第六話 止めてください
王立魔導院の正門の前には朝の鐘のあとから受験者の列ができていた。
石造りの門柱の上に王家の紋と院の紋が並んで彫られている。列の先では院の職員が名簿を広げ、一人ずつ名を聞いて通していた。若い男が多い。令嬢らしい姿はリディアのほかに二人しか見えなかった。
門の内側では黒い制服の騎士たちが両脇に並び、受験者の流れを見渡せる石段の上にもう一人立っていた。肩章の形で指揮をとる者だと分かる。誰なのかは、肩章を見る前から見当がついていた。
リディアは名簿の職員に名を告げて門をくぐった。石段の前を通る時も、足を速めも緩めもしなかった。石段の上の黒い制服は動かなかった。リディアは一度も見上げなかった。
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筆記の会場は長机の並んだ広い部屋で、窓が高かった。
古代文字の問いは遺跡の壁の写しから取られていた。短い術式の図を一つ示し、その中の一本の線が何の項かを答えさせる。線の折れ方から術式全体の流れを説明させる。
一問目は書庫で読んだ井戸の術式に似ていた。リディアは答えを書き、その下に根拠を書いた。三本の線のうち一本だけが外へ折れていること、その先に止めの印がないこと。
四問目で手が止まった。
図は見たことのない形だった。それなのに、線を追う前に答えが来た。この輪は風を溜める項だ。どこから来たのかは分からない。
答えだけなら書ける。けれど要項には、根拠の記述を見ると書いてあった。兄にも言われている。根拠を書けないなら、読めたことにするな。
リディアは図をもう一度、入口の線から順に追った。輪の手前で線が二つに分かれ、片方が輪を回って戻ってくる。戻った線が入口より太い。だから溜めている。根拠を書き終えてから答えを書いた。来た答えと同じだった。
周りでペンの音が途切れ始めた頃、窓から差す光の角が机一つ分動いていた。
昼の休憩のあと、実技の前に魔力量を測られた。
試験官の前の台に手のひらほどの白い石が据えてある。受験者は一人ずつ石に手を置き、試験官が光り方を見て帳面に書き込む。リディアの前の青年が手を置くと、石は部屋の隅まで白く照らした。
リディアが手を置くと、石の芯が淡く灯った。
試験官は帳面に書き込みながら、「並」とだけ告げた。
前世で測ったことはない。測る機会がなかった。読めることと、力が強いことは別なのだと、リディアは灯ったままの石を見ながら思った。
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実技は演習場で行われた。
石の床に受験者の机が一列に並び、それぞれに真鍮の小皿と細筆が置いてある。床下からは試験場の主供給が来ていて、皿に術式を描いて自分の魔力を少し添えれば、主供給の力が術式に流れる。描いて、灯して、熱を一定に保つ。保温の術式だった。
試験官が標準の術式図を一枚ずつ配っていく。
リディアは図を受け取って、線を目で追った。
入口から入った力が三本に分かれ、真ん中の一本が熱を外へ逃がす。逃がす先が、入口の手前で元の線へつながっていた。
逃がした熱が、入口に戻る。
書き写しの誤りだと思った。教本の図を写す時に、一本の行き先を隣の線と取り違えたのだ。この形のまま灯せば、熱は出ていくたびに入口へ戻り、少しずつ溜まっていく。
リディアは手を挙げた。
近づいてきた試験官に図の一か所を指さして見せる。
「この線の行き先が違うと思います。熱を逃がす線が入口に戻っています」
試験官は図を見て、首を振った。
「標準図だ。毎年同じ図を使っている。描き写して始めなさい」
「でも、このままでは熱が」
「始めなさい。異常があれば、そのとき申し出るように」
試験官は次の机へ移った。毎年同じ図、と言った。毎年本当に同じなら、誰かが気づいているはずだ。今年だけ写し違えたのかもしれない。それを確かめる手段は、リディアの机の上にはなかった。
開始の合図が出た。周りの受験者が一斉に筆を動かす。
リディアは図どおりに描いた。描いて、指先で皿の縁に触れ、ほんの少しだけ魔力を添えた。皿の上の線が橙に灯る。熱が手のひらに伝わってくる。ここまでは正しい。
隣の机で、さっき石を部屋の隅まで照らした青年が皿に手をかざしていた。灯りの色がリディアの皿より濃い。
濃くなっていく。
橙が黄に変わり、皿の縁から薄い煙が上がった。青年は眉を寄せ、「強すぎたか」と呟いて、かざした手を少し引いた。それでも黄色は薄れなかった。
戻ってきた熱に彼の魔力が上乗せされている。止めなければ、溜まった熱は皿の外へ出る場所を探す。
リディアは自分の皿から指を離した。
橙が一段暗くなった。消えはしない。床下の主供給がまだ術式に流れている。実技の採点は、受験者が自分の魔力で灯りを整え、最後まで保つことだった。指を離した時点で、リディアの実技は終わった。
「手を離して!」
青年が振り向いた。
「真ん中の線の先が入口に戻ってる。あなたの皿は熱が抜けていないの。手を離して」
青年がようやく手を引いた。皿の黄色は薄れなかった。添えた魔力が切れても、溜まった熱に床下からの主供給が流れ続けている。リディアの皿の橙も、暗いまま消えない。こちらにも少しずつ熱が戻っているはずだった。
リディアは床を見た。主供給の口は机の脚の間にある。止め方は見れば分かった。けれど要項の一行を覚えていた。受験者が試験場の供給を止めてはならない。止められるのは主任だけだ。
「試験主任!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
「止めてください。この図の誤りで熱が溜まっています。主供給を止めてください」
壇の上の白髪の男がこちらを見た。試験主任だった。皿を一目見て、その目が配られた図の上へ落ちる。主任は図を手に取って線を指でたどり、指が入口の手前で止まった。
主任は壇の脇の銀の棒を引き下ろした。
床下の唸りが止んだ。演習場じゅうの皿の灯りが一斉に消え、隣の青年の皿だけが、赤い残り火を縁に溜めたまましばらく燻った。
「全員、机から離れて壁際へ」
主任の声に重なって、演習場の扉が開いた。黒い制服の騎士たちが入ってきて、受験者を扉の方へ誘導していく。
「はい、こっちこっち。押さないでな。焦げたのは皿だけだから」
先頭の騎士が軽い調子で言いながら、腕を広げて人の流れを作っていた。まだ若い騎士で、リディアの前まで来ると、まだ燻っている青年の皿とリディアを見比べた。
「あんたが止めろって叫んだ人?」
「……ええ」
「助かった。団長、こっちは全員出ます」
騎士が扉の外へ声をかけた。扉の向こうの廊下に黒い制服の長身が立っていた。騎士の報告に短く頷き、廊下の先へ指示を出している。こちらを見たのは一度だけで、すぐに背を向けた。
リディアは受験者の列に混じって演習場を出た。
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夕方、控え室の壁に一枚の紙が貼り出された。
受験者が紙の前に集まり、肩越しに読み上げる声が聞こえる。
本日の実技試験は、試験場の安全確認のため全体を中断した。
その下にもう一行あった。
実技を完了していない受験者は、後日、再審査とする。
リディアは紙の前で、自分の指先を見た。皿から離した指にはまだ少し熱が残っていた。




