誤った図の針は止まらなかった。読むたびに線を一つずつ越え、六度目の読みで安全の上限の一つ手前に届いた。


「切ります」


 ニコが供給器を止めた。皿の灯りが消える。誤った図の皿だけが、縁にしばらく熱を残していた。


 バルドは帳面を見てから、文鎮の下の封筒を取って封を切った。


 紙にはリディアの字で二行だけ書いてある。直した図は三度目か四度目の読みから動かなくなる。誤った図は止まらず上がり続け、上限の手前で切ることになる。


 バルドは帳面と紙を並べて机に置いた。


「合っている」


 ニコが帳面を覗き込んで、それから壁際のリディアを見た。


「あなた、一度も皿に触ってないですよね」


「触っていません」


「じゃあ、あなた自身の魔力を使わなくても、この手順で同じ差が出たってことですね」


「では、もう一つの方だ」


 バルドが新しい皿を一枚、机の手前に置いた。


「直した図を描いて灯し、ニコが四十数えるあいだ保ってから、自分で止めなさい。今度は触っていい」


 リディアは筆を取った。教本の図どおりに三本の線を引き、真ん中の一本を皿の縁の外へ抜く。筆先が一度だけ震えて、ニコが線の端を覗き込んだ。はみ出してはいなかった。


 供給器を一番低い目盛りに合わせ、皿の縁に指先を当てる。魔力を少し添えると、線が橙に灯った。針がゆっくり上がる。上がりすぎる前に、指先の力を半分に絞った。針は一つの線の上で止まった。


 ニコの数える声だけが部屋に響く。四十まで、針は動かなかった。


 リディアは先に供給器の目盛りを零へ戻し、それから指を離した。灯りが薄れて消え、針がゆっくり下がっていく。


 バルドが帳面の二つの欄にそれぞれ書き込むのが見えた。


「代替課題の結果は審査に回す。通知は数日のうちに出る」


 リディアは頭を下げた。顔を上げた時、机の上の三枚の皿が目に入った。図を見た瞬間に見えていたものを、他人の手と自分の手で同じ形にするのに、十日かかった。


 次の行は分かったのに、分かる理由を説明する方が難しかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。