第八十二話 繋がっていない手
検査の手順は、北の奥で採った写しから作った。
一回目の起動を記した、揃った字の行。術者、通過した身体、魔力の貸し手。その三行のすぐ下に、短い項が一つ添えてあった。北では読み飛ばしていた項だった。
「これ、照合の項だと思う」
ユリウスが写しを指した。
「受け口が二つ。片方に、もう結ばれてると分かってる人が手を置く。もう片方の人も同じ術式に結ばれてたら、二つの受け口が同じ拍で応える。読むのは二人の仲じゃなくて、その人がこの術式の中にいるかどうか」
リディアは項の線を一本ずつ辿った。受け口が二つ、間をつなぐ線。その先に、細い線が一本だけ外へ出ている。
「身体へ流し込む線も、結びつきを書き込む線もありません。外へ出ているのは、応えたかどうかを器具へ伝える線だけです」
「うん。だから、これで測っても、測ったせいで結ばれることはない。それを最初に書いておく」
リディアは手順の頭に、そのことを書いた。
基盤の波を測る時の手順とは、別の頁にした。測るものが違う。
---
王女に頼んで、工房の標準器をもう一度借りた。
運ばれてきた朝、ニコが規格の写しを見ながら校正を引き受けた。何も置かずに三度、標準の試料を十回。針の勝手な揺れの幅を帳面に書き、目盛りを合わせ終えると、手を拭いて言った。
「器具の方は、これで大丈夫です。あとは、皆さんでどうぞ」
「ありがとうございます」
「何を測るのかは、聞かない方がいいんですよね」
「今は、まだ」
「じゃあ、聞きません。終わったら、針の癖がずれてないかだけ、また見に来ます」
ニコは資料庫へ出ていった。
研究室に残ったのは、三人だった。リディアとユリウスと、アレクシス。
標準器の横に、照合項を写した板を二枚置いた。一枚に一人ずつ手を当て、針が拍を拾うかどうかを見る。
「先に、何も置かずに測ります。それから、一人だけで」
空のまま、針は揺れの幅の中にいた。リディアが一人で板に手を当てても、ユリウスが一人で当てても、アレクシスが一人で当てても、同じだった。
「次に、結ばれていると分かっている二人で」
リディアは左の板に手を置いた。アレクシスが右の板に手を置いた。
針が動いた。
揺れの幅をはっきり越えて、一定の速さで振れる。二人の手が板から離れると、止まった。
「出た」
ユリウスが帳面に書いた。陽性の対照、リディアとアレクシス。応答あり。
「それから、ユリウスです」
ユリウスが右の板に、リディアが左の板に手を置いた。
針は動かなかった。揺れの幅の中にいた。
アレクシスとユリウスに替えても、同じだった。
「器具が止まっていないか、確かめます」
リディアはもう一度アレクシスと板に手を置いた。針は振れた。空にすると、戻った。
「器具は止まっていません。ただ、分かるのはそこまでです。弱い応えを拾えていないだけかどうかは、組と条件を変えて重ねて見ます」
---
初日を含めて四日、同じことを繰り返した。
左右の板を入れ替える。座る位置を入れ替える。朝と昼と夕方に測る。ユリウスを測る前と後には必ず二人の陽性の対照と、空の測定を挟む。
ユリウスの番の針は、一度も振れなかった。
四日目の夕方、ユリウスは帳面を閉じて、少し笑った。
「何十回やっても、僕だけ仲間外れだね」
「仲間外れではありません」
「分かってる。冗談」
リディアは判断の欄に書いた。
ユリウス・レインハルト。既知の結びつきのある二人のどちらと組んでも、応答なし。回帰術式の照合項が照らせる範囲で、結びつきなし。
その下に、限りを書いた。
この項が照らせるのは、回帰術式の結びつきだけ。ほかの術式との関わりは、この検査では分からない。
それから、もう一行。
アレクシスの記憶に、ユリウスの姿はない。それとは別の事実として、ここに記す。
「兄様は」
ユリウスが尋ねた。
「魔力の貸し手として、記録に名前がある。測るなら、本人に頼む」
「本人に頼みます。こちらで決めて、呼びつけることはしません」
リディアは手紙の書き出しだけを帳面の端に書いた。ユリウスは四日分の測定の帳面を抱えて、資料庫の鍵付きの棚へ収めに出ていった。
---
標準器の針を止め、板を布で包んでから、アレクシスが言った。
「器具の置き方を、図にしておく」
「配置図ですか」
「追試をするなら、同じ間隔で置かないと、同じ値にならないだろう」
アレクシスは紙を一枚取って、作業台の上に定規を当てた。四角を一つ描き、その横にもう一つ、さらに二つ並べた。
リディアは横から覗き込んだ。
「全部、四角ですね」
「器具だ」
「どれが、どの器具ですか」
アレクシスは手を止めた。四角を順に指していく。
「これが標準器。これが左の板。これが右の板。これが記録の台」
それから、作業台の上の本物の器具の間に指を置いた。
「標準器から左の板まで、指四本。左と右の板の間は、手のひら一つと少し。椅子はここで、背もたれから台の縁まで、腕の長さより少し短い」
リディアは驚いた。四日間、何度も座る位置を入れ替えた。間隔を測った覚えはない。
「いつ測ったんですか」
「測ってはいない。見ていた」
「なら、今測りましょう」
リディアは定規を取った。彼が指で示した位置に器具を置き直し、二人で間隔を測って、目盛りの数を図に書き込んだ。四日間の配置を記録していなかったことも、図の隅に正直に書いた。
それから、ペンで四角の中に名前を書き足した。標準器。照合項の板、左。同、右。記録台。それぞれの横に、校正の条件と、針の揺れの幅。
書いているうちに、注記が四角からはみ出した。次の四角の名前にかかりそうになって、字を小さくした。
アレクシスが図を覗き込んだ。
「詰めすぎだ」
「全部、要ることです」
「次に読む人が、どこを読めばいいか分からなくなる。余白も要る」
リディアはむっとしかけて、図を見直した。四角の間に、字がぎっしり並んでいる。確かに、どこから読めばいいのか分からなかった。
「……紙を足します」
「そうしよう」
アレクシスは新しい紙を一枚、図の右に揃えて置いた。リディアは糊を取ってきた。二人で端を押さえて継ぎ足すと、図は横に長くなった。注記を新しい紙へ移すと、四角の間に、ちゃんと隙間ができた。
継ぎ目が少し曲がっていた。
「曲がっています」
「君が押さえた方だ」
「あなたが紙を置いた方です」
言い合っているうちに、リディアは笑い出していた。アレクシスも、拳で口元を隠しかけて、隠しきれずに笑った。
戻ってきたユリウスが、横長の図を受け取った。四角と注記と、曲がった継ぎ目を眺めて、頷いた。
「これなら、僕じゃない人でも同じに置ける。追試用に、写しを作っておくよ」
リディアは作業台の上を見た。照合項の板が二枚、布に包まれて並んでいる。
さっきまで、そこに三人の手が交互に置かれていた。
同じ研究机に、繋がっている手と繋がっていない手がある。
お読みいただきありがとうございます!
「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク・評価・リアクションをいただけると嬉しいです。
Xでも更新情報などを発信しています。
よろしければこちらもフォローいただけると嬉しいです!
https://x.com/st_shosetsu




