↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二度目の人生では、公爵様と結婚しません ~前世の夫が、なぜか今度は私を守ろうとします~  作者: かなりあ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/64

第五話 断った代償

 父の机の上に公爵家の封筒が一通載っていた。


 婚約を断った翌日の昼、リディアは書斎に呼ばれた。父は机の向こうに座り、兄は窓辺に立っている。封筒はリディアが引き出しにしまったものではない。今朝、家令から改めて届いた詫び状だった。父が黙ってそれをリディアの方へ押し出した。縁談の件は令嬢の意向を尊重して取り下げる、と短く書いてある。


「座りなさい」


 父の声に昨日の赤みは残っていなかった。眠れなかったのか、目の下が少し暗い。


「公爵様がなかったことにと仰った以上、私から蒸し返しはしない。お前がどう言おうと、あの方に頭を下げてもう一度、などということもしない」


 リディアは膝の上で手を握った。叱られると思って来た。叱られる言葉の順番まで考えてきた。


「だが」


 父は封筒を脇へ寄せて、代わりに一枚の紙を置いた。兄が書いた魔導院の費用の見積もりだった。入院の試験料、書物代、院へ通う馬車の手当て。


「研究をするのに金がかかることは分かっているな。家で本を読むのとは違う。うちが出す」


「……ありがとうございます」


「条件がある」


 父は見積もりの端を指で叩いた。


「正式に入院しなさい。聴講や見学ではなく、院の所属として名簿に名が載る形でだ。それができれば、お前の言う研究がただの気まぐれではないと、私から親戚にも言える」


「落ちたら」


「落ちたら、そのときに次をどうするか三人で話す。縁談を押しつけるとは言わん。だが家にこもって写本を読むだけの暮らしを、いつまでも支えるつもりもない」


 リディアは見積もりを見た。父の字ではなく兄の字で、細かく数字が並んでいる。


 前世の父は、嫁ぐ娘に何も条件をつけなかった。公爵家に嫁げば何も心配はいらないと、そればかり言っていた。条件をつけるのは、娘がこれから自分で歩く道に金を出すからだ。


「分かりました。試験に通ります」


 父はうなずき、それきり封筒も見積もりも片づけた。書斎を出る時、父の声が背中にかかった。


「昨日の客間で、お前があれほど話すとは思わなかった」


 振り向くと、父はもう書簡の束に目を落としていた。


 ---


 廊下で兄が追いついてきた。


「父上にしては上出来だ。もっと怒鳴るかと思った」


「兄様が見積もりを書いてくださったのね」


「頼まれたからな。あれがないと父上は話を始められない」


 兄は歩きながら言った。


「試験のことは心配するな。魔導院なら私がいる。試験官にも知った顔が多い。願書は私が出しておこう。推薦の一筆も――」


「願書は自分で出します」


 兄が足を止めた。


「推薦も要りません。兄様の妹だから通った、と言われたくないの。説明が要るなら、それも私がします」


 兄はしばらくリディアの顔を見ていた。それから肩をすくめて笑った。


「昨日から、妹がよく喋る」


「迷惑ですか」


「いや。魔導院なら安心だと思っているのは本当だよ。私の目の届くところにいてくれれば、それでいい」


 兄は書斎へ戻っていった。リディアは願書の書き方を要項で確かめようと、自分の部屋へ足を向けた。


 玄関広間の方が騒がしくなったのは、その時だった。


 執事の声に若い女の声が重なる。執事が何か言い終わる前に、その声が階段を駆け上がってきた。


「リディア! いるんでしょう、リディア!」


 ミレイユ・ローデンが帽子を手に持ったまま廊下の角から現れた。走ってきたのか、頬が赤い。


「聞いたわよ。公爵様を断ったって。母が朝から三回その話をしたわ。本当なの」


「本当よ」


 ミレイユは目を丸くして、それから声を立てて笑った。


 ---


 庭の生け垣の間の小道を二人で歩いた。


「ここ、昔はもっと低かったわよね。二人で飛び越えて、庭師に叱られて」


「あなたが飛んで、私が引っかかったのよ」


 ミレイユは生け垣の葉を一枚摘んで指でくるくる回した。


 前世ではこの小道を二人で歩いた記憶が十七の年で途切れている。婚約が決まってから公爵夫人になる稽古に追われ、ミレイユの明るい手紙に返事を短くした。短い返事が遅れるようになり、最後の一通に返事を書いたかどうか、リディアは覚えていない。


「ミレイユ。私、研究者になるの。魔導院の入院試験を受ける」


「あなたらしい」


 ミレイユはあっさり言った。


「昔から研究の話をする時だけ早口だったもの。お兄様の本の話になると、私が何を言っても聞いてなくて」


「それと、もう一つ」


 リディアは足を止めた。


「院に入ったら忙しくなると思う。でも、あなたへの返事は遅らせない。書くことがなかったら、書くことがないって書くわ」


 ミレイユは葉を回す手を止めた。


「なあに、急に。私、そんなに返事を待たされたことあった?」


「これからの話よ」


 ミレイユは首を傾げ、少し考えてから、リディアの腕に自分の腕を絡めた。


「じゃあ私も手伝う。術式のことは分からないけど、問題を読み上げるくらいはできるわ。あなた、本を読むと食事を忘れるでしょう。お菓子を持ってきて、あなたが答えたら一つずつあげる」


「子供みたい」


「子供の頃もそうしたのよ。覚えてない?」


 覚えていた。書庫の床に座ったリディアの口に、ミレイユが焼き菓子を押し込んだ。十年の間、思い出しもしなかった。


 ---


 夕の鐘のあと、リディアは自室の机で要項を最初から読み直した。


 筆記は古代文字の読解と術式の説明。採点の欄には答えだけでなく根拠の記述を見ると書いてある。根拠から書けと言った兄の言葉どおりだった。実技は配られた標準の術式図を写して小さな器具を動かし、安定させるまでを見る。


 その下に細かい字で安全の手順が続いていた。


 器具に異常があれば、受験者は手を挙げて申し出ること。受験者が自分の判断で試験場の供給を止めてはならないこと。試験場全体の供給を止める権限は試験主任にあること。申し出による中断は、それだけを理由に減点しないこと。


 リディアは最後の一行を指でなぞった。前世で兄の資料を盗み読んでいた頃、こういう欄は読み飛ばしていた。


 頁をめくる。試験当日の段取りと、受験者の控え室、昼の休憩。


 最後の欄に警備の項があった。


 当日の院内の警備は騎士団が担う。責任者の欄に名前が一つ書いてある。


 騎士団長 アレクシス・ヴァルディエ。


 リディアは要項を机に伏せた。窓の外はもう暗く、硝子に自分の顔が映っている。


 研究の門にも、断った相手が立っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。