第三十五話 恋文ではない
一通目は北の遺跡の警備についての手紙だった。
奥に作動する仕掛けがあるという届けを騎士団が受け取ったこと。最初の広間へは人を入れないよう警備を組んだこと。魔導院から入口側の調査の申請が出た場合、騎士団の護衛を付けること。文の終わりに日付と署名があり、その下の段が紙の帯で折り返されていた。
二通目は北の遺跡への立入りの申請の写しだった。リディアとユリウスの名前があり、院の印と騎士団の印が並んでいる。余白に彼の字で一行。護衛はギルベルト。退路は入口一つ。
三通目には王都の地下の見取り図が一枚挟まっていた。魔法網の点検路と出入口が細い線で描かれ、いくつかの出入口に小さな丸がつけてある。手紙の本文は点検路の巡回の担当を替えたという短い報告だった。
四通目は建国祭の前後の予定だった。祭の二日前から北辺の砦へ出向くこと。同じ日の王都の警備の調整の欄には、地下の対応、ヴァルディエ、とある。五通目はまた人の配置の話だった。
読んだ五通は、どれも同じだった。警備、申請、点検路、予定。短く、無駄がなく、最後に日付と署名がある。
恋の言葉はどこにもなかった。
リディアは五通目を束に戻した。いちばん下にもう一通残っていたが、その前に顔を上げた。
王女はいつの間にか窓辺の小卓に戻り、自分の書類に何かを書き込んでいた。視線に気づいて、ペンを止めた。
「読んだ?」
「許していただいたところは」
「なら、先に言っておくわ」
王女はペンを置いた。
「私と公爵の間に、恋文は一通もない。人払いをして会うのは、話の中身を外へ出せないから。それだけよ」
声に飾りはなかった。言い訳をする人の声でもなかった。
リディアは束の上に手を置いた。
これは前世の手紙ではない。前世の書斎で見たのは、王女から夫へ届いた手紙だった。今ここにあるのは、今年に入ってから彼が王女へ書いたものだ。宛先も年も違う。同じ束だと思うのは間違っている。
それでも、同じ人の字だった。
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束を揃え直そうとして、リディアは封筒の隅に目を留めた。
どの手紙も、右上の隅に小さな数字が書いてある。二十六。二十七。二十九。三十一。間が飛んでいるのは自分に関わらない手紙が抜いてあるからだろう。
「番号を振るのね、あの人」
王女が言った。リディアが数字を見ているのに気づいていたらしい。
「一通目から全部。返事が遅れると、何番の件はどうなったかと書いてくる。数えていないと気が済まないの」
リディアは数字の上に指を置いた。
前世の書斎の机でも、彼の書いた書類の隅には数字があった。何の数字なのか、聞いたことはなかった。夫の書類を妻が覗くものではないと思っていた。
あれも、数えていたのだ。
束のいちばん下に残しておいた一通を取った。日付は、自分が院の試験を受けるより前だった。折り返されていない部分に、こうあった。
魔導院の入院試験の警備に騎士団から人を出したい。院からの依頼はまだないが準備を先に進める。殿下の名で院へ話を通していただけるとありがたい。
試験の日、演習場には呼ぶより早く騎士が来た。あれは、偶然ではなかった。前から決まっていた配置だった。
「試験の警備も、私の護衛も、殿下を通して」
「全部ではないわ。騎士団の中で決められることは、あの人が自分で決めている。院や王家の名が要るところだけ、私に来る」
王女は少しだけ首を傾けた。
「あなたは、知らされていなかったのね」
リディアは答えなかった。答えなくても、顔に出ていたのだろう。
王女は書類の山から薄い綴りを一つ抜いて、机の上に置いた。
「これは持って帰っていい。騎士団長の職に付いている警護の規定の抜き書き。機密ではないわ。王宮の文書庫に行けば誰でも読める。ただ、誰も読まないだけ。書いてあるのは一般の決まりで、あの人が実際にどこをどう守らせているかは載っていないわ」
リディアは表紙を見た。騎士団長職警護規定、抄。
「なぜ、これを私に」
「あの人の近くにいるなら、知っておいた方がいいから。面会の席で出される茶は騎士団が用意する、とか。そういう決まりが書いてある」
院の面会室で、ローランが茶を注いでいた。濃い色の、煎りの強い茶だった。騎士団の側で用意してきたらしい、とあの時思った。
あれも、決まりだったのか。
「言えないことは、今日も言えない」
王女は言った。
「でも、あなたの身の安全に関わることで、私が渡せるものは渡す。それが、あなたを呼んだ理由の半分」
「もう半分は」
「あなたの研究。さっきの区画の話よ。あなたの報告書の線の図で流れの切れ目が分かるなら、目録の分け方を見直したいの。中身を見せる手続きは、そのために始めるわ」
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帰りの馬車で、リディアは膝の上の規定の綴りを開かずにいた。
窓の外を王宮の塀が流れていく。
夫が自分を見ないのは、別の人を見ているから。十年自分を支えてきたその話が、足元から崩れていくのが分かった。前世の書斎の封蝋の手紙が何だったのかは、もう確かめようがない。
それに、手紙が恋文でなかったとしても、空席は空席だった。
食卓の向かいの空いた椅子。夜会の別々の場所。廊下の先の背中。十年、彼は何も言わなかった。王女のためでなかったのなら、何のためだったのか。
リディアは規定の綴りの表紙に手を置いた。




