↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二度目の人生では、公爵様と結婚しません ~前世の夫が、なぜか今度は私を守ろうとします~  作者: かなりあ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
77/100

第七十七話 過去を知る権利

 遺跡の外の休憩所は、崩れた見張り小屋の跡に、騎士が幕を張っただけのものだった。


 日が傾きはじめていた。採った写しの束は、ユリウスが油紙で包んで鞄に入れた。兄は少し離れた石に腰を下ろし、ユリウスがその横で水を勧めている。二人とも、こちらには来なかった。


 リディアは幕の下の木箱に座って、膝の上の帳面を開かずにいた。


 アレクシスが、隣の箱に腰を下ろした。手袋は、もうはめ直してあった。


「一つ、聞いてもいいですか」


「ああ」


「私が始めたことを、あなたはどこまで知っていましたか」


 アレクシスはすぐには答えなかった。膝の上で手を組み、幕の外の地面を見ていた。


「分けて言う」


 いつもの言い方だった。


「前の君から聞いたことがある。これは自分が始めたことだから、と君は言った。委ねられた場面の、少し前だったと思う。何を始めたのかは、言わなかった。俺も聞かなかった。聞けば、君が答えなければならなくなると思った」


「それだけですか」


「それだけだ。ほかは、今日、君が読んだから知った」


 リディアは帳面の表紙を指でなぞった。


「傷のことも」


「理由は知らなかった。いつからあるのかも。覚えている限り、ずっとあった」


---


 風が幕を揺らした。


 リディアは言った。


「怖いことが、一つあります」


 アレクシスがこちらを向いた。


「前の十年、私はあなたに冷たかったと思います。期待しないようにしていました。何を言われても、どうせ、と思っていた。早く諦めることが、上手でした」


 言葉が、思っていたより平らに出てきた。


「それが、私の性格だと思っていました。でも、今日読んだ私は、あなたが死ぬのを何度も見て、見ていられなくなった人です。もし、あの冷たさも、諦めの早さも、ずっと前の私の疲れが残っていただけなら」


 そこで、続きが出なくなった。


 なら、今の自分は、どこからが自分なのだろう。


 彼を選ばないと決めたことも。研究に戻ると決めたことも。この人の手首の傷を指で辿ったことも。


 アレクシスは、違う、とは言わなかった。


「前の君がどうだったか、俺は全部は知らない」


 彼は言った。


「だから、借り物かどうかを、俺が決めることはできない。俺に言えるのは、今の君を見ていたことだけだ」


「今の私」


「俺の書いた紙の、分からないと書いた欄を、埋めずに空けたままにした。比べた結果を話す時も、弱い根拠は弱いと言った」


 リディアは顔を上げた。


「君の兄に、交換にはしないと言った。知っている危険を全部聞いてから、自分で決めると言った。昨日は、読みたかったはずの行の前で、先に層の順を書いた。君の兄が膝をついた時、例外にしないと言って、全員を外へ出した」


 アレクシスは一つずつ、ゆっくり挙げた。どれも、自分が覚えている順番だった。


「それをしたのが前の君の疲れなのか、俺には分からない。ただ、俺が見ていたのは、どれも、決める前に確かめる人だった。早く諦める人には、見えなかった」


 リディアは何も言えなかった。


 胸の奥の怖さは、消えなかった。彼の言葉は聞こえていた。一つずつ、覚えのあることだった。それでも、それが自分のものだと言い切れる根拠にはまだならなかった。


「ありがとうございます」


 それだけ言った。


「でも、まだ怖いです」


「分かっている」


 アレクシスは、それ以上言わなかった。組んでいた手をほどき、膝の上に置いた。リディアの手の、指一本分だけ手前だった。


---


 リディアは帳面を開いた。


 採録した頁のあとに、白い頁が続いている。自分の気持ちも、書き分ければ少しは見えるかもしれない。事実と、推測と、分からないこと。冊子ではいつもそうしてきた。


 頁の上に書いた。


 気持ち。


 その下に、ペン先を置いた。


 何も出てこなかった。怖い、と書けば済むのかもしれない。けれど、何が怖いのかを書こうとすると、借り物、という字が先に浮かんで、ペンが止まる。止まったところに書くことが、本当に今の自分の言葉なのかも、分からなかった。


 インクが、紙の上で小さく滲んだ。


 リディアはペンを上げた。


 見出しだけの頁をしばらく見下ろした。それから、頁を戻した。


 採録済みの最後の頁。層二の注記の、まだ読んでいない続きの位置を写しの番号で書き留めてある。戻った人生の、確保の事件より後のこと。


「少し休んでから、次の記録を調べたいです」


 リディアは言った。


「今日の続きを。院へ戻ってから、写しで」


 アレクシスは頷いた。


「付き合う」


「はい」


 リディアは頁の端に、小さな印を付けた。


 幕の外で、ユリウスが兄に何か言い、兄が短く答えるのが聞こえた。日はまた少し傾いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。