第五十話 同じ机
公爵邸で十年を突き合わせてから四日後の朝、研究室の扉の前にアレクシスが立っていた。
脇に革の書類鞄を抱えている。騎士団の紋が押された、角の擦り切れた鞄だった。
扉を開けたのはバルドだった。バルドは客の顔を見て、それから鞄を見て、扉の内側の棚から厚い帳面を下ろした。
「研究室に入る方には、ここへ名前と所属と、持ち込む資料を書いてもらっています。閲覧のあいだは私が立ち会います。院の外の方でも同じです」
リディアは作業台の向こうで手を止めた。
騎士団長で、公爵だ。特別に通せと言われるのではないかと、一瞬だけ身構えた。
今世で護衛を受けた時、研究室の中には入らないでほしいと手紙に書いた。彼はそれを守り、いつも廊下か面会室で足を止めていた。今日は護衛としてではなく、資料を持ち込む者として、院の決まりのとおりに入ろうとしている。
アレクシスは帳面を受け取った。ペンを借りて、名前を書き、所属の欄に騎士団と書いた。持込資料の欄には、地下の遺構の補強工事の記録、拓本三枚、実測図一枚、と書いた。
「これでいいか」
バルドは帳面を確かめて、頷いた。
「結構です。どうぞ」
アレクシスは一歩だけ入って、そこで止まった。どこまで入っていいのかを、バルドに目で尋ねていた。
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作業台の上を片づけているあいだに、ニコが茶を運んできた。
杯が四つ。湯気の向こうの色が、いつもの研究室の茶より薄かった。
「団長様が茶葉を持ってきてくださったんです。研究室の皆さんの分も、と」
ニコはそう言って、バルドの前に杯を置いた。
リディアは自分の杯を両手で持った。煎りの浅い、軽い香りがした。面会室で最初に出された、あの濃い茶ではなかった。
「前に、軽い方がいいと聞いた」
アレクシスが言った。それだけだった。
舞踏会の夜、果実水のグラスを持っていた自分に、何がいいかと彼は聞いた。覚えておく、と言った。
「覚えていたんですね」
「覚えておくと言った」
リディアは茶を一口飲んだ。温かさが喉を通っていった。
茶が好きかどうかを、十年、誰にも言わなかった。言えば何かが変わったのかどうか、今になっても分からない。分かるのは、今日の茶が自分の好きな茶だということだけだった。
ユリウスが作業台の端の椅子を引いた。リディアはいつもの席に座った。
アレクシスは少し迷ってから作業台の向かいの椅子に座った。
前の人生の食堂では、向かいの席はいつも空いていた。今、同じ高さの台の向こうに彼がいて、拓本の束の紐を解いている。
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地下の遺構の写しは、溜めて形を写し取る構造の先で、三項ほど途切れていた。
崩れた石が壁を覆っていたからだ。騎士団が見つけた時の写しにはその部分がなく、封鎖が解けるまで保留、とリディア自身が書いていた。
「夏のうちに、崩れた通路に梁を入れた」
アレクシスは拓本を一枚ずつ作業台に並べた。
「石をどける時、梁で壁が隠れる前に、工兵に拓本を取らせた。壁の幅と、梁の位置はこっちの図にある。拓本は表面が剥がれたところが白く抜けている。抜けたところは、工兵には何も書かせていない」
リディアは拓本の上に手灯りを寄せた。
紙の上に黒く写った線は、途中で何か所も白く途切れていた。それでも、途切れる前と後の線の向きは追えた。
溜めて写し取る構造の終わりから、細い線が一度内側へ折れる。折れた先で、写し取った形の周りを囲むように回り、最初の線の上へ戻って、そこで結ばれている。
「……閉じています」
リディアは言った。
「写し取った形を、外から閉じている。閉じてから、渡しかけの線へ出ていく」
「閉じる項か」
ユリウスが身を乗り出した。自分の帳面に、地下の写しの構造図を描き写し、途切れていた三項のところに拓本の線を重ねる。指で、入る線と出る線の数を一本ずつ数えた。
「数が合う。これがないと、溜めたところに入る線が一本多いままなんだ。ずっと気持ち悪かった。閉じる項があれば、入った分だけ出ていく」
「閉じないと、どうなりますか」
「写した形が、次に流れてきたもので崩れる。上から別のものが流れ込んで、混ざる。保存の構造って呼ぶには、ここが足りなかった」
リディアは帳面に、閉じる項、と仮の名を書いた。それから、拓本の出所の欄に、工兵の名と日付を写した。アレクシスが言ったのは、工兵の記録にあることだけだった。前に見た、とも、覚えている、とも言わなかった。
バルドが立会いの帳面に、閲覧した資料の名を書き足していた。
夕方の鐘が鳴った時、作業台の上には四人分の空の杯と、書き込みで黒くなった帳面が並んでいた。
アレクシスは拓本を鞄へ戻し、バルドの帳面に返却の印をもらった。




