第七十四話 記録の奥へ
北の遺跡の入口に着いたのは、日がまだ低いうちだった。
先に来ていたローランの隊が、崩れた石段の脇に荷を下ろしていた。ローランは馬を降りたアレクシスに短く報告し、それからリディアに軽く頭を下げた。
「エルフォード嬢。退路の目印は、昨日のうちに打っておきました。入口から分かれ道まで、十歩ごとに一つ」
「ありがとうございます」
ギルベルトが灯りの油を確かめ、入口に残る騎士の交代の刻をもう一度だけ口に出した。
兄は外套の前を留めたまま、石段の上の暗がりを見ていた。懐から許可の書面を出し、管理側の欄の署名と印を自分の目で確かめてから、また懐に戻した。
「外の線を止めてくる。お前たちは、ここで待て」
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入口から奥へ進んだ分かれ道の先で、通路の壁に後から足された線が走っている。北の調査の時、リディアが読みかけると光った線だった。
兄は線の端に、薄い金属の札を当てた。札には円に番号の印が打ってある。指を当てて何かを短く唱えると、線の奥でかすかに灯っていた色が、一つずつ沈んでいった。
リディアは分かれ道の手前から、それを見ていた。近づく前に止める。そう決めたのは自分たちだった。
「止めた」
兄が戻ってきて言った。
「動いているのは、外の新しい系統だけだった。奥の古い記録は別の系統だ。そちらには触れていない」
「作動の表示を、確かめてもいいですか」
「確かめろ」
アレクシスが先に通路へ入り、壁から一歩離れて灯りを掲げた。リディアはその後ろから、線の端を見た。色は戻らない。読み上げずに目で追うだけにして、三つ数えるあいだ待った。何も光らなかった。
ギルベルトが退路の目印を一つずつ辿り、戻ってきて頷いた。
リディアは帳面に、休止の確認を書いた。それから一行足した。止めたのは、この遺跡の線だけ。ほかの決まりは、何も変わっていない。
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奥への通路は、アレクシスが前を歩いた。崩れやすい二か所ではギルベルトが騎士を一人ずつ立たせ、四人が通り抜けるまで動かさなかった。
石が落ちる音は、一度もしなかった。
通路の突き当たりに、低い戸口があった。アレクシスはその前で足を止めた。
「ここまでは、来たことがある」
灯りを戸口の中へ向けたまま、彼は言った。
「中は、知らない」
それから、先に一歩入った。光る線のある場所では、君より先に入る。客間で言ったとおりだった。
中は、思っていたより狭い部屋だった。四方の壁と天井の一部まで文字が刻まれている。床には何もない。
リディアは戸口の内側で、しばらく動かなかった。
壁の文字は、入口の近くで見たものと同じ運びだった。人を指す字の二画目を省いて、次へ流す。署名の円と三本の線は、三本目がわずかに寝ている。
自分の字に見えた。
正面の壁のいちばん上に、一行がある。入口の、欠けた一行と同じ字で始まっていた。リディアは灯りの下へ寄り、二つ目の字を目で追いかけた。
「待って」
ユリウスの声だった。
リディアは足を止めた。
「同じ高さに見えるけど、溝の深さが揃ってない。手前と奥で、二つ重なってる。読む前に、分けさせて」
ユリウスは鞄から板を出し、壁から半歩離れたところに据えた。東で決めた手順のとおりに、出力を一目盛りずつ上げていく。待ちの拍を声に出して数える。
一つ目は、すぐに浮かんだ。板の上に、手前の溝だけが写る。
二つ目は、待ちを延ばしても出なかった。ユリウスは出力を戻し、角度を少し変えて、もう一度数えた。
三十拍を過ぎたところで、板の上に別の線が現れた。
手前の行の下に、隠れていた行があった。一行ではない。壁一面に、手前の文字と交わりながら、もっと細かい字が並んでいる。
リディアは息を詰めた。
灯りが揺れた。板と壁の両方を見ようとして、リディアとユリウスの頭がぶつかりかけた。
アレクシスが灯りを持ち替えた。壁には触れず、肩の高さから少し斜めに掲げる。手前の溝に影が落ちて、下の細かい字が浮き上がった。板の上と壁の上で、同じ行が同じように見えた。
「これでいいか」
「はい。そのままで」
ユリウスが板の目盛りを確かめ、短く言った。
「助かる」
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リディアは帳面を開いた。
細かい字の一行目に、目が吸い寄せられた。手前の行と同じ手。けれど、もっと急いで書いたような運びだった。読めば、何かが分かる。そう思った。
リディアはペンを置き直した。
「先に、順番を書きます。中身は、そのあとで」
ユリウスが顔を上げた。
「順番?」
「どちらが先に刻まれて、どちらが後か。どこが書き直されているか。読んでから順番を決めたら、読んだ中身に合わせて並べてしまうかもしれません」
ユリウスは少し笑った。
「君らしい」
二人は交わりを一つずつ見ていった。手前の溝が、奥の細かい溝を断ち切っている。逆はない。手前の行は後から刻まれ、奥の字はそれより前からあった。
奥の層も、一枚ではなかった。上の方は手前の行と同じ手で、短い書き込みが並んでいる。注記のように見えた。下の方は字の大きさが揃っていて、線が規則正しい。署名の円と三本の線は、下の方にもあった。ただ、角の印の三本目は、上の方より少しだけ立っている。
リディアは書いた。
層一。手前の一行。入口の欠けた一行と同じ字で始まる。
層二。同じ書き手の、後の書き込み。注記。
層三。もっと古い。字の揃った記録と、同じ書き手の文。
改変の跡。層一は層二を断つ。層二と層三の境は、まだ見ていない。
書き終えて、リディアは壁を見上げた。
覚えていて、と彼に頼んだ声が、この正面の行に欠けずに刻まれているのかもしれない。
その下に、まだ読んでいない字が、壁一面に並んでいた。




