↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二度目の人生では、公爵様と結婚しません ~前世の夫が、なぜか今度は私を守ろうとします~  作者: かなりあ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
49/66

第四十九話 十年を突き合わせる

 翌日の昼、公爵邸の客間の卓には茶器と並んで薄い綴りが一つ置いてあった。


「今の屋敷の配膳の決まりだ。騎士団の規定を、この家でどう運用しているか。家令が書いたものを写させた」


 アレクシスは綴りをこちらへ押した。


 リディアは開いた。厨房から食堂までの経路、配膳を受け持つ者の名、客がある日とない日の違い。客のない日は、家族の食堂へ入る給仕を二人に限り、皿は厨房で先に取り分ける。客のある日は、厨房の出入りが増えるので、主の皿だけ別の盆で、別の者が運ぶ。


 研究室の机の上で、紙の札を並べ替えた日のことを思い出した。


 リディアは冊子を開いて、あの日の頁を彼の前に置いた。公爵邸の一階の図。厨房、配膳口、廊下、食堂。並べ替えた札の順。


「前の人生で、あなたの食事はいつも別でした。別の盆で、別の時刻に。規定を読んで、毒を警戒していたのかもしれないと考えました。でも、規定が禁じているのは同じ皿から取ることで、同じ卓につくことではありません。順番を替えれば、同じ卓につけたのではないかとも考えました」


 アレクシスは頁の上の札の図を見ていた。長いこと見ていた。


「毒は、警戒していた」


 彼は言った。


「前の人生でも、騎士団長の食事は規定どおりにした。あの頃の公爵邸は客が多かった。厨房の出入りも多かった。だから別の盆にした。それは本当だ」


「夜のことは」


「地下で何かあれば、夜中でも出た。詰所に近い棟で寝たのも、そのためだ」


 リディアは冊子の今世の裏付けの欄を見た。ローランの話。詰所のすぐ上の部屋。


「それも、本当だと思います」


 リディアは頁から顔を上げた。


「でも、それで説明できるのは、別の盆と、別の棟までです。客のない日にも、あなたは食堂へ来ませんでした。十年、ほとんど一度も」


 アレクシスは目を伏せなかった。


「……離れていなくてもよかった日にも、行かなかった」


 声は低かったが、はっきりしていた。


「規定のためだけではない。自分で、避けていた」


 なぜ、と聞きかけて、リディアは唇を結んだ。


 今それを聞けば、答えがどんなものでも、自分は泣くか、怒るかする。十年分をこの客間で彼にぶつけてしまう。そうなれば、今日確かめに来たことは何も確かめられない。


「その理由は、必ず聞きます。今日ではなくて」


 アレクシスは一度だけ、頷いた。


 リディアは冊子に書いた。避けた理由、未回答。


---


 リディアは冊子をめくって、匿名の花の頁を開いた。


「もう一つ、伺いたいことがあります」


 彼の目が頁の上で止まった。店の印を描いた図と、白の小花、葉多め、祭の二日前の昼、という行。


「花屋通りの店に、私宛ての注文がありました。名前のない、白い花です。受付は、私があなたとの婚約を断った半月ほど後でした。注文した人の名前は、店は言いません。言わせるつもりもありません」


 リディアは頁の上に手を置いた。


「あなたですか」


 アレクシスは少しのあいだ黙っていた。


 それから、頷いた。


「俺だ」


 リディアは息を吸った。吸った息がうまく吐けなかった。


「名前を書かなかったのは」


「書けば、断られたことを責めているように見える。君が受け取りにくくなる」


 彼は卓の上の自分の手を見ていた。


「受け取りたくなければ、断れるようにしておいた。店にもそう頼んである」


 辞退も承ります、と店主は言った。あれは、店の決まりではなかったのかもしれない。


 リディアは冊子の推測の行を見た。贈り主、不明。候補から外せない人。その横に新しく書いた。今年の注文、本人が認めた。


 ペンを止めて、聞いた。


「前の人生の、誕生日の花は」


 アレクシスはほんのわずかに顔を上げた。


「あれも、俺だ」


 十年分の白い花が目の前に浮かびかけた。昼の鐘のあと、家令が抱えてきた束。葉を落としましょうかと聞いた侍女。窓辺で枯れていった花。


 花を贈る人が、どうして一度も向かいの席に座らなかったのか。


 その問いは、今日はまだ書けなかった。


 リディアはペンを握り直した。


 今世の注文は店の帳面にある。前の人生の十年分は、彼がそう言った、というだけだ。リディアは二つを同じ行に書かず、今年の行の下に線を引いて別の欄にした。


 書いた字が少しだけ震えていた。


---


 茶を一口飲んで、リディアは冊子を次の頁へ進めた。前の人生の記憶の欄。嫁いでからの年を自分の覚えている順に並べてある。


「順番に、確かめたいんです。一年目から」


 アレクシスは頷いた。


 一年目。婚礼のあと、彼が北の砦から戻らなかった冬。二年目。夜会で別々の場所に立つようになった年。彼の答えは短かったが、自分の記憶と大きくは食い違わなかった。年が合い、場所が合った。


「三年目は」


 リディアが言いかけると、アレクシスの手が卓の上で止まった。


「三年目の冬に、君が熱を出した」


 リディアは顔を上げた。


「長く引いた。医者が何人も来た。春になる前に――」


 彼はそこで言葉を切って、口を閉じた。


 リディアは彼の顔を見ていた。


 熱。何人もの医者。春になる前に。


 その先に来る言葉は、一つしか思いつかなかった。


 三年目の冬。熱を出した覚えはなかった。三年目の秋には雨の夜があり、冬には、いつもどおり一人の食卓があった。春には庭の木が芽吹き、四年目が来た。


「もし、あなたの覚えている冬に、私が春を待たずに死んだのだとしたら」


 自分の声がひどく静かに聞こえた。


「それは、私の十年ではありません。私は三年目の冬に熱を出していません。四年目も、五年目も生きました。十年目の建国祭まで生きて、あの広場で死にました」


 アレクシスは何も言わなかった。左の手が卓の上で握られかけて、止まった。


 長い沈黙だった。


「……混ざっている」


 やっと出てきた声は、低く掠れていた。


「俺の覚えていることの中に、君の十年と合わないものがある。それは、分かっている。だが、今、順番に並べて話すことができない」


「どこから混ざっているのかも、ですか」


「それも、まだ言えない」


 嘘だと決めつけることはできなかった。彼は言い繕わなかった。言い間違えた、とも言わなかった。合わないものがある、と言った。


 信じたいと思う気持ちが先に立っていることも、分かっていた。


 それなら、合わないまま書くしかない。


 リディアは冊子に、合わないまま書いた。次に聞くこととして、病の結末と記憶の範囲を、その下に足した。


「今日は、ここまでにします。説明していただいたことにはしません。次の時に、また聞きます」


「分かった」


 アレクシスはそれだけ言った。


 客間を出て、家令の後について廊下を歩きながら、リディアは冊子を胸に抱えていた。


 雨の夜は一字も違わなかった。食卓の盆も、夜の棟も、白い花も、彼の言うことと自分の記憶は重なった。三年目の冬だけが、重ならなかった。


 同じ十年を話しているはずなのに、結末が合わない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。