第五十五話 測られる研究者
院の正門の前に、建国祭の準備の足場が組まれ始めた頃だった。
朝の鐘のすぐあと、研究室の扉を叩いたのは見慣れない男だった。濃い灰色の外套に、王家の紋の入った留め具。後ろに助手らしい若い男が一人、布をかけた箱を抱えて立っている。
「王家の名で参りました。査察官のハルトです」
男は書状を差し出した。バルドが受け取り、封を確かめてから開いた。
「祭の前の、院の各室の点検の一環です。研究員の魔力の状態を測らせていただきたい。大がかりなものではありません。器具に手を当てていただくだけです」
バルドは書状を読み終えて、リディアに渡した。
王家の紋。院長の副署。点検の対象者の欄には、二つの名前があった。助手のニコと、自分。測定の内容は、魔力の状態の確認、とだけある。
リディアは書状から顔を上げた。
「室長とレインハルトは、対象ではないんですか」
「今回は、こちらのお二人です。各室で何名かずつ順に伺っています」
「何を確かめるための測定ですか。魔力の状態、では範囲が分かりません」
「魔力量です。祭のあいだ、院の研究員には魔法網の補助に入っていただくこともある。その目安です」
「測った記録は、どこへ行きますか。本人が閲覧できますか」
「王家の記録として保管します。閲覧は、請求があれば検討します」
「測る時は、室長の立会いをお願いします」
査察官は少しだけ眉を上げた。それから、頷いた。
「構いません」
リディアは書状をバルドに返した。
「通常の魔力量の測定の範囲でなら、お受けします。それ以外の測定をする時は、その都度、何を測るのか言ってください」
「承知しました」
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助手が箱の布を外した。
台座に真鍮の枠が組まれ、その中に針が一本。台座の手前に、手のひらを置くための銅の板がある。枠の側面には封がしてあって、中の作りは見えなかった。
ユリウスが作業台の端から、器具を覗き込んでいた。目が台座の脚から、枠の封、針の目盛りへと順に動いた。
「では、助手の方から」
ニコが呼ばれた。
ニコは銅の板に手を置いた。査察官が目盛りを合わせる。針がゆっくり上がり、目盛りの三分の一ほどで止まった。
「結構です。少し強く」
ニコが息を詰める。針が少し上がる。
「弱く」
針が下がる。強くすれば上がり、弱くすれば下がった。供給をほとんど止めると、目盛りの底の近くまで戻った。査察官は手元の帳面に数字を書き込んだ。
「次の方」
リディアは銅の板の前に立った。
板は冷たかった。手のひらを置くと、査察官が目盛りを合わせた。
針が跳ねた。
ゆっくり上がるのではなかった。板に触れたとたん、目盛りの半分を越えるところまで一気に振れ、そこで細かく震えていた。
研究室が静かになった。
リディアは自分の手を見た。何もしていない。魔力を添えてもいない。ただ置いただけだ。魔力量の試験では、自分は平凡だった。ニコより多いはずがない。
査察官の顔は変わらなかった。帳面に何かを書き、目盛りの横の小さな輪を回した。
「少し強く」
リディアは指先に魔力を添えた。針がわずかに上がった。
「弱く。できるだけ」
添えていた魔力を半分に絞り、それからほとんど零まで落とす。試験の皿で何度もやった止め方だ。
針は下がった。けれど、ニコの時のようには下がらなかった。目盛りの半分のあたりで止まり、そこからは動かなかった。
ユリウスが息を吸う音がした。
「失礼。今のは、何を測ってるんですか」
ユリウスは作業台の端から一歩出た。
「魔力量の目安なら、この器具が見てるのは、本人が流す魔力への応え方のはずです。助手の方は、止めれば底の近くまで戻った。でも彼女は、供給をほとんど止めたのに、半分のところに残ってる」
「個人差です」
査察官は帳面から目を上げなかった。
「魔力の質によって、器具の応え方は変わります」
「質の違いだとしても、流すのを止めたのに残っているものが何なのかは、説明になってません。それは魔力量の表示とは」
ユリウスはそこで言葉を切った。
針の動きだけでは、何を測ったのかまでは分からない。枠には封がしてある。中の作りが見えない以上、言えるのはそこまでだった。
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「もう一度、測らせていただけますか。今度は板を左右の手で」
査察官が言った。
リディアは銅の板から手を離した。
「お断りします」
査察官が顔を上げた。
「今の測定で、魔力量の目安は取れたはずです。左右の手で、というのが魔力量の測定に必要なら、理由を教えてください。教えていただけないなら、通常の測定の範囲を越えると判断します」
「点検の手順です」
「その手順を、見せていただけますか」
査察官は答えなかった。
リディアは作業台から紙を一枚取った。
「では、請求を書きます。今日の私の測定の、針の動きの写しと、実施の記録。器具の名前と、手順の書面。本人が閲覧するためです」
「査察の記録は、王家の記録として扱われます。写しの交付は、査察の規程に定めがありません」
査察官は帳面から顔を上げずに言った。責める調子でも、ごまかす調子でもなかった。決まった文を読み上げる声だった。
「交付しない理由を、書面でいただけますか」
「理由の書面も、規程にございません。閲覧の請求でしたら、院の窓口に様式があります。受け付けた請求は、王家の担当へ回されます」
査察官は帳面を閉じ、助手に器具を包ませた。布がかけられ、針も枠も見えなくなった。
バルドが窓際の机から、立会いの帳面を引き寄せた。
「では、私の方で書いておく」
ペンが紙を擦る音がした。
「本日、王家査察官による魔力の状態の測定。目的として魔力量と説明。古代術式研究室の在籍者二名に実施。一名について、本人が供給を絞っても針の下がり方が説明と一致せず。同席の研究員が指摘。追加測定は本人が拒否。測定の写し、記録、手順書面の請求に対し、規程に定めなしとして交付せず。室長、異議あり」
バルドは書き終えて、査察官に帳面を向けた。
「実施の確認として、署名を」
査察官は少しのあいだ帳面を見ていた。それから、実施者の欄に名前だけを書いた。異議の行には触れなかった。
扉が閉まったあと、研究室の誰もしばらく口をきかなかった。
リディアは銅の板に触れていた右の手をもう片方の手で包んだ。冷たさが、まだ手のひらに残っていた。
魔力を弱めても、針は同じようには戻らなかった。
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