↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二度目の人生では、公爵様と結婚しません ~前世の夫が、なぜか今度は私を守ろうとします~  作者: かなりあ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
76/100

第七十六話 最初の人生

 翌朝、兄は自分から石段の下へ降りてきた。


 一晩、夢は見なかったと言った。顔色は昨日の昼より戻っていた。リディアは兄の手首で脈を数え、ユリウスとアレクシスとギルベルトに順に尋ねた。誰も反対しなかった。兄はもう一度、同じことが起きたら入口の外に残ると言い、それを全員が聞いた。


 四人は、また奥へ入った。


---


 ユリウスは層二と層三の境から始めた。


 待ちの拍を昨日より長く取ると、板の上で二つの層が離れた。層二の短い書き込みが、層三の行を斜めに断っている。逆はなかった。


「層三が先。層二が後。ここは迷わない」


 リディアは帳面に書いてから、層三を見た。


 二つの種類の字が、同じ層に並んでいる。片方は自分の手だった。人を指す字の省き、三本目の寝た線。署名の印は、文の終わりごとにあった。


 もう片方には手の癖がなかった。字の大きさも間も、定規で測ったように揃っている。どの行にも署名はない。行の頭に、同じ一語が繰り返し刻まれていた。


 リディアはその一語を読んだ。


「回帰術式」


 声に出してから、喉が少し乾いた。


 揃った字の行は、上から順に、起きたことを短く記していた。術者。通過した身体。魔力の貸し手。起動。その最初の行より上には何もなかった。前の起動を指す行もない。


「これが、一回目の起動の記録です」


「人の書いた字じゃないね」


 ユリウスが板を見ながら言った。


「術式が自分で残した記録だと思う。書き手の癖が一つもない」


「隣の文は、私の手です」


 リディアは自分の手の行へ灯りを寄せてもらった。最初の一行を読む。


 戻ってきてから、書く。忘れないうちに。


---


 その文は、戻ったあとに、戻る前の人生を振り返って書いたものだった。


 初めのほうは、研究のことばかりだった。古い術式の一つの字の読みで、あの人と言い合った。あの人はそれを数の字だと言い、私は違うと言った。その日は決着がつかなかった。あの人は帰りに、また明日と言った。


 あの人。名は書いていない。けれど、何行か先に、公爵家の紋の形が小さく描き添えてあった。


 リディアは読みながら、ペンを動かせなかった。


 知らない研究室で、知らない自分が、彼と字の読み方で言い合っている。また明日、と言われて、それを書き残している。


「覚えていますか」


 リディアが尋ねると、アレクシスは灯りを掲げたまま、首を横に振った。


「覚えていない。初めて聞く」


 リディアはそのとおりに書いた。日常の記述。彼の記憶、なし。今回の読解で初めて知る。


---


 文の後半で、字が急に乱れた。


 確保の術式が、私を捕らえようとした。あの人が前に出た。最後の出力が、あの人の左の手首から入った。


 リディアは読む声を落とした。


 あの人はその夜、息が浅くなっていった。手首に、術式の跡が刻まれていた。


 文の脇に、図が一つ描かれていた。手首を内から見た形と、そこに走る細い線。短い線が三本、斜めに並び、一本だけ途中で折れている。


 揃った字の行にも、同じ場所が記されていた。通過した身体。左の手首。刻印。


 リディアはアレクシスを見た。


 アレクシスは、灯りをユリウスに預けた。左の手袋を外し、袖を少し上げて、手首の内側を灯りの下に出した。


 白く引きつれた痕だった。夜会で、手袋の縁からのぞいたもの。


 細い線が三本、斜めに並んでいる。一本だけ、途中で折れていた。


「触れても、いいですか」


「いい」


 リディアは指先で、痕の端を辿った。少しだけ盛り上がった皮膚が、図のとおりに折れていた。脈が指の下で打っていた。


「同じです」


 指を離すと、アレクシスは袖を下ろした。手袋はまだはめなかった。


「この傷は、俺の覚えている周より前からあった」


 彼は静かに言った。


「理由は、知らなかった」


---


 その先の行をリディアは一字ずつ読んだ。


 あの人が死ぬのを、受け入れられなかった。私は回帰術式を起動した。兄様が、魔力を貸してくれた。


 揃った字の行が、同じことを記していた。術者、リディア・エルフォード。通過した身体、アレクシス・ヴァルディエ。魔力の貸し手、セドリック・エルフォード。


 壁際で、兄が小さく息を吸う音がした。


 リディアは振り向いた。兄は膝をついてはいなかった。壁に背を預け、自分の名の行を見上げていた。


「兄様」


「大丈夫だ」


 兄は短く言った。


「覚えていない。それだけだ」


 揃った字の、その次の行には通過した身体の死が記されていた。そのあとに、一語が足されている。保留。


---


 その続きは、層二の注記にあった。層三の文と同じ手で、少しあとに書かれたものだった。


 戻った人生で、同じ確保の事件が来た。


 前の時、出力はあの人の手首から入った。だから今度は、院で習った防護の式を手首からの流れに合わせて組んでおいた。


 確保の術式は、前と同じように前に出たあの人を捕らえた。最後の出力も、前と同じように放たれた。防護が、身体へ入る流れを遮った。出力が尽きて、術式が止まるまで防護はもった。


 防護の余力は、そこで尽きた。あの人は腕を焼かれた。けれど、生きていた。


 その下に、揃った字の行が一つ並んでいた。保留の負担、通過した身体から術者へ。


 リディアは指で、文の行を上から辿った。


 発動。出力が尽きる。生きている。


 それから、層三の文へ指を戻した。


 発動。出力が手首から入る。死ぬ。


 同じ事件だった。違うのは、出力が尽きた時に、彼が生きていたかどうかだった。


「もう一つ、分けて読みます」


 リディアは帳面に二つの欄を作った。


 一つは、自分の文が書いている救い方。防護を組んだこと、出力が尽きるまでもったこと、余力が尽きたこと。


 もう一つは、揃った字の行が書いている移動。保留の負担が、彼から術者へ移ったこと。


「戻った直後の行では、負担はまだ彼に付いています」


 リディアは揃った字の、起動のあとの保留の行を指した。


「戻っただけでは、移っていない。移ったのは、この事件のあとです」


 ユリウスが頷き、自分の帳面にも同じ二つの欄を作った。


 注記の終わりに、自分の字で一行があった。


 あの人に残っていた死が、私に移った。保留された死、と呼ぶことにする。


---


 リディアは帳面を閉じなかった。


 最後に書いた行を見下ろした。術者、リディア・エルフォード。


 彼を救うために戻したのは、兄でも、彼でもなかった。研究室で彼と言い合い、また明日と言われた自分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。