第三十二話 勘で人は配置しない
面会室から詰所へ戻る道で、団長は一言も口をきかなかった。
ローランも黙って半歩後ろを歩いた。頭の中では、さっきの面会室の声が回っていた。どうして、あなたが決めるんですか。あの令嬢があんな声を出すのを、ローランは初めて聞いた。団長が言い返さなかったのも、初めて見た。
詰所に着くと、団長は執務室へ入らずに、地図の掛かった壁の前で足を止めた。
「ローラン。明日の朝の鐘の前に、粉屋坂を閉じろ」
ローランは外套を脱ぎかけた手を止めた。
「閉じる、って」
「坂の中ほど、点検口の蓋から二十歩の内に人を入れるな。荷車は東の水路沿いへ回せ。坂の上と下に二人ずつ。縄を張って、昼の鐘を過ぎても解くな。解く時は俺が言う」
団長の指が、地図の上の坂をなぞった。粉屋坂の点検口。ローランが地下の巡回で、月に一度は鍵を確かめに行く蓋だった。
「団長。あの蓋、先月見た時は何ともなかったですよ。鍵も錆びてないし、下から音もしなかった」
「知っている」
「じゃあ、何を根拠に」
「確証のない情報だ」
それだけだった。ローランは待った。団長は地図から目を離さなかった。
「さっき、あの令嬢には人を置くなって言われてましたよね。行かないから、道に人を置かないでくれって」
「彼女のためではない」
団長は短く言った。
「坂を通る全員のためだ。彼女が来なくても、明日あの坂は通る者がいる」
ローランは地図の坂を見た。古書通りへ下りる坂で、朝は粉屋の荷車と、北門へ抜ける行商が通る。昼は子供が駆け下りる。
「外れたら、どうします」
「外れたら、点検口の周りの通行を一日整理しただけだ。苦情は俺が受ける」
確かに、それなら任務としては成り立つ。何も起きなくても、坂を一日閉じた理由は書ける。点検口の周りの安全確保。水路沿いへ回れば、荷車の遠回りと行商の文句くらいで済む。ありふれた通行整理だ。
けれど、ありふれた通行整理なら、前の晩に団長が自分で地図を指さして命じたりはしない。
「魔導院の管理部には」
「今夜のうちに知らせる。点検口に異常のおそれあり、蓋は開けずに周りから確かめてほしい、と。周りの通行は騎士団が止める」
「おそれの出どころを聞かれたら」
「騎士団長の判断だと書く」
「開けて見てもらう方が、早くないですか」
「開けた時に出るかもしれない」
ローランは口を閉じた。開けた時に出るかもしれない。まるで、何が出るのかを知っているような言い方だった。
「了解しました。朝の鐘の前に」
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まだ暗いうちに、ローランは三人を連れて坂へ出た。
縄を張り終えた頃、坂の上の粉屋が戸を開けた。荷車を出そうとする主人に事情を話すと、ぶつぶつ言いながらも水路の方へ回ってくれた。角のパン屋の窯から、焼ける匂いが上がってきた。朝の鐘は、縄を張り終えてしばらくしてから鳴った。
午前のあいだ、坂では何も起きなかった。
荷車が回され、行商が文句を言い、子供が縄の下をくぐろうとして若手に襟首をつかまれた。昼前に魔導院の管理部から点検員が来て、縄の外から蓋の周りを見て回り、記録を取って帰っていった。ローランも坂の中ほどの蓋を、縄の外から何度も見た。鉄の蓋は鉄の蓋のままだった。
外れたかもしれない、と思った。思って、少しほっとした自分がいた。
昼の鐘が鳴って、しばらくした頃だった。
足の裏に何かが触れた。
蓋の縁から、青白い光が糸のように漏れた。地面の下で、太い弦を弾いたような音がした。
「下がれ! 縄から離れろ!」
自分の声が坂に響いた。縄の外にいた人々が振り向く。若手が両手を広げて、見物の輪を坂の下へ押し戻した。
次の瞬間、蓋が跳ねて、光が屋根より高く噴き上がった。熱い風が坂を駆け上がった。長くは続かず、あとには焦げた敷石と焼けた匂いが残った。
ローランは縄に沿って走り、上と下の騎士を一人ずつ確かめた。全員、立っていた。縄の外の見物人にも、倒れている者はいなかった。
坂の中ほど、蓋から二十歩の内には、誰もいなかった。
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詰所へ戻ったのは、日が傾いてからだった。
ローランは机に向かい、帰還報告の用紙を広げた。
命令を受けた時刻は、前夜、団長が面会室から詰所へ戻った直後。管理部への通知は団長の名で。配置の済んだ時刻、噴出の時刻、負傷者なし。そこまでは迷わずに書けた。
最後に、命令の根拠の欄があった。
ローランはペンを持ったまま、しばらくその欄を見ていた。
巡回の所見による、と書けば、誰も何も聞かない。地下の担当は自分だ。月に一度は蓋を見ている。何か気になる点があった、と書けば、それで話は終わる。団長も、きっと何も言わない。
けれど、先月見た時、蓋は何ともなかった。それを自分は団長に言った。
ローランは書いた。団長より、確証のない情報による、との説明あり。巡回担当の直近の点検では、異常を認めず。
書き終えた用紙を持って、執務室の扉を叩いた。団長は机で何かを書いていた。報告を受け取り、根拠の欄で目を止めた。
「これでいいか、とは聞きません」
ローランは言った。
「見たことと、言われたことしか書いてませんので」
団長は少しのあいだ黙っていた。それから報告に署名して、脇へ置いた。
「それでいい」
それだけだった。ローランは礼をして執務室を出た。
廊下の窓から、王都の屋根が見えた。北の方角に、まだ薄く煙が残っている。
団長は昔から勘がいい、と古参の騎士たちは言う。危ない場所を嗅ぎ分ける鼻がある、と。ローランも、何度かそう思ったことがある。
けれど、あの蓋を月に一度見ているのは自分だ。先月は何も見つけられなかった。その蓋を、団長は前の晩に名指しして、今日一日閉じさせた。
勘という言葉では、この配置を説明できなかった。




