第四十話 今年の注文
帳面の行は届け先の欄から右へ続いていた。
店主が載せた紙は行の右の端だけを覆っている。その手前の欄は読めた。
品。白の小花、葉を多めに。紙は店の印入り、名札なし。
配送。建国祭の二日前、昼。
リディアは帳面の上に視線を置いたまま、動けなかった。
白い小さな花だった。前世の玄関に毎年届いた束は、いつも白かった。葉が多くて、花より緑の方が目立つくらいだった。最初の年、侍女が花瓶に挿しながら、葉を少し落としましょうかと聞いた。そのままでいいと答えた。
届くのは、いつも昼だった。昼の鐘のあと、家令が玄関から抱えてきた。
同じだ、と思いかけて、リディアは指先を帳面の端から離した。
同じなのは、今目の前にある一行と、自分の覚えている束だ。前世の帳面はここにない。十年分の注文がこの店にあったのかどうかを、この一行は何も言っていない。
「お届けの品と日付は、こちらのとおりです」
店主が言った。
「お受け取りになりたくない場合は、ご本人様からの辞退を承ることもできます」
辞退。
リディアは腕の中の黄色の束を見下ろした。
断ることはできる。誰からとも分からない花を、受け取らないと言えば済む。前世の十年、そんなことは考えもしなかった。届いたものを花瓶に挿して、誰からなのかを考えないまま、枯れるまで窓辺に置いていた。
「辞退は、しません」
自分の声が思ったよりはっきりしていた。
「届いた時に、自分で見て決めます。今日は、注文があると分かれば十分です」
店主は頷いて、帳面の上の紙を押さえ直した。
「承知いたしました。お届けの日は、変わりましたら伯爵家へ使いを出します」
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「もう一つだけ、伺ってもいいですか」
リディアは言った。
「このご注文を受けた日だけ、教えていただけますか。いつから決まっていたのかを知りたいんです」
店主は少し考えた。それから、覆っていない欄の端を指で示した。行の左の、届け先よりさらに手前に小さな字で日付が書いてある。
受付の日付。
リディアは日付を読んだ。読んでから、頭の中で日を数えた。
婚約の打診を断った日から、半月ほど後だった。
「ありがとうございます」
礼を言って、リディアは帳面から目を上げた。店主は帳面を閉じ、紙を挟んだまま奥の棚へ戻した。
店を出ると、通りの日はまだ高かった。少し離れたところで、ギルベルトが店先の桶の脇に立っていた。リディアとミレイユが出てくるのを見ると、何も聞かずに先に立って歩き出した。
ミレイユはしばらく黙って隣を歩いていた。花屋の看板を三軒分過ぎたところで、ようやく口を開いた。
「白だったわね」
「うん」
「あなたの黄色と、全然違う」
リディアは腕の中の束を見た。淡い黄色の花びらが、日を透かしていた。
「違っていいの。これは私が選んだんだから」
「そうね」
ミレイユはそれ以上何も言わなかった。帳面の行のことも、贈り主のことも聞かなかった。馬車の前まで来て、別れ際に一つだけ言った。
「届いたら、教えて。どっちでも」
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伯爵邸に戻ると、リディアは侍女に花瓶を頼んだ。
侍女が持ってきたのは細い首の小さな硝子の瓶だった。黄色の束をほどいて挿すと、瓶の口からこぼれるように花が開いた。
「お嬢様がご自分で花をお買いになるなんて、珍しいですね」
「そう?」
「はい。いつもは、書庫の本ばかりで」
侍女は笑って、瓶を窓辺に置いた。リディアは礼を言い、侍女が下がるのを待ってから、机に冊子を広げた。
匿名の花の頁に、今日分かったことを書いた。店の印。白い小花と、祭の二日前の昼。受付は、婚約を断った半月ほど後。贈り主は、店が明かさない。
その下に、推測として何を書くか、しばらく決められなかった。
前世の花は、名前のない花だった。父なら名前を書くだろう。兄も書くだろう。ミレイユなら、自分で抱えて来る。どれもそういう人だというだけで、違うと決められるわけではない。
リディアは推測の行に書いた。贈り主、不明。候補から外せない人、アレクシス・ヴァルディエ。花の一致は、彼を指す根拠ではない。本人の確認なし。
書いた名前を見た。
彼であってほしいのか、彼でなければいいと思っているのか、自分でも分からなかった。どちらの気持ちも、名前を書く手に混じっていた。それは冊子には書かなかった。
それから、もう一行だけ足した。
仮に彼の注文なら、婚約者としての義務では説明できない。注文は、婚約を断ったあとに出されている。
書き終えて、窓辺の瓶を見た。黄色の花が夕方の光の中で揺れていた。自分で選んだ花は、自分の手で持って帰ってきた。白い花は、祭の二日前に届く。




