第七十九話 調べた遺跡の正体
作業台の上に、三つの遺跡の採録が並んでいた。
北の入口と奥。東の壁の一区画。地下の遺構の拓本。どれも、これまでに自分たちで採ったものだった。ユリウスはその横に、院の資料庫から借りてきた古い年代表を広げた。
古代文明の遺跡。院の講義ではそう教わってきた。千年より前に栄えて滅びた人々が、地下と各地の壁に術式を刻んだ。層が重なっているのは、長い年月のあいだに時代ごとの書き手が上から刻み足したからだ。年代表は、層の数と溝の摩耗から、北の遺跡に七つの時代を割り当てていた。
「全部、並べ直すよ」
ユリウスが言った。声がいつもより平らだった。
「まず、普通に古いもの。北の入口の、元からある術式。東の壁の下の方。地下の遺構の、水を引く式。この三つは溝の縁がすっかり丸くなってて、苔の根の跡もある。筆の癖も、僕らの知ってるどの手とも違う。上の層よりずっと古いのは確か。何年前かまでは、今回は確かめてない」
リディアは頷き、帳面の左の欄に書いた。通常の古さ。年代の数字は未検証。
「次。その上に重なってる層」
ユリウスは北と東の採録を指した。
「層分離で分けた層のうち、円と三本の線の署名がある層。北の奥の層一から層三。東の壁で何度も書き直してた五本の線。年代表では、これが三つか四つの時代に分けてある。摩耗の差が大きいから」
この数日で、東の五本の線の端の署名も照らした。交わりが読めたところは、どれも真ん中の線が最後だった。地下の方は拓本しかなく、紙の上では溝の重なりが分からない。形が同じだとしか言えなかった。
「北と東は、手は一つです。地下は、まだ形だけ」
「うん。同じ手が、年代表で何百年分とされる摩耗の差をまたいでる。場所が違えば石も風の当たり方も違うから、北の奥の、同じ壁の同じ高さの中だけで比べ直した。それでも差は残った」
リディアは右の欄に書いた。同じ書き手の層。別の書き手の時代という割り当ては、見直しが要る。
それから、少しだけ迷って、別の頁にもう一行足した。北の奥の記録と合わせれば、回帰を越えて残った蓄積と考えられる。これは公にしない、私たちの判断として書く。
ユリウスは年代表の上に手を置いた。
「……悔しいな」
小さな声だった。
「この表、僕が院に入って最初に丸写ししたやつなんだ。七つの時代。ちゃんと覚えた。誰も疑ってなかった。僕も」
「間違っているのは、表の全部ではありません」
「分かってる。下の方が古いのは変わらない。でも、上の方を時代ごとの別の人だと思って読んでた。書き損じを、時代の違う書き方だと思ってた。その上に、何本も論文が乗ってる。僕が去年出した報告も、一本はその上だ」
ユリウスはしばらく表を見ていた。それから、ペンを取った。
「直すなら、ちゃんと直したい。黙ってたら、次の人が同じ表を丸写しする」
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昼の鐘のあと、バルドが研究室に来た。
リディアとユリウスは、作業台の上を片づけておいた。北の奥の層の写しは、許可の範囲で採ったものだけを出した。自分の手の文と、揃った字の行の中身は、別の封筒に入れて鞄に戻してある。
「年代表の上の層について、ご相談があります」
ユリウスが説明した。層分離で分けた層の摩耗。同じ筆の癖が、年代表で別の時代とされる層をまたいでいること。癖の照合の手順と、測った深さの控え。
バルドは最後まで黙って聞いていた。それから、写しの一枚を持ち上げて、窓の光に透かした。
「同じ手の層が、年代表で三つの時代にまたがっている。それは確かめた手順で言えるのですね」
「言えます。照合の項目は先に決めて伏せてから見ました。立会いの帳面もあります」
「では、年代表の上の層の割り当ては、見直さなければならない」
「はい」
「論文に書き手のことをどう書くかも、決めておく必要があります。この前、北の入口の記録の書き手は自分だと考えている、とあなたは言いましたね」
「はい。今も、そう考えています」
リディアは答えた。
「でも、それを公にするかどうかは別に決めます。北の奥の資料の開示の審査が済むまで、論文には書き手の名を入れません。今日お願いしたいのは、年代の割り当てを見直すことと、それを確かめる手順を公にする準備です」
バルドは少しのあいだ、リディアの顔を見ていた。それから、写しを台に戻した。
「分かりました。では、手順の方から伺います」
ユリウスが紙を一枚出した。
「訂正を出す前に、使った原資料の開示範囲を、院と管理側の両方に審査してもらいたいんです。北の奥の層は管理側の許可で採ったものなので、勝手には出せません。審査で出せると言われた範囲だけで、訂正の論文を書きます。出せない部分は、出せないと書きます」
「名義は」
「僕と、エルフォードの共同で」
ユリウスはリディアを見た。
「いいかな。年代表を直すのは僕の仕事だけど、層を分けて照合したのは二人だから」
「共同の名で出しましょう」
リディアは言った。
「ただ、私の個人的な記録は入れません。訂正に要るのは、層と摩耗と照合の手順だけです」
バルドは紙を受け取り、監督者の欄に署名した。
「審査の請求は、私から院の窓口へ回します。管理側へは、許可を取った時と同じ経路で。急ぐ話ではありませんね」
「急ぎません。間違えて出す方が困ります」
ユリウスが言い、バルドは小さく頷いた。
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バルドが出ていったあと、リディアは帳面の二つの欄を見下ろした。
「ねえ」
ユリウスが言った。
「北と東で、こうだった。じゃあ、ほかの遺跡は? 国の外の遺跡は?」
「調べていません」
リディアは右の欄の下に線を引いた。
「今言えるのは、私たちが採った北と東の、署名のある層までです。古代の文明がなかったことにもなりません」
「だよね。言いすぎたら、今度はこっちが年代表と同じことになる」
リディアは請求の書式を一枚取った。宛先は王女。王家の観測記録のうち、遺跡の層と照らし合わせられる範囲の閲覧を願う。目的、年代推定の訂正に伴う検証。
書きながら、手が一度止まった。
署名のある層は、自分が何度も戻るあいだに積み重なった。その遺跡の壁は、なぜ戻らずに残っているのか。
壁に積もっていたのは、文明の年月とは限らなかった。




