第七十三話 最深部へ行く
翌日の昼過ぎ、伯爵邸の客間の卓に、北の遺跡の図が広げられた。
入口から奥の通路、崩れやすい二か所、後から足された線の位置。アレクシスが書いた二枚の紙と、ユリウスの北の採録を重ねて、リディアが一枚に写し直したものだった。知らない場所は、斜線で塗ってある。
卓を囲んだのは、リディアとアレクシス、ユリウス、バルド。壁際にギルベルトが立っている。兄は、まだ来ていなかった。
「先に、誰がどこまで行くかを決めます」
リディアは図の上に指を置いた。
「奥へ入るのは、私と、公爵と、ユリウス。兄様が来るなら、兄様も。ギルベルトさんと騎士団の方は、入口と退路に残ってください。室長は院で書類を受けてください。現地には行きません」
バルドが頷いた。
「書類の方は引き受けます。院の審査は、今日の午後に回せます」
「それから、引き返す条件です」
リディアは図の中ほど、後から足された線の手前の分かれ道に印をつけた。
「一つ。線が光ったら、読むのをやめて、この分かれ道まで下がります。読みかけでも下がります。二つ。崩れやすい二か所で石が一つでも落ちたら、入口まで引き返します。三つ。誰か一人でも具合が悪くなったら、全員で入口の外まで戻ります。私でも、ほかの人でも。その日は、もう入りません。もう一度入るかどうかは、その人が休んで、全員がいいと言ってから決めます」
ユリウスが帳面に書き写した。
「それと、やめようと言うのは、誰でもいいです。私の返事を待たなくていい」
アレクシスが頷いた。
「前は俺が歩く。光る線のある場所では、君より先に入る。誰かが倒れたら、俺が運ぶ」
「もし、私が倒れて答えられなくなったら」
リディアは壁際を見た。
「ギルベルトさん。指示書の例外の行のとおりにしてください。今、危ない時は、私を退かせて、説明はあとで。退いたあとのことは、起きてから私と決めてください」
ギルベルトは一歩前へ出て、短く頭を下げた。
「承知しました。それ以外の時は、エルフォード様のご指示をお待ちします」
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兄が着いたのは、それから少しあとだった。
外套を脱ぎながら卓の上の図を見て、集まった顔を順に見て、最後に妹を見た。
「北の奥へ行くそうだな」
「はい。兄様に伺いたいことがあります」
リディアは鞄から、兄に借りた北の写しの束を出した。表紙の裏の、円に番号の管理印。
「この写しが、王家の預かりの零号室から来たことは、前に伺いました。今日伺いたいのは、その先です。北の奥へ入るのに、誰の許可が要りますか。管理官の確認は、まだ日が決まっていないと聞いています。兄様は、そのうちのどこまでを承認できますか」
兄は束を見下ろした。
「管理官の確認は、零号室の受付を通る。受付から管理官へ回すのは、私の仕事の内だ。今日のうちに回して、今日のうちに返事をもらう。現場の管理の権限も、私にある。外の新しい線を、近づく前に止めることもできる」
それから、兄は続けた。
「奥へ行くなら、私も行く」
リディアは兄の顔を見た。
路地の翌朝、兄は零号室のことを話せないと言った。研究室と家の往復だけにしろと言った。その兄が、今日は自分から行くと言っている。
「条件があります」
リディアは言った。
「兄様が同行するなら、許可の範囲の資料は、私たちも閲覧させてください。採った記録は、院と兄様の側で同じ写しを一部ずつ持ちます。どちらかだけが持つ記録は作りません」
兄は少し考えてから、頷いた。
「それでいい」
「なぜ、来てくださるんですか」
兄は答えるまでに、少し間を置いた。
「お前があの奥のいちばん古い記録を読めば、自分の状態が分かるはずだ。分かれば、管理を受け入れる気になるだろう。お前のためだ」
客間の空気が、少しだけ固くなった。アレクシスは何も言わなかったが、卓の上の手が動かなくなった。
リディアは兄の目を見たまま言った。
「読むことには協力してください。でも、読んだあとで何を受け入れるかは、私が決めます。交換にはしません」
兄は妹の顔を見ていた。それから、目を伏せた。
「……分かった。今日は、記録のことだけにする」
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許可の書面は、兄とバルドが文案を作った。
リディアは一行ずつ読み上げて、全員の前で確かめた。目的、同行者、立ち入る範囲、写しの扱い、持ち出し。
最後の行で、リディアは読むのを止めた。
「一つ、足してください。この許可は、記録を読むための許可です。私の身体に何かをする許可は、含みません」
兄はペンを取って、その一行を自分の手で書き足した。本人の身体への操作は、本許可に含まない。
バルドはその書面を持って院へ戻り、兄は零号室の受付へ向かった。
夕の鐘のあと、二通の返書が伯爵邸に届いた。院の審査は、名簿と範囲を付して可。管理側は、兄の現場管理の権限の下で可。後者の末尾には管理官の署名と、円に番号の印があった。
アレクシスはその場で、指示書の控えを出した。北門外への同行は当面停止、再開は本人と協議して決める、と書いた行の横に、一行を足した。本日、本人と協議のうえ、許可の範囲で再開。
リディアはその行を読んで、自分の控えにも同じ一行を書き写してもらった。
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出発は二日後の朝と決まった。灯りの油は、三日分。入口に置く騎士の数と、交代の時刻。ギルベルトとアレクシスが、短い言葉で確かめ合っている。
リディアは図をもう一度広げた。
斜線の部分は、何も書かれないまま残っていた。知らない場所。行けば、何かが書き込まれる。
リディアは斜線の端に、二日後の日付を書いた。




